第7話『詩の放浪者』
彼女の衣装は白を基調としたマントローブで、音の波紋を思わせる細やかな刺繍が縁を彩っていた。
その身を包むように、二筋の魔力の紋様が柔らかな光を帯びながら交差して流れている。
長い髪は薄紫の色を帯び、毛先だけが緩く編まれて背に垂れていた。
銀縁の細いメガネ越しにのぞく紫の瞳には、淡い紋様が静かに宿っている。
一見して人間の女性──だが油断はできない。
それでも彼女は、何の警戒も示さず、ただ穏やかに微笑んでおり、言葉を発する様子がない。
焦れて、こちらから問いかけてみる。
「ここで何をしている?」
ゆるやかに首をかしげながら、微笑を保ったまま彼女は答える。
「きれいな音が響いていたから。」
説明になっていないが、嘘をついている風でもない。
眉を寄せたまま、視線だけで相手の足元や手の動きを探る。
「どこから来た?」
問いかけに答えず、彼女は静かに上を指差した。
『…バカにしてるのか?』
視線を鋭くしながら、思わず内心で毒づく。
だが彼女には、まるでそれが自然なことのような無邪気さがあった。
「仲間はいるのか?」
「私一人だよ」
軽く肩をすくめながらの答え。声も視線も変わらず穏やか。
「他に人間はいないのか?」
「ここまでは来れないと思うよ」
不思議そうに、彼女の瞳がこちらをまっすぐ見つめ返す。
その反応には、「どうしてそんなことを聞くの?」とでも言いたげな雰囲気があった。
「じゃあお前はどうやってここに来たんだ?」
「音に導かれて来たよ」
微笑を深め、楽しげに言った。
──話が通じていないのではなく、世界の見え方がまるで違うような感触。
警戒は解けきらないまま、それでも「敵意のない相手」であることは徐々に体で理解し始めていた。
「ここはどこなんだ」
「《律音の庭》と呼ばれているよ。大好きな場所なんだ」
彼女は嬉しそうに笑みを返す。
「所々にある刻印が気になってる。あれらにはなんの意味があるんだ」
「他とは違って、凄く神秘的な音色だよね」
その返答に、わずかにため息が漏れた。
答えてはいるが、肝心な情報には触れていない。
どうやら彼女は、質問の意味を理解していないわけではないが、視点がずれているのだ。
──その瞳の奥から、わずかに漂っていた淡い紋様が静かに消えた。
彼女はふいに動きを止め、じっとこちらを見つめたまま、すっと顔を近づけてくる。
「な…なんだよ…」
思わず身体を引くが、距離を詰める彼女の気配に圧はない。
目の前でメガネをクイッと上げ、さらにじっと見つめてくる。
その瞬間、瞳の形が不自然に変わった。
ハート型──
何かを察するより早く、
「何ちょっとキミ!モモンガじゃない!ヤダきゃわわわわ!!モフモフじゃないの!!」
突然抱きついてきた。
「なんだお前!ヤメロ!」
必死にジタバタと暴れるが、力の差も体格差もどうにもならない。
「あああああああ!スーハー!かわいい!!あああああああ!スウウウ!ハアアアアア!!イイ!!…あああ!」
散々腹に顔を押し付けた後、感極まったように顔を上げた。
「うわああああああ!」
その隙に抜け出し、全速力で飛び退く。
数秒後──
彼女は頬を赤らめ、肩で息をしながらメガネをクイッと整える。
「フゥ…フゥ…。…そう…あなたは迷っているのね…」
「…ハァ…ハァ…なんだ…おまえは…」
汗を滲ませたままにらむと、彼女はきょとんとした顔を浮かべる。
「私?」
今度は表情がふわりと引き締まり、瞳の奥に再び幾何学的な淡い紋様が現れる。
「私は…セレナ。セレナ=ハーモニック。“詩の放浪者”と呼ばれているわ…」
指先にライアーが現れ、静かに弦をはじく。
…♫…♪……♫………
「えぇ〜…」
『いやほんとに、なんなんだこいつ…
突然楽器を出したが、あれも収納膜みたいなものか…?? あの音楽は一体…
だが、危険はないはず。その気ならとっくにやられてる…
ただ、害意は無さそうだが、別の意味で相当ヤバいだろ…』
会話はその後も淡々と続くが、噛み合わない。
「岩が青く光ってるのは何だ」
「ルーミナ菌よ」
「なんで光ってるんだ」
「霊力を表面に付着させてるのね」
「霊力?」
「霊脈を巡る命だよ」
その言い方があまりに当然すぎて、返す言葉を失う。
セレナは困惑するそぶりもなく、ただ楽しげに話を続ける。
「あっちの方角で見かけた、壊れたような《人工的な球体》──あれはなんなんだ?」
「…あれは凄く綺麗だよね。きっとあなたに合うわ」
『ダメだほんとワカラン…』
ふいに、セレナは遠くを見るような視線になった。
そして塔の奥へ向かって、そっと指を差す。
「あっちに行けば、綺麗に重なると思うよ」
「重なるって、何が?」
声をかけて振り返ると──そこには誰もいなかった。
「…セレナ?」
警戒態勢を取り直しながら周囲を見渡すものの、気配がない。
上階を探してもいない。
1階に戻るが、やはり姿が見えない。
(あっち、って言ってたな…他に情報がないしな…)
しばらく黙考する。
セレナが何を指していたのか。意図は掴めない。
それでも、あの視線は真剣だった。
入ってきた小窓から外に出てみるが、やはりどこにも彼女の姿は見当たらない。
セレナの指さした方角に進もうとしたその瞬間。
「危ないかもしれないから、気をつけるんだよ」
声に反応して振り返ったが──
やはりそこに、彼女の姿はなかった。
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身体強化系:《高速木登り》《高速滑空》
便利系:《サーチ》《鑑定》
皮膜系:《収納膜》
尻尾系:《ファントムテール》
肉球系:《ジャンプスタンプ》《ショックスタンプ》
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次回2025/8/1、8話を更新予定です