第六話:ブレスの練習
周囲に動物の気配はない。木は多いが、まあそれは仕方ないだろう。
念のため周囲の木を何本か倒しておく。もし炎が飛び出して火事にでもなったら大変だからね。延焼を防ぐ意味でもこれは必要な措置だろう。
さて、ブレスだったか。とりあえず何か吐き出す感じでやってみようか。
口を開き、力を込めてみる。
「きゅああ! きゅぅあ!」
声を出しながら何度か繰り返してみるが何も出ることはなかった。
やり方が間違っているのだろうか? それともそもそもブレスなんてできないのだろうか。
後者はできれば考えたくない。やっぱりロマンは大事だ。
力の込め方が足りないのかと思い、足を踏ん張ってみるが、結果は同じだった。
お腹のあたりに力を入れてみたり、口を目一杯開けてみたり、ブレスと言いながらやってみたり色々試してみたが何も起きない。火の粉すら出ない。
うーん、ダメか。何がいけないのだろう。
まだ子供だから、体が未熟で、ブレスを吐くための準備が整っていないとか? それはあり得るかもしれない。
いくらドラゴンと言えど、子供の時からできていたら親が苦労するだろう。何かの拍子にブレスを吐かれたら大変だ。
となると、俺はまだブレスを使えないということだろうか。
そもそも、ドラゴンはどうやってブレスを吐いてるんだ?
考えられる可能性としては、ブレスを吐くための器官が体に備わっていることだ。
ブレスは属性によって変わる。つまり、その属性によってその器官で生成されるものが違うのだ。炎属性なら炎を、氷属性なら氷を生成するといった具合に。
となると、喉の奥にそういった器官があるはず。後はその器官の使い方だな。
未熟であったとしても器官自体はあるだろう。だから、ちゃんと工程さえ踏めば今の状態でもできるのでは?
俺は喉の奥に意識を集中させてみる。
喉の奥には肺があるはず。息とともに吐き出すのならば、その肺に何かしらの機能がついている? あるいは肺とは別にそういったものを生成する器官があるのか。
「きゃあ……きゅあ……」
発声練習をするが如く喉を震わせてみる。だが、それらしい器官を感じ取ることはできない。
この理論は間違っているのだろうか?
もう一つある可能性としては、魔法的ななにかでブレスを吐いているという可能性だ。
ブレスは高威力の魔法攻撃であり、それを口から吐き出しているように見えるだけ。そう言った器官があるわけではなく、口から出る魔法。
まあ、ファンタジー世界ならありうる。
あくまでお話の中の話ではあるが、詠唱すれば手から炎が飛び出すような世界観だってあるのだ。口から魔法が飛び出してもおかしくはない。
魔法か、もし使えるのならぜひ使ってみたいところだけど、そもそも存在するかどうかもわからない。
この理論が合っているなら存在することになるけど、じゃあどうすればいいかはわからない。
魔法を使う方法なんてお話によって様々だ。そのどれがこの世界で当てはまるのかもわからないし、そもそも当てはまらないかもしれない。
それならブレスを吐きだす器官があるという説の方がまだ現実味がある。
うーん、どうしたものか。かれこれ数十分はやっているが一向にコツがつかめない。
せめて火の粉の一つでも吐けたなら自信が持てるんだけどなぁ。
やはり生まれてまだ一か月程度の未熟な体では出来ないのだろうか。
ベキベキ……。
「きゅぅ?」
うんうん唸っていると、不意に背後から物音が聞こえてきた。
振り返ってみると、そこにいたのは巨大な狼。
うん、ほんとに大きい。以前にも狼に出会ったことはあったけれど、これはその比じゃない。
俺の身体の十倍くらいある。明らかに今まで出会ったどの動物よりも強そうだ。
「グルゥア!」
目線が合い、一瞬の沈黙が走る。そして、次の瞬間には巨大狼が襲い掛かってきていた。
俺なんて軽く一飲みにできそうな大きな口を開けて迫ってくる。
とっさに横に跳んで避けたが、巨大狼はすぐさま反転して鋭利な牙を向けてきた。
待て待て待て! シャレにならないから!
ここが奴の縄張りだったのか、それとも偶然ここに来たのかはわからないが、今はそんなことはどうでもいい。
俺の鱗は頑丈ではあるが、流石にあんな大きな口で噛みつかれたらやばいかもしれない。
逃げなくちゃ……!
