第三話:狩りをする
森の中というのは存外歩きにくい。ハイキングコースのような整備された道ならともかく、何の手入れも施されていない獣道のような道ばかりを進むには強靭な足腰が必要だ。
ドラゴンというのは強い種族ではあるのだろう。だが、森の中を歩くという面ではそこまで強いというわけでもなさそうだ。
なにせ歩きにくい。これが四つ足のドラゴンとかなら安定感もあって違ったのかもしれないけど、俺は二足歩行。しかもどう考えても歩くことに特化されているような体格をしていない。
平坦な道を少し歩く程度なら問題ないだろう。だが、森の中という悪路を進むには少し分が悪すぎた。
おかげで数日経った今でも俺の行動範囲はかなり狭い。少し歩けば生まれた場所に戻ってこれるくらいだ。
最近は朝に水浴びをして果物を探して歩き回り、夕方にまた水浴びして生まれた場所に戻るというサイクルを繰り返している。
生まれた場所と言っても特に何があるわけでもないのだが、なんとなくここが家のように感じている。
雨ざらしではあるが、殻の中はなんとなく落ち着くし、特にやることがなければずっとここにいたいくらいだ。
帰巣本能的なものなのかもしれない。本来ならちゃんとした巣で産まれるものだろうしね。
さて、そうして日々を過ごしていたわけだけど、ここに来て問題が発生している。
それはなにか。そう、空腹なのである。
この森は実りは豊富なのか、歩けば木の実が生っている木は割とある。
下手に押すと折れてしまうから木の枝を使って木の実を突っついて落とすという地道なことをやってそれを食しているのだが、いかんせん数が足りないのだ。
今はまだ小さいとはいえ、成長すれば体も大きくなっていくだろう。それも、人間なんて目じゃないくらいの大きさになるに違いない。それだけの巨体があれば当然食べる量も必要なわけで、その子供である俺の腹は果物程度ではまるで足りないのだ。
まあ、仮に人間だったとしても毎日果物ばかりでは足りなくなってくると思う。むしろ、ドラゴンの身でこれだけ持ったのが奇跡だろう。
今はまだ動けているが、このままでは次第に衰弱し、餓死してしまうだろう。その前に食糧問題を解決しなければならない。
と言っても、そう簡単に解決できるものでもないんだよなぁ。
森の実りは豊富だから果物以外にも野草とか茸とかもある。ただ、それだけでは足りないだろう。もっと、一度に大量に手に入れる手段がなければならない。
それが何かと考えれば、すぐに一つの答えに辿り着く。
そう、狩りをするのだ。
狩りは自然の摂理において何の問題もない行為だし、生きるために肉食獣が獲物を狩るのは当然のことだ。ただ、問題があるとすれば俺の覚悟が足りないということ。
いくら動物が相手とはいえ、生き物を殺すというのは少々気が引ける。
ドラゴンの癖に何言ってんだと思うかもしれないが、こちとらつい最近まで人間だったのだ。それも殺生なんて碌にしたこともない一般人だ。
別にこんな森の中で動物を殺したところで咎める人はいないだろう。仮に人がいたとしても、ドラゴンが獲物を狩ることに疑問を抱く人はいないはずだ。だが、生きるためとはいえ殺していいのかと迷ってしまう。
ここ最近はずっとそのことばかり考えていた。倫理観に従って殺さずにおくべきか、自然の摂理に従って狩るべきか。
答えなんて見えている。生きるためには狩りをするしかない。果物だけで食いつなげない以上は当然そうなる。
だから、必要なのは覚悟だ。生き物を殺す覚悟。
「きゃぅ……」
ふぅ、と息を吐き心を落ち着かせる。大丈夫、俺ならできるはずだ。
幸い、獲物を探す手間は必要ない。なぜならここ数日間の間にもひっきりなしに襲われているからだ。
このドラゴンアーマーはかなり高性能なのか、今まで防御を抜いてきた者はいない。むしろ痛みを感じさせた者すらいない。
ドラゴンの鱗が規格外なのか、向こうが弱いのか。いや、ドラゴンが強いんだろうな。
待っていれば獲物の方からやってきてくれる。覚悟完了してからしばし、案の定獲物はやってきた。
今回現れたのは猪のようだ。と言っても、俺の身体の数倍以上はある。
長く尖った牙を携え、荒い息を吐き出しながらこちらを狙って姿勢を低くしている。
これは早々に突進が来そうだ。いつもなら適当に避けたり受けたりして諦めるのを待つところだが、今回は違う。
可哀そうだが、狩らせてもらうぞ。
覚悟を持って睨みつけると、受けて立つと言わんばかりに勢いをつけて突進してきた。
普通なら鋭い牙に貫かれてお陀仏だろうが、俺は防御のことは考える必要はない。あの牙で俺の鱗を貫けないことは証明済みだ。
だから、俺はあえて立ち向かう。小さな手に携えた爪を振り上げ、向かってくる眉間目掛けて振り下ろした。
グシャッ!
鈍い感触と共に俺の腕が猪の眉間にめり込む。
勢いまでは殺し切れずにずざっと数メートル押し込まれたが、次第に勢いは弱まり、やがてゆっくりとその身を横たえた。
ずしん、と大きな音がする。めり込んだ腕はどうやら致命傷となったらしい。もはや猪が動くことはなかった。
大木を軽々倒すほどの力がある上、向こうから突進してきた勢いもあり、俺の腕は思いの外深く突き刺さってしまった。
腕全体に気持ちの悪い感触がする。慌てて引き抜くと、血やらよくわからない物体やらがへばりついていた。
うわ、気持ち悪っ。
慌ててその辺の草で腕を拭い、変な物体をそぎ落とす。そして、改めて猪を見た。
俺が、殺したんだよな。この手で。
そう考えると少し胸が痛んだ。だけど、この大自然を生き抜く上では仕方のないこと。そう言い聞かせて自分の行為を正当化する。
せめて、残さず食べて糧としよう。
俺は両手を合わせてしばし黙とうした後、血抜きの作業に入った。
血抜きをしないと肉が臭くなってしまう。この量を一度に食べきるのは難しいだろうから保存はしっかりしなければならない。
首元を爪で切り裂き、血を流す。
さて、どうやって食べたものか。倒したはいいが、ここには調理道具なんてない。となると、やはり生で食べるしかないだろう。
肉を生で食べるのはかなり抵抗があるが、俺はドラゴンなのだ。ドラゴンがわざわざ獲物を調理して食べるのもおかしいだろう。食あたりが心配ではあるが、一思いに齧り付いてみるのもいいかもしれない。
皮をはぎ、恐る恐る肉にかぶりつく。すると、今まで味わったことのないような充足感を覚えた。
ああ、やはり俺はドラゴンなのだ。獲物の血肉を食らい生きる獣。それが俺だ。
味は普通によかった。もっと生臭いかと思っていたけど、そこまで気にならない。そこらへんはドラゴンになったことによって感覚が変わったのだろう。人間のままだったら耐えられなかったかもしれない。
お腹がすいていたこともあり、勢いよく食べ始める。今まで我慢していた分、補うようにむしゃむしゃと。
気が付いた時には半分ほどを食らっていた。身体の体積以上食べてると思うんだけど、一体どこに消えているのやら。
残り半分はまた明日食べるとしよう。明日まで残ってればの話だけど。
とりあえず、獲物を家へと持ち帰る。
だいぶ汚れてしまった。また水浴びに行かないといけない。
俺は獲物を草葉で隠すと水場へと向かった。




