天下無双の剣士は布団屋の常連になる
「おとうちゃん! マギシャカイスの森に、モンスターが出たあ!」
息子が突然、大騒ぎしながら店に駆け込んできた。
服のあちこちに、葉っぱや小枝の欠片みたいなものが付いている。
てっきり近所で遊んでいるかと思っていたのに、いつのまにか遠くの森まで出かけていたようだ。
「マギシャカイスの森だと!? 馬鹿野郎、あそこは入っちゃいけないって何度も言っただろ!」
村を出て、東へ徒歩数分。その辺りに広がっている森林地帯が、マギシャカイスの森と呼ばれていた。
俺たちが暮らすフリードン地方は、すっかりモンスターも駆逐された平和なエリアなのに、マギシャカイスの森では時々、ゴブリンやウィスプといった低級モンスターが目撃されるのだ。
そもそもマギシャカイスとは、古の言語で「魔法陣」を意味する言葉らしい。
かつて高名な魔導士が森の奥に住み着いて、魔術の研究に没頭していたという。その名残で森の中には今でもいくつか魔法陣が描かれたままだとか、その魔法陣が召喚魔法陣だからモンスターが出てくるとか、そんな噂もあるほどだった。
「こうしちゃいられねえ! 自警団の連中に報せて、早く何とかしてもらわないと……」
《《低級》》モンスターといっても、俺たち村人にとっては大きな脅威だ。村に攻め込まれたら、なす術もない。
自警団だって、しょせん村の青年たちの寄せ集め。たいした戦力にはならないが、数さえ集めれば、モンスターを追い返す程度は……。
慌てる俺に対して、息子は落ち着いた声で続けていた。
「大丈夫だよ、おとうちゃん。ちょうど常連のおじちゃんが通りかかってね……」
「常連のおじちゃん? シュバルトケンさんのことか!」
うちは代々、布団屋だ。
布団なんて、そう頻繁に買い換えるものではないし、一生ずっと同じ布団で眠る村人も多いだろう。
だから何度も買いに来てくれるのは、村はずれに住むシュバルトケンさんくらい。だいたい一週間に一度くらいのペースで買いに来るので、常連として息子にまで顔を覚えられるほどだった。
「……うん、そのシュバ何とかさん。あのおじちゃんが、モンスターやっつけてくれたの!」
嬉々として語りながら、息子は両手を振り回す。シュバルトケンさんの戦いぶりを真似しているつもりだろうか。
「シュバおじちゃんが斬りつけたら、あっというまに、ズタボロの布切れみたいになっちゃったの! 大人の背丈よりも一回り大きな、茶色のモンスターだったのに!」
サイズや色からすると、どうやら今回のモンスターはゴブリンだったらしい。ウィスプならば外見的には人魂に近いし、こんな言い方にはならないはずだ。
それにしても……。
「そうか……。噂は本当だったのだな……」
シュバルトケンさんは、元から住んでいた村人ではない。数年前に流れ着いて、村はずれで暮らすようになった中年男性だ。
いつも腰に剣を差していて、自警団にも誘われたくらいだが、それは断ったらしい。
「おいおい、その剣は飾りか?」
と挑発されて、一度だけ披露した腕前は、まさに見事の一言だったとか。
その場に居合わせた者たちが口々に「まるでダンスを踊るみたいに、華麗に剣を振るっていた」と褒め称える。中には「こんな村に隠遁するのは勿体ない。天下無双の剣士じゃないか!」と言う者までいるほどだった。
「……『あっというまにズタボロの布切れ』っていうなら、本当に『ダンスを踊るみたいな華麗な剣さばき』だったのか」
「そうそう、まるでダンスみたいだった! シュバおじちゃんに剣を習ったら、僕もあんなふうになれるのかな?」
息子の目には、英雄に憧れるような輝きがあった。
俺は「やれやれ」と首を横に振りながら、その肩にポンと手を置く。
「やめとけ、やめとけ。そんなことしたらお前も夜、眠れなくなるぞ」
「……え? おとうちゃん、それ、どういう意味?」
シュバルトケンさんが頻繁に布団を買い換えるのは、毎晩毎晩、悪夢にうなされるからだ。
夜中に目が覚めると、着ているものだけでなく、布団まで汗でぐっしょり。乾かしても乾かしても切りがないし、いっそ布団を変えたらぐっすり眠れるのではないかと期待して、うちに来てくれるそうだ。
店先で聞いたのは、そこまでだったが……。
ある時たまたま酒場で一緒になり、酔ったシュバルトケンさんから教えてもらったことがある。
「モンスターだけじゃない。若い頃には、人もたくさん斬った。あいつらが今頃になって、夢に出てくるのさ……」
剣の世界で天下無双まで登り詰めるのは、想像以上に大変らしい。
子供の頃は俺も、英雄譚や冒険譚に出てくる剣士に憧れたりしたが、今では一介の布団屋でよかったとつくづく思う。
(「天下無双の剣士は布団屋の常連になる」完)