第142話 虚数生成
いつもお読みいただきまして、ありがとうございます。
――世界とは、真実だけで構成されているわけではない。
夢、嘘、仮定、希望、想像、幻想。
それら虚数の概念こそが、現実を成立させる“余白”となる。
選ばれなかった未来。語られなかった物語。生まれなかったはずの命。
そのすべてが、新たな“起源”となるならば――
蓮たちは今、かつて誰も足を踏み入れたことのない“境界面”を歩いていた。
星幽の境域〈アストラル・ネクサス〉を超えて顕現した、新たな地平。世界がまだ定義されていない“空白の次元”。
〈想素層〉と呼ばれるその場所は、物理法則すら未設定のまま、存在だけが浮かぶ混沌の原野だった。
「空なのに……何もないはずなのに、押し返されるような圧を感じる」
リーナが魔力感知を展開するが、術式は霧散し、虚空に呑まれる。
「この空間……術式の構成要素そのものが意味を持たないんだ。まるで、“意味”という概念がまだ生成されてないみたい」
「それでも、ここは確かに“世界”だよ」
シャムが呟く。
彼は虚空に手をかざし、何かを掴もうとするような仕草を見せた。
「……これは、感覚の領域だ。“もしも”が、ここには染みついてる」
“もしも”。
イリスの竜眼が、虚空の奥にちらつく光を捉える。
「存在しなかったはずの命。選ばれなかった記憶。捨てられた物語が……この空間の基層に集まっているわ」
蓮は静かに頷き、手の中に“例の羽ペン”を出現させる。
選定の間で授けられた運命記述の道具。書くことで“可能性”を生成する力。
そのペン先が、虚空に触れた瞬間――
生成が始まった。
光の粒が渦を巻き、無の空間にひとつの輪郭を生じさせる。
歯車、羽根、鏡面、植物、そして人のようなシルエット。
「これは……?」
「生成だ。俺たちがここに入った時点で、空間が反応している。“想像”を媒介に、虚数構造が自己増殖を始めた」
その構造体は、まるで誰かの“記憶”や“未練”を辿るかのように、曖昧な形状のまま世界を構成し始める。
そして、次の瞬間――それは“声”を発した。
『……ようこそ、創造者』
空間に響くそれは、意思すら定かでない存在だった。
実体化したのは、白と黒の入り混じる仮面を被った“子ども”のような姿。
「私は、虚数生成体。識別名は《フィクション・ゼロ》。選ばれなかった未来たちの集合意識にして、世界の“もしも”を担う存在」
蓮は眉をひそめた。
「“もしも”の集合体……?」
「そう。貴殿が選ばなかった未来たちが、排除されず、ここに集積された。ゆえに私は、存在してはならなかったはずの“起源”」
フィクション・ゼロは手を伸ばし、空間に揺らめく“可能性の泡”を掬う。
それは、かつての仲間が倒れた未来。
世界が滅びた未来。蓮が英雄になれなかった未来。
「君の選定によって、私は生まれた。そして、貴方が創造者となった今、私にも“問い”が生じる」
「問い……?」
「――私たち、虚数の未来にも、存在する価値はあるのか?」
重い沈黙が場を包む。
蓮は、言葉を探すように仲間たちを見やった。
イリスは静かに頷き、リーナは泣きそうな顔で泡の記憶を見つめ、シャムはあえて視線を逸らしていた。
「存在価値か……」
蓮は、静かにペンを掲げた。
「……俺は選定のとき、選ばなかった未来たちを切り捨てることに、少なからず痛みを感じた」
「……」
「でも、それらが集まり、君になったのなら……俺は、君に“もう一つの可能性”を与えたい」
その言葉に、虚空が振動する。
「君を……この世界の“外部記憶領域”として、世界に接続する。存在しないはずの未来を記録し、時に導く“可能性のアーカイヴ”に」
フィクション・ゼロの目が見開かれる。
「私に……役割を?」
蓮は頷き、ペンで空間に記述を走らせた。
《虚数記録者フィクション・ゼロ》、世界外アーカイヴ領域に登録。存在は確定せず、しかし否定されない。
その一文が記された瞬間、虚空が色を持ち、風が吹いた。
“もしも”が、“願い”へと変質した。
「……ありがとう、創造者」
フィクション・ゼロは微笑み、ゆっくりと光へと溶けていった。
その姿は、“消滅”ではなかった。
“拡散”。
無限の虚構へと広がり、世界の片隅に“可能性”として残り続けるための、新たな生命。
蓮たちは再び歩き出す。
“未設定”だった空間が、少しずつ“構成”されていく。
見渡す限りに拡がる、真新しい世界。
イリスが小さく呟いた。
「この場所……名前をつけるなら、どうする?」
蓮は、微笑んで言った。
「〈イマジナリー・オリジン〉――虚数の起源さ。俺たちの、物語が生まれる“もう一つの始まり”だ」
彼らの背後には、数え切れない“もしも”が希望として灯り始めていた。
それは、世界を紡ぐ者たちの記憶となり、新たな未来への助走となるだろう。
ブックマーク・評価・いいね、出来れば感想とレビューをお願いします!
モチベーション向上のため、よろしくお願いします!!




