第百八十八話:一歩前へ
それからしばらくして、森を出ることになった。
チグラスさんの足取りは重く、終始無言を貫いている。
まあ、念願の精霊に会ったはいいけど、完全に否定されたわけだからね。
そして、自分に足りなく、アルマスさんにあるものもはっきりとした。
傍から見たら、その程度の差と思うかもしれないけど、チグラスさんにとっては、文字通り人生を左右する違いだった。
ここまで来てしまった以上、もう元には戻れない。
せめて、アルマスさんに比べてまだ若いことを生かして、再起を図るくらいじゃないだろうか。
「これで気は済んだか?」
「……」
「我は貴様を精霊に会わせてやった、そして、貴様の聞きたいこともすべて聞けたはずだ。これ以上、望むものはあるまいな?」
「……ああ」
ニクスの言葉に、ちょっと不安がよぎったけど、チグラスさんは、そっと顔を上げて、アルマスさんの方を見た。
相変わらず、暗い色をした顔だけど、でも、その目には、小さな光が見て取れた。
あれだけのことを言われながら、心が折られていないのだろうか。
正直、チグラスさんはこのまま、暗い人生を歩むことになると思っていたけど。
「俺に足りないものがようやくわかった。こんな単純なことに、なぜ気づかなかったんだろうな」
「チグラス君……」
「自分の夢を捨てた時点で、俺が精霊に認められる資格なんてなかった。なのに、そのことに気づきもせず、他者を羨んで追い落とそうとしたのは、完全なる傲慢だ。貴様に何を言われたとしても、仕方のないことだろう」
「わしは、君のことを恨んだりはしていないよ。一緒に仕事をする期間は少なかったが、それでも、君の作品には美があった。たとえ精霊様に認められなくても、そう悪いことではないと思うよ」
「ふっ、貴様ならそう言うだろうよ。そう、精霊に認められなかったのは残念だが、何も、精霊に認められるだけがすべてではない。そのことに、今気づいた」
そう言って、懐から一枚の紙を取り出す。
そこには、一つのデザインが描かれていた。
チグラスさんらしい、無駄を省いたラインがありつつも、ところどころに華やかさが目立つ。
今までのチグラスさんのデザインからしてみれば、少し違和感のあるものだろう。
「以前、自分の理想は何なのかと、自問自答したことがあった。世間に認められることと、自分の夢を追い求めることを天秤にかけ、前者を選んだ俺だが、それでも、描き起こすくらいは許されるだろうと、描いたものだ」
「ほう、これはなかなか……」
「夢は夢でしかない。どうせ、こんなものを作ったところで、またダメ出しの嵐に会うだけだと考えていた。だが、貴様も同じような考えで、受け入れられたことを知った。であるなら、このデザインもまた、誰かの目には止まるんじゃないかと思うのだ」
理想は理想でしかない。機能美という世間的な正解を導き出したチグラスさんは、自分の夢と融合したデザインを作り上げた。
これは言うなれば、チグラスさんが密かに秘めていた夢。精霊が言う、心の景色を描いたものではないだろうか。
「これを、貴様に託したい」
「これをわしに? だが、今の君なら……」
「いや、今の俺がこれを作ったところで、誰にも響きはしないだろう。俺はすでに、世間からイメージを植え付けられている。これを変えていくには、長い時間が必要だ」
「それは、確かにそうだが……」
まあ、今まで無駄を一切省いたデザインをしていた人が、いきなり華やかさを求めだしたら、何事かと思うのは確かだろう。
誰かに影響を受けて、徐々に変わっていくならまだわからないでもないが、いきなり変わってしまったら、何かよからぬことを考える人が出てくるかもしれない。
すでに、デザイナーチグラスは、有名になり過ぎた。
アルマスさんに追い落とされ、表舞台から去った今でも、住む町では有名人なことに違いはない。
「俺はまた、一からやり直す。だから、俺が再び戻ってくるまで、それを預かっていてほしいんだ」
「一から、ということは、またデザイナーとして?」
「ああ。機能美だけを追い求めた、デザイナーチグラスは今日で終わりだ。遠い町に行き、誰も知らない場所で、新しく始める。それが、今の俺にできる、最大限のあがきだ」
そう言って、デザインの描かれた紙を押し付けるチグラスさん。
確かに、新たな自分を始めるなら、自分のことを誰も知らない場所に行くのが一番簡単ではあるか。
このまま燻っているよりも、新たに再起を図った方が何倍もいい。
完全に心折られたと思っていたけど、まだ、闘志の炎は消えていなかったようだ。
「俺は必ず、大成して戻ってくる。それまで、死ぬんじゃねぇぞ」
「……わかった、預かろう」
アルマスさんは、紙を受けとる。
一方的に逆恨みして、一方的に敵意を向けてきた相手の言い分を、わざわざ聞く必要はないかもしれないが、アルマスさんとて、チグラスさんのことを嫌っているわけではない。
共に仕事をした時、たとえ方向性は真逆でも、お互いに認め合えていると思っていた。
そんな相手が、自分のせいで失脚したとあって、それなりに気にしていた部分はあるだろう。
だからこれは、アルマスさんなりの、贖罪なのかもしれない。
「さて、これで解決か」
「お前らも、手伝わせて悪かったな。おかげで、一つ先に進めるような気がするよ」
「よかった」
「済んだなら帰るぞ。そいつをいつまでも連れだしていたら、別の面倒事が起こりそうだからな」
ああ、そう言えば、アルマスさんは、本来は長期間王都を離れられないんだっけ。
今回は、ニクスの案で、強引に連れ出したけど、流石に、一週間以上空けてしまったらまずい気がする。
帰りも連続転移で行かないと間に合わないよなぁ……あんまりやりたくないけど、仕方ないか。
「行くぞ」
「ありがとう。またいつかどこかで会おう」
そのままチグラスさんと別れ、王都へと向かう。
しかし、随分と脱線してしまったものだ。
元々は、フェルの人化を安定させるためという目的だったのにね。
まあ、俺が色々と首を突っ込んだからって言うのはあるけど、あんなの見たら、手を出さずにはいられないだろう。
今後は気をつけようと思っても、多分無理だろうなぁ。
「いやはや、まさかこんなことになるとはね。チグラス君のことは気にしていたが、あそこまで思い詰めているとは思わなかった」
道中、アルマスさんはそう言って胸をなでおろしていた。
まあ、精霊に会ったという話から、実際にその精霊に会ってみようというのは、なかなかぶっ飛んだ発想ではあるよね。
今回は、ニクスが精霊と会う方法を知っていたからまだ何とかなったけど、そうでなかったら、本当に人生を賭けることになっていたかもしれない。
多少強引ではあったけど、無事に解決してよかった。
「あるますさん、ありがと」
「わしは何もしていないよ。君の献身的な働きが、チグラス君を救ったんだ。誇っていい」
そう言って、俺の頭を撫でてくる。
さて、帰ったらどうしようかな。アルマスさんを連れ出したことがばれたら、あの町にはいられなさそうだけど。
まあでも、今は考えなくていいか。チグラスさんが、前向きになれたことを喜んでおこう。
そんなことを思いながら、フェルの回復に努めるのだった。




