第8話『猛省』
セレナの指した方角へ進んでいくと、やがて、大地がすり鉢状に沈み込んだ広い地形にたどり着いた。
斜面の内側には複数の断層が走り、ところどころに黒く砕けた甲殻が積もっているのが見える。
中心には、滑らかな黒褐色の岩に囲まれた楕円形の穴が露出していた。
地面は乾いており、足を踏み入れるたびに細かい砂がわずかに舞い上がる。
『周辺に敵はいないようだし…降りてみるか』
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足場の傾斜に注意しつつ、中心部へ向けて慎重に歩を進める。
その途中、岩壁と砂地の境にいくつかの食材を発見した。
壁の割れ目に複数生えていたのは、食べ応えのありそうな、肉厚な黄色いキノコの「グローベル」。
鑑定したところ食用可能で、乾燥させると風味が増すとのことだった。
試しに生で食べてみたところ、表皮の下の僅かな水気からキノコ特有の香ばしさが口いっぱいに広がり、思わずほっぺたを押さえる。
『美味すぎだろ…!生でこれなら、乾燥させると一体、どうなるんだ…!』
また足元の砂地の間から、やや光沢のある橙色の根が見えている。
これも鑑定によると「ルマリの根」と呼ばれる根菜で、軽く掘るだけで簡単に引き抜くことができた。
表面の砂を払ってそのままかじると繊維質な歯ごたえがあり、咀嚼を続けるうちにほのかな塩気が染み出してくる。
『うむ…ずっと噛んでられるな…これはこれで、クセになるな…』
どちらの食材も目視できる分をできるだけ採取し、持ち帰ることにした。
作業を終えると、視線を再び地形の中央へと向けた。
そのまま中央の穴の前まで進み、まずは《サーチ》を起動する。
中を覗き込むと、入り口付近の天井は低く、手を伸ばせば届きそうな箇所もあるようだった。
しかし、その先の通路は複雑に入り組み、奥の構造を見通すことができない。
──危ないかもしれないから、気をつけるんだよ──
セレナの言葉が不意に頭をよぎる。
ここまで何も危険がないことが、逆に不気味に感じる。
『慎重に進むべきだよなぁ…』
この狭さで不意に魔物が現れれば、対応は難しい。
可能な限り、内部の構造を把握しておく必要があった。
改めて《サーチ》を起動し、更に目を凝らし、集中して奥を見続ける。
すると、ふいに視界の中心を青い線が走り、声が響いた。
**《千里眼》——発動。遠方・死角含むスキャングリッド可視化。**
次の瞬間、周囲の地形全体に青く光る格子模様が走り広がった。
その効果は地下や壁の裏側にまで及び、隠れていた構造を浮かび上がらせていく。
奥部の一点に、ほかとは異なる《特殊な魔力反響を持つ何か》が落ちているようだ。
また、それと同時に、地下空間で無数に蠢く敵影の輪郭も、光の線で描き出されていた。
それらはどれも、厚みのある前足を備えた大型のアリに見えた。
『セレナが何を言いたかったのか、正直よく分からなかったが……
“この奥に《人工的な球体》に関する何かがある”ということかもしれない。
それと……ここはアリの巣ってことか。』
集中力を持続できず、《千里眼》の視界はすぐに途切れてしまった。
『仕方ない…様子を見ながら進んでみるか。』
******
慎重に開口部から中へ入り、足音が響かぬよう注意を払いながら、暗い通路を進んでいく。
いくつかの分かれ道と小部屋を通り抜けたが、一匹も巨大アリに出くわすことはなかった。
少し気が緩み、何気なく曲がり角に差し掛かったときだった。
すぐ右手の壁から、巨大な触覚を備えた頭がひょこっと現れた。
わずか数歩の距離で見つめる巨大な複眼と、不規則に鋭く並ぶハサミ……いや、口が目前にある。
<<——シャドウアント。 黒殻の群。>>
尻尾がピンッと立ち、思わず体が固まってしまった。
しかし、相手も意表をつかれたらしく、壁から頭だけ出して静止している。
「ギ…」
「や、やぁ?」
とりあえず、笑顔で片手を上げてみる。
