第2話『彷徨』
あてもなく歩みを進めていた。
なぜ自分がここにいるのか。ここで何をしていたのか。
記憶を探ってみるものの、何一つ思い出せない。
冷たい空気が漂っている。
奥へと進むほどに、湿った石の香りが鼻腔をくすぐる。
歩いている——いや、正確には跳ねている?
四肢を動かすたびに、体が軽やかに浮かぶ。
『……この体、動きが妙に軽すぎる。』
少し力を入れれば、ふわりと浮く。
意識しなくても、自然に滑空するように前へ進む。
試しに壁際まで跳んでみる。
近くの岩肌に手を伸ばし——軽く足を掛ける。
次の瞬間、思った以上に勢いよく登っていた。
木の幹ならまだしも、ほぼ垂直の壁だぞ?
『なんだこれ……あり得ない速さで登れるな。』
この身体の機能は、人間の常識では語れないようだ。
ともかく軽い。速い。跳べる。そして、滑るように空間を移動できる。
考えるよりも先に、体が適応し始めていた。
——生きるためには、この身体を使いこなすしかない。
******
上へと進んだことで、視界が広がる。
遠くの壁の隙間に、何かがぶら下がっていた。
細長いツタのようなもの。
その先端には、小さな実がついている。
壁を伝って慎重に移動し——警戒しながら爪先で実をつつき…その一つちぎってみる。
鼻をピスピスと近づけてみるが、悪い匂いは感じない。
……食えるか?
鼻先の匂いに集中したその時、脳内に言葉が響く。
**《鑑定》——発動。基本情報確認。**
<<——グルーツ・バインの果実。 食べられる。>>
それが何かを教えるように、脳内に響く言葉。
…さっきは《サーチ》…次は…《鑑定》…?
何かの能力…?
…食べられる…って聞こえたな…
その言葉を信じて、その実を小さく噛んでみる。
固い皮を破ると、渋さが口いっぱいに広がる。
…味はともかく、これを食べれば飢えは凌げそうだ。
渋い顔をしながら、この状況について思考する。
さっきは周囲の状況を知ろうとした…そして今回は鼻先の匂い…強く集中した時に、能力が手に入るのか?
******
さらに進むと、天井の隙間から水滴が落ちている。
近づくと透明な水……いや、少しだけ粘度がある?
しかも動いてるような…
先ほどと同じく脳内に言葉が響く。
<<——ウォータースライム。 飲める。>>
…飲める!?…スライムを!?
気は進まないが、他で水を得られる保証はない。
慎重に爪先でチョンチョンと触れてから、すくうように手を差し込んでみると、肉球の上にトロンと一部が垂れ落ちた。
鼻先をヒクヒクと近づけて集中すると…ほのかに甘い匂いがする。
思わぬ良い匂いに首を傾けながら、もう片方の爪先で体の横をトントンして悩む。
少しだけ舐めてみるか……
……美味い…!
とりあえずいけそうだ。
グルーツ・バインの果実をいくつか食べ、ウォータースライムを少しだけ飲む。
…やっぱり…特に問題なさそうだな。
周囲に危険な生き物の気配も感じない…
…一旦ここで休むことにするか…
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満腹になった彼は、一つの問題に悩んでいた。
その問題とは…『この体では、ほとんど物を持ち運びできないのでは?』ということだ。
ここの食糧が尽きたらどうなる?次に手に入れられる保証がない。できる限り周囲を探索する必要がある…
…とはいえ、食糧無しでどこまで行ける?その前にこの手だ。実を2つ持つだけで終わりでは?両手に実を持った状態では、壁も登れないし、走れない。
悶々と悩んでみるが、答えは出ない。
何か持ち運びする方法がないものか——
悩むものの答えは出ない。
…まずは冷静になるべきだな。
一旦落ちついて、まずは状況整理…自分の体について、再度チェックしてみることにする。
まず、体は小さい。
これまで気付かなかったが、よく見ると体全体が丸みを帯びているようだ。
背中の毛は黒く、腹毛は青白い。毛並みには艶やかな光沢がある。
次にヒゲ——。爪先のように鋭い感覚があり、思い通りに動かせる。
尻尾を左右に振ってみる。ともかくフワフワしていて柔らかく、我ながら気持ちがいい。こちらも自在に動かすことができる。
腕は思ったよりもかなり広く伸ばすことができる。また手の指は4本しかないが器用に動かすことができるため、小さいこと以外、不便を感じない。爪の先まで鋭く感覚が行き届いていることが分かる。
そして何より気になるのが…手から足にかけて繋がっている謎の"膜"だ。手足を広げてみるが邪魔にならず、よく伸びる。
…これをうまく活用できないか…
爪先で押してみると弾力があり、"膜"には痛みを感じない。
つまんで引っ張って、どこまで伸びるのか、力一杯試していると——
——その瞬間、脳内に何かが浮かんだ。
**《収納膜》——発動。たくさん入る。**
…"膜"からお腹にかけて"妙な空間"を感じる。"そこ"に手を突っ込むと、まるで、どこか別の空間に繋がっているような……。
——これが収納膜の中か。
探ってみると、いくつかの区画が直感的に認識できる。
意識を向けると、まるで整理された倉庫に収められる感覚がある。
直感的に出し入れできるのは間違いない。
中をモソモソ探っていると……
"水袋"がいくつか収納されているではないか。
『便利さが謎すぎる……他には何もないっぽいな。』
水袋一つを爪先で摘み、ゆっくり引き出してみる。
細部まで縫い付けられていて、フタ付き。問題なく使用できそうだ。
これで食糧問題は解決だな。
少しずつ、生存の基盤が整っていく——。
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奥へと進む。
やがて、視界の端に朽ち果てた何かが見え、慎重に近づいてみる。
…機械? ダンジョンの中に?
周囲を見渡すが、建造物は見当たらない。この機械はここで何をしていたのか。
考えてみるものの、今は分からない。
進むべき道は、まだ深く続いていた——。
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便利系:《サーチ》《鑑定》
皮膜系:《収納膜》
次回2025/6/27更新予定です。