第九話:未知との遭遇
一日中何をしてもいいというのは思った以上に快適だ。
こうして昼寝していても誰にも文句を言われることはない。
社畜時代は風呂の時間や寝る時間すら管理され、社会の歯車として回り続けることを余儀なくされていたが、それに比べたらここは天国のような場所だった。
今、俺がいるのは散策の途中で見つけた湖畔。
そこまで大きいわけではないが、周囲には花が咲き誇り、草食動物達が水を飲んでいる。
住処の近くにも湖はあるが、ここは何というか暖かな雰囲気だった。
まるで砂漠にぽつんと出現したオアシスのような清涼感を感じる。
舞い降りてみればふわりと花の香りが鼻孔をくすぐり、思わず深呼吸をしてしまった。
こんなに気持ちのいい場所があったのかと思わず感心したね。
こんなに気持ちいいのならと、少し水を飲んだ後で横になったらあっという間に眠りに落ちてしまった。
我ながら野性としての本能が薄いんじゃないかとも思うけど、俺もそこまで馬鹿じゃない。
ちゃんと周囲の警戒はしていたし、襲われるようなことがあればすぐに目覚められる自信があった。
この辺はドラゴンのスペックのおかげだろう。人間の時のままだったら喰われるまで気づかなかったに違いない。
まあ、警戒は杞憂に終わり、終始のほほんとした雰囲気でお昼寝できていたわけなんだけども。
たまにはこうして羽を伸ばすのも悪くない。
魔法の練習は怠っていないけど、食料に関してなら最近ではそこまで時間を掛けなくても取れるようになってきた。
少しくらいだらだらする時間があっても許されるだろう。幸せなひと時だった。
さて、とは言ってもいつまでも寝ているわけにもいかない。名残惜しくはあるが、そろそろ住処に戻るとしよう。
起き上がって軽く体をはたくと、ちらりと周りの草食動物達に目を向け、それは無粋かと思い直してそのまま飛び上がる。
こんな聖域のような場所で休んでいる動物を狩るのは忍びない。帰りに適当に見繕うことにしよう。
途中、大きな猪を仕留め、住処へと持ち帰る。
最初は仕留めたその場で食していたが、どうにも邪魔されることが多かったので今では住処に持ち帰ってから食べることにしている。
汚れるのは嫌なのでしっかり血抜きしてから持って帰るが、それでも汚れてしまうので定期的に掃除はしている。
まあ、掃除と言っても崖下に骨を投棄するだけだけど。
そのうち積みあがっていきそうだけど、景観を損なうまでになったら焼却処分も考えているから今はいいだろう。
いい昼寝場所を見つけたことで上機嫌だったので鼻歌を歌いながら住処に戻る。すると、そこには先客がいた。
『何だ貴様。ここは我の巣だ。勝手に入ることは許さんぞ』
体長は4メートルほど。緋色の身体にふんわりと触り心地のよさそうな翼。長い尾は孔雀のように幾重にも羽を伸ばし、体を覆うようにクルリと反り返っている。きりっとしたマリンブルーの瞳には警戒の色が強く出ており、完全にこちらを敵として認識しているようだった。
住処に帰ってきたら赤い鳥が住処を占領していた。何を言っているのかわからねぇと思うが……。
ってそんなことはどうでもいい。
今喋ったよね? え、喋れるの? 初めて喋れる動物に会った!
「きゃぅ、きゅぅ!(初めまして、お友達になってください!)」
『な、なに? 貴様、何を言ってるかわかっているのか?』
あ、やべ、テンション上がりすぎて思ったことが口に出てしまった。
だって喋れるんですよ? しかも、返事したってことはこちらの言葉をわかっているということだ。
今までいろんな動物に出会ってきたが、喋れる奴なんて一人もいなかった。俺は常に孤独だったのだ。
それが! なんと! ついに喋れる人? を見つけたんですよ!
