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有り難い出会いと左手の温度 「その感謝は、彼女にとって劇薬でした」スピンオフ

 親友に彼女ができた。めでたい。めでたいけど——俺の休日が死んだ。


 九月の休日、昼前。俺は駅前のショッピングモールから出てきたところだった。


 映画を観るつもりだった。


 親友、望を「休み、映画行かね?」と誘った。


「……その日は、予定ある」


 あ、そう。


 そりゃそうか。


 あいつに彼女が出来てから、休みはだいたい「予定ある」になった。


 めでたいことだ。望が楽しそうにしてるのは、素直に嬉しい。


 嬉しいけど。


 寂しいもんは寂しい。


 夏休み、タイミング合えば遊べるかと思ってた。


 俺が暇な日はあいつがデート。

 あいつが空いてる日は俺が棚経——檀家さんの家を回って

 お経を読むやつ——で駆り出されてた。

 

 お盆の時期は忙しい。


 なんだこのすれ違い。ラブコメか。


 映画は一人で観るか。


 そう思ってシネコンまで来たものの、チケット売り場の前で足が止まった。


 望と観る前提で選んだ映画だ。一人で観る気になれなかった。


 結局、何も観ずに出てきた。


「ひまだなー……」


 アスファルトの照り返しが暑い。九月になってもこの暑さ。蝉の声もまだ聞こえる。


 アイスでも買って帰るか——と思った、その時だった。


 前方で、ガシャン、と音がした。


 紙袋の底が抜けたらしい。果物が歩道に転がっている。


 しゃがんで拾おうとしている女の人がいた。

 りんごが一つ、車道の方に転がっていく。


 考えるより先に走った。


 りんごを拾い上げて、振り返る。


「はい、どうぞ」


 女の人が顔を上げた。


 ——あ。


 きれいだった。


 明るい茶色のポニーテール。光で毛先の色が変わる。

 笑うとふわっと柔らかくなる目元。


「ありがとう! ごめんね、底が抜けちゃって」


 年上。けっこう年上。大学生……よりは、上に見える。


「いえ、全然。大丈夫っす」


(声、裏返りかけた)


 残りのみかんとバナナも一緒に拾った。

 彼女はエコバッグを鞄から出して、手早く詰め替えている。


 手際がいい。


「助かった〜。果物が安くてさ〜、つい買いすぎちゃって」


「りんご、無傷っすよ」


「ほんとだ。よかった」


 ほっとした顔で笑った。ポニーテールがふわりと揺れる。


 エコバッグを提げ直して、改めてこっちを見上げた。


「——ね、お昼もう食べた?」


「いえ、まだっす」


「あたしも。——よかったらさ、お礼にごちそうさせて。この中にファミレスあるでしょ」


「え、いや、そんな——」


「いいのいいの。りんご救出してもらったんだから。ね?」


 押しが強い。でも嫌な感じがしない。声のトーンが明るくて、断る隙がない。


(……まあ、腹も減ってるしな)


「じゃあ、お言葉に甘えます」


「よしっ」


 笑顔。


 ちょっと、どきっとした。


◇ ◇ ◇


 モールの中のファミレス。窓際の席。


 俺はハンバーグランチ。彼女は和風パスタ。


「あたしサキ。社会人。きみは?」


「蓮見悟っす。高二」


「悟くん! しっかりしてるね〜。大学生かと思った」


 休みだし、制服を着てるわけじゃない。

 でもしっかりしてそうなお姉さんにそう言われると、ちょっと大人になった気がする。


「いやー、よく言われるんすよねー」


「あはは。——でもほんと、とっさにりんご追いかけてくれる子ってなかなかいないよ。」


「あれは……反射っす。たまたま」


 照れ隠しのつもりだった。「たまたま」はあいつの口癖だ。いつの間にかうつってる。


「だからごはん誘っちゃったんだけどね。もうちょっと話してみたいなって思って」


 ……え、今なんて?