瞬間、その触覚がびくりと動いて、
「キエエエエエエエエ!」
「うわあぁあああああ!」
突然の奇声に、こちらも反射的に叫んでいた。
慌てて臨戦体制を取るが、なぜかこちらには向かって来ず、
「キエエエエエエエエ!」
相手は叫び続けながら、ガサガサと逃げるように壁の奥に消えていった。
慌ててこちらもその場を離れ、来た道を引き返す。
追ってくる気配がない。
バクバク言ってる心臓を宥めようと、両手を胸の前に合わせて押し付ける。
危ないところだった──
少し呼吸を整えてから、通路を変えて進むことにした。
******
再び進んだ通路の先に、荷物を運ぶアリの列が見えてきた。
全員が小さな緑色の実を抱え、等間隔で一方向へと進んでいる。
周囲に分かれ道はなく、どうやらこの列に紛れない限り、先へは進めそうにない。
しばらく様子を観察していると、一定の間隔で、アリの間にひとつ分の空きが生まれることに気づいた。
『これしか策はないってことか……』
収納膜から大きめの実を取り出し、通路の脇で呼吸を整える。
アリの動きを見計らい、タイミングよく空いた隙間に滑り込んだ。
列の流れを乱さぬよう、歩幅と速度を合わせて進んでいく。
いくつかの角を曲がり、小部屋を過ぎていき…
…順調なペースに気が緩み、つい、鼻歌が出てしまった。
その瞬間、前方の個体がぴたりと立ち止まり、ゆっくりとこちらを振り返る。
直後に列全体が止まり、後ろの個体もこちらを見つめている。
──沈黙が流れる。
空気に耐えられない。信頼を回復しないと…
仲間であることを証明するために、自分の黒毛を指差して笑いかけた。
その直後、相手が鋭く甲高い声をあげる。
「キエエエエエエエエ!」
反射的にこちらも叫ぶ。
「うわあああああああ!」
慌てて列を外れて走り、物陰に身を隠すが、追ってくる気配はないようだ。
このままではダメだ──
ひと呼吸置き、さらに先に進んでいく。
******
再び別の列に紛れて進んでいくと、アリたちの食糧庫に辿り着いた。
荷物を置いた個体同士が、互いの触覚を交差させて挨拶しているようだった。
やがて順番が回ってくる。
だが、何をすべきか分からない──
アリはこちらを見ている。
額に汗がじわりと滲む。
控えめにヒゲで触れてみた。
その直後、相手が鋭く甲高い声をあげる。
「キエエエエエエエエ!」
反射的にこちらも叫ぶ。
「うわあああああああ!」
慌てて食糧庫を飛び出すが、追ってくる気配はなかった。
俺は何をやっているんだ──
なんとかしないと。決意を新たに更に奥を目指していく。
******
細い通路を抜けた先に、食事場が広がっていた。
全ての席には、アリたちが規則正しく座っている。
それぞれの前には、瑞々しい果実が盛られていた。
仕方なく視線を逸らしながら、空いた席に腰を下ろす。
間もなく、自分の前に皿が置かれた。
だが…盛られていたのは、昆虫の脚や節のような部位。
生臭さが立ちのぼる。
周囲のアリたちは、美しい果実を口元に運んでいる。
咀嚼音が、空間に静かに響いていた。
ふと気づくと、隣の個体が動きを止めてこちらを見ている。
次いで、もう一体。そのまた次も。
やがて、全員が動きを止め、視線だけがこちらへと集中した。
沈黙が続く。
──耐えきれない。
「何で俺だけぇぇぇぇぇええ!」と叫んで駆け出す。
通路の奥へ逃げ込み、大きく息を吐く。
このままじゃダメだ──
気を引き締めなおし、更に奥を目指していく。
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身体強化系:《高速木登り》《高速滑空》《千里眼》
便利系:《サーチ》《鑑定》
皮膜系:《収納膜》
尻尾系:《ファントムテール》
肉球系:《ジャンプスタンプ》《ショックスタンプ》
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次回2025/8/8、9話を更新予定です