嬉しくないはずがない。何から話そうかなー、えへへー。
でもとりあえず、まずは謝罪から入ろう。ここで引かれて離れられたら困る。
「きゅぅぅ。きゅっ、きゅぅ?(興奮してごめんなさい。俺は名もないドラゴンです、あなたのお名前は?)」
『我はフェニックス。人間どもにはニクスと名乗る時もある。名もなきドラゴンよ、貴様はなぜここにいる?』
人間の時の名前はあるけど、この世界ではただのドラゴンだし名前はない。
喋っているように聞こえるけど、これ実際には鳴き声のようだ。
鳴き声ではあるけど、ちゃんとした意味を持って聞こえるから喋っているように聞こえる。
他の動物は普通に鳴き声にしか聞こえないのにこの差は何なのだろうか?
知能が高いのだろうか。それとも種族の関係?
フェニックスって言ったら不死鳥の名前だ。もしかしたら高位の生き物なのかもしれない。
「きゃぅ、きゅっ(住処を探していたらここを見つけたので寝床にしてました。すいません)」
『我を狙ってのことではないのか?』
「きゅぅ! きゅきゅっ!(いえ! ほんとに知らなかったんです!)」
『ふむ』
やたらと住みやすい洞穴だなぁと思っていたけど、どうやらすでに住んでいる者がいたようだ。
うーん、なかなか快適な場所だったんだけど、先客がいるなら仕方がない。出ていくしかないよなぁ。
「きゅぅぅ(すぐに出ていくので許してください)」
『いや待て。その前にいくつか聞きたい。貴様はドラゴンの子供のようだが、親はどうした?』
「きゃぅ。きゅぅ(わかりません。生まれた時には森の中でした)」
『なに? 捨て子か? いや、ドラゴンがそんな愚かな真似をするはずがない。そもそもこの森にドラゴンはいないはず。ならばどこから……』
何やらぶつぶつと言っているが、ドラゴンは聴力もいいので全部丸聞こえだ。
この森にはドラゴンはいない? 俺はてっきり何かの拍子に巣から転がり落ちてしまったのかと思っていたけど、確かにドラゴンの巣らしきものは見たことがないな。
生まれてから結構な日にちが経っている。当然、生まれた場所周辺もくまなく探したし、もし巣があるなら見つかってもいいはずだ。それが見つからないということは、そもそも巣がないということ。ニクスさんの言うことと符合する。
どういうことだろう? 俺が別の世界から転生したことが関係しているのだろうか。
『貴様、もしかして生まれてからずっと一人で生きてきたのか?』
「きゅっ(そうですよ)」
『狩りの仕方は? 寝床の確保は? 親がいないなら何も教えられていないのだろう? ドラゴンとはいえ、子供の身でよく生きていられたな』
「きゃぅぅ(必死でしたから)」
それはもう、最初は生きるために必死だった。
転生できてラッキーみたいなことは考えていたけど、今まで人間として暮らしていたのに、いきなりドラゴンになって大自然に放り出されて、さあ生きろと言われても無理がある。
空腹で死にかけたこともあったし、動物に殺されそうな時もあった。
ドラゴンの高スペックボディのおかげでなんとなかったけど、これが他の動物とかだったら長くは生きられなかっただろう。
『……ここで放り出して死ぬようなことがあれば我の責任か』
「きゅっ?(えっ?)」
『何でもない。貴様、ここを住処にしていると言ったな。いいだろう、特別に住むことを許可してやる』
「きゃぅ!(ほんとですか!)」
『その代わり、我も一緒に住まわせてもらうぞ。ここは元々我の巣なのだからな』
警戒が滲んでいた鋭いまなざしが若干緩んだように見えた。
ニクスさんはちょこちょこと近寄ると、その大きな翼で俺の身体を包み込む。
ふわっ、暖かい……。
『案ずるな、貴様のことは我が何とかしてやる』
「きゅぅ?(今何と?)」
『これからよろしく頼むと言ったのだ。くれぐれも迷惑をかけるでないぞ』
「きゅ、きゅぅ!(はい、よろしくお願いします!)」
とってきた獲物のことなど忘れてしばし抱擁を交わす。
こうして俺はフェニックスのニクスという同居人を得たのだった。
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