第十三話:悪夢の始まり
とある冒険者の視点です。
王都から馬車で一か月ほどかかる、辺境の町ルクス。
つい数年前にできたばかりのこの町は、現在新たな事業によって人手を欲していた。
それは王都とルクスを隔てている広大な大森林の一部を切り開き、街道と中継点となる町を作ること。
これが成れば、ルクスと王都までの行き来は格段に早くなり、物流も今まで以上にスムーズに運ぶことだろう。
現在のままでは、ルクスから王都に行くまでには、ヒノアの大森林をぐるりと迂回するように移動せねばならず、だいぶ苦労している。
だからこそ、今回のプロジェクトには王都も注目しており、いつもは乗り気でない貴族達も多くの人が出資している。
一部の人々は、国防の役割も担っているヒノアの大森林を切り開くのは愚策ではないかと非難する人もいたようだったが、王を始め、多くの有力者は耳を貸していないようだった。
まあ、そこら辺の難しい話はよくわからない。
ともかく、そんな大きなプロジェクトがあるということで、魔物の露払いをする冒険者の需要も高まっていた。
なにせヒノアの大森林は魔物の巣窟で有名だ。森の奥地には平気でAランク級の魔物が現れると聞いている。
もちろん、今回開拓するのはもっと浅瀬の場所だけど、切り開いている間にも魔物が襲ってくることは容易に想像がついた。
街道開拓の護衛。護衛依頼なんて、依頼主のわがままに付き合わされることもある嫌な仕事だけど、今回は訳が違った。
なにせ報酬がもの凄くいい。普通の護衛依頼の二倍はあるんじゃないだろうか。
「今、ルクスでは街道開拓の際の護衛を必要としている。場所が場所なだけあって報酬も高い。こりゃ早く受けないと損だぜ?」
冒険者ギルドの依頼ボードの前で得意げに説明するのは私の仲間のツェリだ。
斥候のツェリは、そういった情報を集めるのに長けている。彼がもたらす情報はいつだって正確だ。
だから、迷わずその依頼に飛びついた。
それが悲劇の始まりだとも気づかずに……。
最初は順調だった。
ほとんど人に踏み入れられたことのないヒノアの大森林の木々は、そこらの木に比べてかなり大きく、一本伐採するだけでもかなりの労力を必要とする。
それでも、数に物を言わせて次々と伐採しては丸太が運び出されて行った。
当然、伐採していれば大きな音が出る。その音につられて魔物も現れた。しかし、こちらも多くの冒険者が護衛となっていたために、そこまで苦労することもなく撃退できていた。
私はまだ、ツェリやリーダーのサジェット達に頼ってばかりで、あまり主だった活躍はできていないけど、いざとなれば一対一でも魔物を討伐できる自信はあった。
よく背が低いと馬鹿にされるけど、これでも私は15歳でもう立派な成人だ。剣の腕だってかなり鍛えてきた。
だから、みんなが守ってくれるばかりのこの状況は、少し面白くなかった。
ああ、こんなことならもっと強い魔物でも出て、私も活躍できたらいいのに。
そんなことを思った。思ってしまった。
それが悪かったのかはわからない。すでに運命は決められていて、私が何を思ったところで結果は変わらなかったのかもしれない。
でも、私はそんなことを思ってしまったことを激しく後悔した。
「ガアァ!」
突如、雄たけびと共に現れたのは、一匹のワイルドベアー。普段は森の奥から出てこず、滅多にお目にかかれないAランクの魔物だった。
ここに集った冒険者はDランクからCランクばかり。とてもではないが、Aランクの魔物を相手できるはずがなかった。
そこからは一方的だった。ひとたび奴が腕を振るえば、人間など紙屑のように宙を舞う。
一撃一撃がすべて即死級であり、防御なんてものは意味をなさない。
初めに木を伐っていた労働者がやられ、それを守ろうとした冒険者がやられ、現場はすぐに崩壊した。
恐怖心から命からがら逃げる者、護衛としての務めを果たそうと勇敢に立ち向かう者。私の仲間は後者だった。
「フェル! みんなを連れて早く逃げろ!」
私の名を呼ぶ声が聞こえる。こんな時でも私を心配してくれる仲間には感謝の念しかないが、それを聞き届けることはできなかった。
何が目に付いたのか、ワイルドベアーが私に向かって突進してきたのだ。
とっさに剣を抜くが、そんなものでは止められないことはわかっている。
私が、あんなことを考えてしまったから……。
後悔に涙が溢れてきた。ここで私は死ぬんだと理解した。
その時。
「させるかぁ!」
リーダーのサジェットが私の前に飛び出してきた。そして、私の代わりにワイルドベアーの凶刃を受ける。
鮮血が舞い散る。肩に鋭い痛みを感じる。
あろうことか、ワイルドベアーはサジェットもろとも私のことを引き裂いてきた。
サジェットが盾になってくれたおかげで怪我程度で済んだ。もちろん、利き手の肩口をバッサリいかれたから、もう剣を握ることはできないだろうけど。
でも、それなら攻撃をまともに受けたサジェットは?
見るのが怖かった。ずっと目を閉じていたかった。でも、それは死を意味する行為。せっかく救われた命を、こんなところで捨てるわけにはいかなかった。
弾き飛ばされたのか、サジェットの身体は少し離れたところに横たわっていた。
この依頼が終わったら、新しい防具に新調するかと話していたハードプレートは粉々に砕かれ、大量の血が地面を濡らしている。体はピクリともせず、それが彼の状態を物語っていた。
「い、いやぁぁぁああ!!」
気が付けば、辺りには誰もいなかった。ツェリも、ミーシャも、他の冒険者達も労働者も。
果敢にも立ち向かった冒険者達は今や見るも無残な肉塊となり、辺りに転がっている。
私は耐えられなかった。
涙が溢れてくる。
どうして、どうしてこんなことになってしまったの!? 私はただ、みんなと一緒に冒険ができるだけで、それだけでよかったのに……。
ヒノアの大森林の脅威を甘く見ていたということなのだろう。正直に言って、こんな場所にAランクの魔物が出てくるなど夢にも思っていなかった。
目先の報酬につられて安全を取りこぼした。
誰が悪いというわけではない。悪者がいるとすれば、それは唐突に現れ、人々を蹂躙したワイルドベアーだろう。
あいつさえいなければ……!
「お前だけは……お前だけは、殺す!」
利き手ではない方の手に剣を握り直す。
どうせこの傷では逃げられない。だったら、せめて一矢報いなければならない。
私の大切な仲間を殺したこいつだけは、どうしても許せなかった。
がむしゃらに切りかかる。利き手でない上、傷の痛みも相まって力は全然入っていなかったが、そんなことは関係なかった。
何でもいい。切り傷の一つでも入れなければ気が済まなかった。
ワイルドベアーの腕が振るわれる。とっさに後ろに飛びのいたが、わき腹を掠ってしまった。
それだけで、私の身体は動きを鈍らせてしまう。
死ぬ。これは死ぬ。でもせめて一撃だけでも……!
私の頭の中にはそれしかなかった。復讐する気持ちだけが私の身体を突き動かした。
満身創痍でふらふらと立っているだけが精一杯の中、それは唐突に現れた。
急に目の前に降りてきた巨体。着地の衝撃で地面が揺れ、私はバランスを崩して倒れてしまう。
顔を見上げるとそこには、真っ白な魔物の姿があった。