 彼女はさらりと言って、パスタをひと口食べた。ふう、と息を吐く。


「おいしい。——こういうの久しぶりかも」


「忙しいんすか」


「最近ちょっとバタバタしててね。だからこうやってのんびりお昼食べられる日は貴重なの」


 忙しそうだけど、つらそうじゃない。むしろ楽しんでるような声だった。


「きみは? 今日はなんでここに?」


「映画っす。友達と来るつもりだったんすけど、振られまして」


「え、振られたの!?」


「いやいやいや、男友達に遊びの誘いを断られただけっす!」


「あはは、ごめんごめん」


 彼女が肩を揺らして笑う。年上なのにころころ表情が変わる。


(かわいい。——いや。落ち着け俺。心頭滅却すれば美人もまた可愛い。色即是空。可愛い。無理ぃ)


「その友達、忙しいの?」


「最近、彼女が出来まして。そっから付き合い悪くて」


「あ〜〜」


 彼女が深々と頷いた。心の底からわかるという顔をしている。


「めっちゃわかる。わたしも全く同じ目に遭ってるもん」


「え、そうなんすか」


「うちの従弟がね。最近彼女出来たの」


「へえ」


「久しぶりに会おうと思って連絡したらさ、『予定ある』って言うの」


「あー……」


「嘘が下手なのよあの子。声がぎこちなくなるから一発でわかるの」


「で、問い詰めたんすか」


「問い詰めた」


 彼女がにやりと笑った。


「散々誤魔化した末に白状してね。『……彼女と、会う』って。もう声ちっちゃくて。かわいかったなあ」


「わかります。俺のダチもほんとそれで。嬉しそうにしてるから文句も言えないっつーか」


「そうそう。憎めないのよね、ああいうの」


「ほんとそれっす」


(そういうやつ、結構いるのかなあ)


「従弟さん、何歳なんすか」


「高二。きみと同い年じゃん」


「あ、同い年っすか」


「そうそう。昔はね、会うたびにおとなしい子だったの」


「へえ」


「でも最近なんか雰囲気変わったなって。——人の顔を、ちゃんと見るようになったの」


 少し気にはなった。

 なったけど、目の前の彼女の笑顔に、興味があっさり塗り替えられた。


 話はあちこちに飛んだ。


 彼女が珍しい観葉植物を育てていること。

 スマホで写真を見せてもらった。確かに見たことない形の葉っぱだった。


 最近趣味で動画配信を始めたこと。

 顔は出さず、手だけ映してるらしい。それが意外と好評なんだとか。


 俺は俺で、学校の話やら最近読んだ漫画の話やらを喋った。


 彼女はいちいちおもしろそうに笑ってくれた。


「サキさんのポニーテール、似合ってますね」


(言えた。偉いぞ俺!)


「ありがと。最近随分髪伸びたから、思い切って今日美容院でやってもらったの。イメチェン」


「今日? めっちゃ似合ってるっすよ」


「えへへ。そう言ってもらえると変えてよかったなって」


 ポニーテールの毛先が、窓からの光でふわりと明るくなった。


「きみの友達は? どんな子」


「無口で。基本クールっぽいんすけど、たまにすげー鋭いこと言ったりする。あと、なんか——人のこと、ちゃんと見てるやつです」


「へえ。いい友達じゃん」


「まあ……かけがえのない存在っていうか。有り難い存在ですよ」


 ……あ。


 出た。


 寺の息子の血が騒ぎ始めた。


「有り難いって——あ、これ仏教用語で言ってるんすけど」


(止めろ止めろ、引かれんぞ)


「仏教用語?」


「はい。『ありがとう』って、もともと『有り難し』で。存在することが難しい、稀だって意味なんすよ」


「……うん」


「あいつがそこにいてくれることは当たり前じゃない。得難い、ことなんだ——って」


 言いながら我に返った。


「……まぁ、人の受け売りっすけど」


(初対面の年上に仏教講座。何やってんだ俺は)


 顔が熱い。ハンバーグの皿をじっと見つめた。


「すんません、こういうの出ちゃうんすよ。寺の息子なんで」


 沈黙。


 やっちまった。引かれた。終わった。


「——いい言葉だね」


 顔を上げると、彼女が笑っていた。


 でもさっきまでの軽い笑い方とは違う。

 目の奥に、何かを噛みしめるような光がある。


「有り難し、か」


 一拍。


「……あたしもね、最近やっとわかったの」


 彼女がコーヒーのカップを両手で包んだ。


「ありがとうって、簡単に使いすぎると壊れるし。受け取りすぎても、壊れるの」


「……」


「——でも、本当にわかって言えた時は、すごくあったかいんだよね」


 重い。


 声は軽いのに。言葉が、重い。


 この人の「やっとわかった」には、きっと俺の知らない何かが詰まっている。


「キミ、ちゃんと自分の言葉になってたよ。受け売りって言ってたけど。——ちゃんと、キミの言葉だった」


「…………」


(心臓、うるさい)


