校正者のざれごと――こどもの日に想うこと
私は、フリーランスの校正者をしている。
校正者というのは専門的な技能を持った、いわゆる「職人」のようにいわれることもある。でも、私はこの「職人」という言葉を自分に使うことにはどうしても抵抗を感じる。
私の父は職人だった。中学を出てすぐに上京して弟子入りし、以来長年仕事と向き合い、自らの技能を高めてきた。あまり話さない人だったが、仕事のことになるとよくしゃべった。父の話を聞いていると、この人は本当に仕事が好きなんだな、といつも感じていた。
実家は2階にあり、1階は工場だった。昼間は下から機械の音がいつも聞こえていた。忙しいときも、そうでないときも父はいつも工場にいた。夜遅くまで熱心に何かを作っているときもあった。
社会人になり家を出てからも、実家に帰ったときは父と晩酌をしながら話した。孫ができてからはずいぶんかわいがり、私の下の子が生まれたときには、木製のベビーベッドを作ってくれた。狭い我が家にちょうど収まるサイズで、高さは寝室のローベッドに合わせてくれていた。父の仕事はどんなときも丁寧だった。そんな父がよく「お前は母さんと同じでやることが雑なんだよな」と笑っていたのを覚えている。
あるとき、在宅で仕事をしていると父から電話がかかってきた。「コンパスを使わずに五角形を描く方法ってない?」何かしらの作品を作っていて、それに必要だという。でも、父はネットが使えない。私はいろいろ調べて、父に伝えた。「なるほどなあ」父に感心してもらえて、ちょっと嬉しかったのを覚えている。
末期がんが見つかり、体調を崩してからも、父はつねに仕事のことを考えていた。抗がん剤治療を受けながら、病室に物騒な道具をたくさん持ち込んで、何か作っていた。そこで生まれた小さな作品は、看護師さんたちに配られ、みんな身につけてくれていた。「早くよくなって、もっとやりたいことがあるんだ」そう言っていた父に私たちは、がんがもう治らないことは最期まで言えなかった。
ついさっき、スーパーで見かけてしょうぶを買ってきた。自転車のカゴから大きくはみ出したそれを見て、突然父のことを思い出した。節分やひなまつりやしょうぶ湯など、季節の行事を大切にする人だった。こどもの日には、父はふらっとどこかへ出かけ、材料をたくさん買ってきてちまきを作った。ふだん料理など全くしない父に長い時間台所を占領され、母はいつも苦い顔をしていた。でもそんなことにはお構いなく、父はできあがった大量のちまきを嬉しそうに近所に配って歩いた。
父が亡くなってちょうど10年になる。あのとき父の作ってくれたちまきは、笹の葉できっちり三角形に包まれ、いぐさでしっかりと結んで5つずつ束ねられていた。きれいな形をしていた。あれこそ職人の仕事だったなあ、と今でも思う。
父のように真剣に向き合い続けたら、私もいつか「職人」と名乗れるようになるだろうか。でも、どんなに精進しても、父にはやっぱり「雑だなあ」と言われてしまうような気もする。私にとって「職人」というのはどこか遠い、憧れの存在なのだ。
こどもの日を前に、ふと舞い降りた父の思い出。本当にとりとめのないざれごとですみません。




