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校正者のざれごとシリーズ

校正者のざれごと――こどもの日に想うこと

作者: 小山らいか
掲載日:2026/05/04

 私は、フリーランスの校正者をしている。

 校正者というのは専門的な技能を持った、いわゆる「職人」のようにいわれることもある。でも、私はこの「職人」という言葉を自分に使うことにはどうしても抵抗を感じる。

 私の父は職人だった。中学を出てすぐに上京して弟子入りし、以来長年仕事と向き合い、自らの技能を高めてきた。あまり話さない人だったが、仕事のことになるとよくしゃべった。父の話を聞いていると、この人は本当に仕事が好きなんだな、といつも感じていた。

 実家は2階にあり、1階はこうだった。昼間は下から機械の音がいつも聞こえていた。忙しいときも、そうでないときも父はいつも工場にいた。夜遅くまで熱心に何かを作っているときもあった。

 社会人になり家を出てからも、実家に帰ったときは父と晩酌をしながら話した。孫ができてからはずいぶんかわいがり、私の下の子が生まれたときには、木製のベビーベッドを作ってくれた。狭い我が家にちょうど収まるサイズで、高さは寝室のローベッドに合わせてくれていた。父の仕事はどんなときも丁寧だった。そんな父がよく「お前は母さんと同じでやることが雑なんだよな」と笑っていたのを覚えている。

 あるとき、在宅で仕事をしていると父から電話がかかってきた。「コンパスを使わずに五角形を描く方法ってない?」何かしらの作品を作っていて、それに必要だという。でも、父はネットが使えない。私はいろいろ調べて、父に伝えた。「なるほどなあ」父に感心してもらえて、ちょっと嬉しかったのを覚えている。

 末期がんが見つかり、体調を崩してからも、父はつねに仕事のことを考えていた。抗がん剤治療を受けながら、病室に物騒な道具をたくさん持ち込んで、何か作っていた。そこで生まれた小さな作品は、看護師さんたちに配られ、みんな身につけてくれていた。「早くよくなって、もっとやりたいことがあるんだ」そう言っていた父に私たちは、がんがもう治らないことは最期まで言えなかった。

 ついさっき、スーパーで見かけてしょうぶを買ってきた。自転車のカゴから大きくはみ出したそれを見て、突然父のことを思い出した。節分やひなまつりやしょうぶ湯など、季節の行事を大切にする人だった。こどもの日には、父はふらっとどこかへ出かけ、材料をたくさん買ってきてちまきを作った。ふだん料理など全くしない父に長い時間台所を占領され、母はいつも苦い顔をしていた。でもそんなことにはお構いなく、父はできあがった大量のちまきを嬉しそうに近所に配って歩いた。

 父が亡くなってちょうど10年になる。あのとき父の作ってくれたちまきは、笹の葉できっちり三角形に包まれ、いぐさでしっかりと結んで5つずつ束ねられていた。きれいな形をしていた。あれこそ職人の仕事だったなあ、と今でも思う。

 父のように真剣に向き合い続けたら、私もいつか「職人」と名乗れるようになるだろうか。でも、どんなに精進しても、父にはやっぱり「雑だなあ」と言われてしまうような気もする。私にとって「職人」というのはどこか遠い、憧れの存在なのだ。

 こどもの日を前に、ふと舞い降りた父の思い出。本当にとりとめのないざれごとですみません。


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― 新着の感想 ―
あ~、亡くなられたあなたの父上がいつの時代の方なのかは判らないけど、昭和の復興期を生きた方々ってそうゆう方が多いですよね。 つまり時代が人の生き方に影響を及ぼしているのでしょう。 因みに製品の『出来…
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