「ありがとね。いい話聞けた」


 彼女が食後のコーヒーを飲み干した。


◇ ◇ ◇


 店を出て、モールの外に出た。


 夕暮れ。蝉の声が少し弱まっている。


「今日はありがとうね。楽しかった」


「こちらこそ。ごちそうさまでした」


 ぺこりとお辞儀。寺で仕込まれた礼儀だけは身体に染みついている。


 彼女がバッグの紐を肩にかけ直した。帰るのか。


 ——名残惜しい、と思った。


「あ、ちょっと待って」


 彼女が振り返った。


「左手、出して」


「……え?」


「左手」


 意味がわからない。


 でも言われるまま、左手を差し出した。


 彼女が、俺の左手を両手で取った。


 ——……っ。


 手が、温かい。


 指先が、ゆっくりと触れてくる。


 掌の中心を、そっと。指の腹で確かめるように。一本ずつ、丁寧に。


 何これ。手相? 手相を見てるのか?


 いや待て。温かい。柔らかい。触れられてる。え?


 心臓が暴れている。周りの喧騒が遠い。

 彼女の手の温度だけが、やけにはっきりとある。


 髪から、甘い匂いがする。さっき美容院でやってもらったって言ってたっけ。

 くらくらする。


 彼女は真剣な顔をしていた。


 俺の手のひらを、じっと見ている。

 ——いや、見ているというより、触れている。指先で読んでいる。何かを。


 時間にすれば十秒くらい。体感は十分。


 ゆっくりと、指が離れていく。


「ふんふん」


 何かを確認するように頷いて。


「なるほど」


 もう一度、深く頷いて。


 それから——にっこり笑った。


「うん。いい手」


「い、いい手……?」


「頑張れ、若人よ」


 片手を上げて、くるりと背を向けて、駅のほうへ歩いていった。


 残されたのは俺一人。


 左手が、まだ温かい。


「…………」


 何がいい手なんだ。何がなるほどなんだ。何を読み取ったんだ。


 全然わからない。


 わからないのに——左手に残った温度が、胸の奥までじわじわ広がっていく。


 帰り道、ずっと左手を握ったり開いたりしていた。


 指先に、まだ彼女の指の感触が残っている気がした。


(——サキさん、か)


◇ ◇ ◇


 週明け。朝。教室。


 望が席に着くなり、椅子ごと引き寄せた。


「望」


「……なに」


「大事な話」


「朝から?」


「朝だから言う。夜まで持たない」


 望が怪訝な顔をした。


 深呼吸。正座したい気分だったが教室なので断念した。


「——俺、恋をしたかもしれない」


 望が瞬きした。


「……は?」


「この前の休みにモールで。年上の人。社会人。めちゃくちゃ綺麗で、優しくて、昼メシ奢ってくれて、仏教の話ちゃんと聞いてくれて、最後に左手触られて——」


「待て。情報量」


「とにかく、やばい。有り難い出会いだった。まさに有り難し」


「……名前は」


「サキさん」


 望の手が、一瞬止まった。


「……サキ?」


「そう。ポニーテールがすげー似合う人で——」


 望が少しだけ、こっちを見た。


「……ポニーテール」


「おう。明るい茶色の、こう、ふわっとした——」


「……いや。別の人か」


「? なんだよ」


「なんでもない。——で、連絡先は」


「……ない」


「名前わかってて連絡先ないのかよ」


「…………」


 並べられると、きつい。


「……まあ、無理だよな」


 自分で言った。言葉にすると、ちゃんと現実になる。


 望は否定も肯定もしなかった。少しだけ黙って、窓のほうを見ていた。


 チャイムが鳴った。席に戻る。


 窓の外、九月の空が眩しかった。


◇ ◇ ◇


 サキさん。名前は知ってる。でも連絡先はない。


 社会人と高校生。年の差なんて数えたくもない。


 たぶん、もう会えない。


 ——でも。


 りんごを拾ったとき、「ありがとう」と笑った顔。


 仏教の受け売りを、ちゃんと聞いて、ちゃんと返してくれた声。


 左手に残った、あの温度。


「頑張れ、若人よ」


(頑張るよ。何をかは、わかんないけど)


 有り難い出会いだった。


 一度きりだろうな。たぶん。


 ——でも、あのモールには、なんとなく、また行く気がする。

 今度は望と行こう。


 ありがたや。

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