第四十話:人化の術
イグニスさんが消え、代わりに現れた男性。
年齢は6、70歳ほどだろうか、精悍な顔つきに引き締まった体。
服装は黒と赤を基調とした鎧姿で、腰には二本の剣を佩いている。
赤の混じった黒髪に射竦めるような赤い瞳。
それは、先程まで威厳を放っていたドラゴンと同じ瞳だった。
「……ふむ、この姿なら怯えることもなかろう」
『え、え?』
ちょっと待って、整理させて。
イグニスさんがいきなり煙に包まれたと思ったら、姿を消し、代わりに渋いおじさんが立っていた。
もちろん、ここは険しい山の山頂、しかも活火山だ。普通の人が来られるような場所ではない。
それに、先程まで人の気配など全く感じていなかった。
イグニスさんの威圧に押されて見逃していた可能性はあるけど、仮にも俺というドラゴンを前に、こんな平然としていられる人間がいるわけない。
ドラゴンが消え、代わりに人間が現れる。
それに先程の声には聞き覚えがあった。
それってつまり、そういうことなんだよね?
『イグニスさんが、人間に……?』
「人化を見るのは初めてか? 幻獣種が人の世に溶け込むために編み出した秘術の一つだ。人間と友誼を結ぶお前なら、親しみやすいのではないか?」
『そ、それは、まあ……』
確かに、先程まで感じていた威圧感はない。
いや、強者を前にしているというプレッシャーはあるにはあるけど、それもだいぶ抑えられている。
人間の姿というのもあるんだろうけど、これは意図的にそういったものを押さえているな。
俺への配慮が厚い。
それよりも、重要なことがある。
それすなわち、人化についてだ。
『そ、その人化って、誰でも出来るんですか?』
「幻獣種であれば、少し練習すれば誰でもできる。ニクスから教わっていると思ったが、知らなかったか?」
『初耳です!』
それはそうだ。
もし人化なんて便利な方法があるなら、人と仲良くなるのにあんなに苦労する必要はなかったはずだ。
じろりとニクスを睨む。
思えばニクスもおかしかったのだ。なぜニクスが町に行っても騒がれないのか、なぜフェル達と会話が成立しているのか。
ニクスも人化を使っていたからに違いない。
なんでそんなものがありながら教えてくれなかったのか!
『ニクス?』
『貴様に人化なぞ教えたら、喜々として町に繰り出すだろう。人の姿であっても、ある程度は力を発揮できるが、かなり弱体化するのだ。そんな状態で人間の群れの中に行かせるくらいなら、教えない方がましだ』
確かに、もし人の姿になれたのなら、隠れて町に行く必要がなくなる。
堂々と町に入り込み、人々との触れあいを楽しんでいたことだろう。
人の姿になっただけで話せるようになるかはわからないけど、少なくとも人の姿なら、言葉が話せなくてもそこまで不自然ではない。
碌な教育を受けてこなかったとか、人里離れた山に住んでいたとか、いくらでも言い訳はできる。
話せなくても相手から話しかけてくれる可能性は十分にあった。
『でも、フェルと仲良くなった時に教えてくれてもよかったよね?』
『ドラゴンのままでも十分に楽しんでいただろう。連絡役は我がやれば十分であるし、下手に人間姿など見せれば何をしでかすかわからぬ。それに、教えたところですぐにできるようになるわけでもないしな』
『ぐぬぬ……』
フェルとの関係はドラゴン姿のまま築き上げたものだ。
最初こそ敵対関係にあったものの、努力の末に警戒心を解き、ようやく今の関係までこぎつけたのだ。
それはとても尊いものであるし、もっと楽な方法があったからと言って、それに頼っていたら今の関係にはなれなかっただろう。
現状でも十分満足しているのだから、教える必要はないと言われたら確かにその通りだ。
でも、ニクスは俺が元人間の転生者だってことを知っているわけで、当然俺が人間の姿に憧れていることは知っているはず。
人間と友好関係を築く云々の前に、そんな方法があるのならさっさと教えてくれればよかったのにとも思う。
そりゃあいくつかの危険があり、それを考慮した結果というのはわからないでもないけど、俺だって人間の姿のまま無茶をする気はないし、仮に攫われるとか攻撃されるとかしたとしても、最悪ドラゴンの姿に戻ればどうとでもなるだろう。大惨事にはなるだろうけど。
まさかその辺まで考慮して教えなかったのだろうか? ニクスはとても賢いからありえなくはなさそう。
『人化のやり方教えて』
だが、知ってしまったからにはもう歯止めは利かない。
そんな方法があるならぜひとも習得したい。
たとえそれで多少危険が増えようとも。
ニクスはちらりとイグニスさんの方を睨む。
不用意に人化したことを責めているのだろうが、イグニスさんはどこ吹く風だ。
怖くはあるけど、人化について教えてくれたことには礼を言おう。
『仕方あるまい。だが、すぐに使えるようになるとは限らないからな』
『ありがとう! ニクス大好き!』
もはや止めても無駄だと思ったのか、ニクスは観念したようにため息を吐いた。
人化ができるようになれば、フェルともより近い関係を築くことが出来るだろう。
人化した時の姿ってどうなるのかな? 自分で選べるんだろうか。
特に意識せずに決まるとしたら、俺がなるのは転生する前の姿な気がする。
今更元の姿に未練はないけど、それでも元の姿になれる可能性があるならありと言えばありかな?
まあ、その辺りは人化した時の楽しみにしておこう。
「ならば私も協力しよう。なに、お前の魔力ならばすぐに習得できるだろうて」
『よ、よろしくお願いします』
イグニスさんも協力してくれることになり、人化に向けての足掛かりができた。
どうやるのか知らないけど、見事に人の姿になっているイグニスさんなら先生としても申し分ないだろう。
俺は居住まいを正して顔を引き締めた。
「さて、それではまずやり方だが……」
そうして、人化のレッスンが始まった。
幻獣種が人間達の世に溶け込むために編み出した秘術。
秘術とはいえ、特に秘匿されているわけではなく、幻獣だけでなく、一部の名前付きの魔物にも使える者がいるらしい。
使うには多くの魔力が必要なようで、そこらの魔物では使えないのだそうだ。
今までなんとなく魔法を使ってきたけど、それを発動するのに必要なのが魔力というらしい。つまり、人化も魔法の一種ということだ。
「私達は体がとても大きい。これをそのまま人間の姿に抑え込もうとすれば魔力が駄々洩れになり、非常に効率が悪くなる。だから、まずは自らの力を一つの球に封じ込めるように意識してみよ。そうすれば、魔力が漏れ出ることはなくなる」
『……ええと?』
「まあ、まずはやってみせた方が早いだろう。ニクス、お手本を見せてやれ」
『いいだろう。白竜の、よく見ておけよ』
イグニスさんの説明が良く理解できなかったが、やって見せるということなのでニクスに注目する。
ニクスはなにやらぶつぶつと呟くと、次の瞬間煙に包まれた。
『……えっ』
煙が晴れた時、そこには一人の女性が立っていた。
燃えるような赤髪に海のように深い青い瞳。白い肌は滑らかで皺の一つもない。強調された胸部はそこそこ大きく、体の動きに合わせてプルンと揺れていた。
妖艶に微笑む女性は、町中で歩けば十人が十人とも振り返るような端正な顔立ちをしていた。
ただ一つ、問題があるとすれば、その女性は服を着ておらず、素っ裸だったということだ。
『えええええっ!?』
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