飛び込むように地面を擦りながら凶刃を回避する。
起き上がっている暇はない。俺はすぐに翼を目いっぱい羽ばたかせた。
地面に翼が当たる。周囲の木々に擦り付けられ、うまくバランスが取れない。
早く、早く飛ばなくちゃ! 飛べば追ってこられない! 早く!
幾度となく羽ばたきを繰り返し、ようやく体が浮き始めた。後は大きく翼をはためかせれば空に一直線。
一時はどうなることかと思ったが、何とか逃げ切ることが出来た。
危ないところだった。あれは一体……ッ!?
「きゅあっ!?」
大空へと舞い上がろうとしていた体が、くんっと地上に引き戻される。それと同時に感じるのは尻尾に感じる鈍い痛み。
ハッと振り返ってみると、そこには高く跳躍し、尻尾に食らいついている巨大狼の姿があった。
そ、そんな……!
初めて痛みを感じたということにも驚いたが、地上に引き戻される感覚に絶望した。
目前まで迫っていた青空が遠ざかっていく。木々の葉がガサガサと背中に当たり、やがて地面へと墜落した。
「グルゥ……」
巨大狼は俺の尻尾に噛みついたまま離さない。まるでじわじわと甚振るようにゆっくりと尻尾を口の奥へと運んでいく。
このまま食べられてしまうのだろうか。せっかくドラゴンに転生したのに?
確かに、今までただの社畜だった人間がいきなり大自然に放り出されてそう長く生きていられるとは思っていなかった。だけど、ドラゴンという規格外の身体を与えられ、ぎこちないながらも狩りを覚え、寝床も見つけ、生活できる基盤を作り上げてきた。
なんだ、案外ドラゴンライフも楽しいじゃないか。そう思い始めていたところだったのに……。
ドラゴンと言っても所詮は子供。いずれは食物連鎖の頂点に立てる器は持っていたかもしれないが、子供ではその真価を発揮することはできない。
でも、これも運命なのかもしれない。
元々一度死んだ身なのだ。それが何の因果か新たな生を与えられ、たった一か月でも生き延びられたのだから運がいい方だろう。
このまま喰われたとしても悔いはない、か……。
…………。
……嫌だ、俺はまだ死にたくない!
せっかく受けた第二の人生、こんな形で終わらせてなるものか!
尻尾は外せそうにない。いくら俺の力が強いと言っても、それは巨大狼の噛む力も同じようだ。
ならば、こいつを倒す他に助かる道はない。
俺はドラゴンなのだ。こんな図体がでかいだけの狼なんぞに負けてなるものか!
「きゃぅ……」
無意識に息を吸い込む。
これだけ大きいのだ、生半可な攻撃は効かないだろう。だが、ドラゴンにはそれを覆すための手段がある。
まだ未熟だからできない? そんなことはない。
本能に身を任せた今、ドラゴンにできて俺にできないことはない。
「きゅぁあぁぁあああ!!」
大きく口を開け、口内にくすぶっていた物を勢いよく吐き出す。
口の端から飛び出したのは青白く輝く炎。それは瞬時に巨大狼の身体を包み込み、のみならず背後にある木々すら覆いつくした。
一瞬の静寂が走る。
次の瞬間、目の前に広がっていたのは跡形もなく消滅した大地だった。木々も草花も、そして巨大狼さえも何もない。
数十メートルに渡って何もかもが消え去った土地には残滓の様にキラキラとした輝きが散っていた。
「きゅぅ……」
た、助かった、のか?
しばし何が起こったのか理解できなかった。
今、俺は何をしていた? 無我夢中だったせいか記憶が曖昧になっている。
ブレス、だよな……? ここまでの威力なのか……。
よろよろと立ち上がって周辺を見てみる。
辺りにはいつもと変わらない森が広がっている。ただ、俺がブレスを放った直線状だけぽっかりと空間がなくなったかのように何もない。
見れば、近くの木々にはかすかに焼け焦げたような跡がある。だが、それだけであり、延焼しているとかそういうことはない。
俺が放ったブレスは青白い炎のようだった。だが、この後を見る限り炎というよりは光線と言った方がいいかもしれない。
あの巨大狼ですら跡形もなく消滅している。ブレスを吐きたいとは思っていたけど、これほどの威力だとは思いもしなかった。
使えるようになったとはいえ、これは使いどころを考えないとやばそうだ。
何とか生き延びることが出来たことに喜びを感じつつ、ブレスの火力に複雑な心境だった。
感想ありがとうございます。