第101話 密輸商人との交渉
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酒の匂いと湿った木材の香りが混ざり合う、薄暗い酒場の一角。その中で、シャムはカウンターの男と対峙していた。
「……話次第じゃ、面白い取引ができるかもしれねぇな」
無骨な男は低く唸るように言った。
男の名はグレン。アドリスの裏社会では密輸の仲介人として名を馳せる人物だという。帝国の厳しい統制の目をすり抜け、物資や情報、人材までもを裏ルートで動かす手腕を持つ。
「俺は、ある商品を定期的にアドリスに流したいと思ってる。だが、正規の流通じゃ検問が厄介でな」
シャムは低い声で言う。
「ほう。商品ってのは?」
「香辛料と魔道具。そして……いずれは武器と薬品もだ」
グレンの目が細められた。酒場のざわめきが一瞬だけ遠のいたように感じる。
「派手な取引を希望してんな。相手が帝国じゃ、そいつは命を削る商売だ」
「だが、儲かるだろう?」
シャムの口元が僅かに吊り上がった。
「リスクの高い商品ほど、対価は大きいはずだ。違うか?」
「……気に入ったぜ、小僧」
グレンがグラスを傾ける。
「今の帝国は、あらゆる物流を中央で握りたがってる。特に魔道具や香辛料みてぇな嗜好品はな。逆に言やぁ、そいつを欲しがる連中は山ほどいるってこった」
「なら、話は早い」
シャムは懐から一つの小袋を取り出した。中には、細かく砕かれた濃紅色の香辛料が入っている。
「これは?」
「『紅火胡椒』。西方大陸の山岳地帯にのみ自生する香辛料で、口にすれば喉の奥から火を噴くような辛さが広がる」
グレンが指先で香辛料を摘まみ、舌に乗せる。
「……くぅッ! なんだこりゃ……クセになる味だな」
「貴族に人気の一品だ。だが、帝国では禁輸対象になっている。理由は単純。中毒性があるとされているからだ」
「なるほどな」
グレンは舌を鳴らした。
「そんなもんを流し込むってんなら、協力してやってもいい。ただし、条件がある」
「聞こう」
「一つ目。取引はすべて現金払い。信用取引はしねぇ」
「了解だ」
「二つ目。品は絶対に俺を通せ。勝手な流通は、こっちの首を絞める」
「当然だ」
「三つ目。……あんたの“後ろ”にいる奴を紹介しろ」
シャムの眉が微かに動いた。
「“後ろ”? 誰のことを言っている?」
「とぼけんな。お前の背中には妙な気配がある。商人って柄じゃねぇ。まるで戦場帰りの獣みてぇな……それに、帝国じゃ見たことのねぇ雰囲気が漂ってる」
グレンが眼光を鋭くした。
「どうせ裏にスポンサーか、組織がいるんだろ? 俺はな、そういう力を持った連中とは長く付き合いてぇんだ」
シャムは一瞬、口を噤んだ後、低く笑った。
「なるほど。観察眼は確かだな」
そして、酒場の片隅に目をやる。そこには、リーナの気配を隠したまま待機していた。彼女が小さく頷く。
「いいだろう。後日、正式に紹介する。ただし……その前にお前の“信用”を見せてもらう必要がある」
「ほう、俺にか?」
「輸送ルートの一部を教えてくれ。どこを通って、どうやって監視をすり抜けているのか。それが分かれば、こちらからも商品を流しやすくなる」
グレンは少し考える素振りを見せた後、酒を一口飲んだ。
「いいぜ。だが、情報はこの場だけにしてもらう」
「承知した」
その後、シャムとグレンは酒場の奥の個室へ移動した。
テーブルには簡易な地図が広げられる。
「このルートを見ろ。アドリスの東、森を抜けた先に“忘れられた峠道”ってのがある。ここを使えば、監視の目を避けて都市の外れに入れる」
グレンは、懐から短い巻物を取り出して机に広げた。そこには手書きの簡略地図と、いくつかの地点に赤い印が記されていた。
「ここが“中継所”だ。仲間の一人が管理してる小屋でな。昼間は使えないが、夜間に荷を運び入れるには都合がいい」
「夜の視認対策は?」
「霧除けの結界と、足音を消す古術を使ってる。お前らのアイテムボックスが使えりゃ、そもそも運搬のリスクは最小限になるだろう」
「確かに……」
シャムは指を一本立てた。
「だが、今後このルートを頻繁に使うとなると、情報の漏洩も問題になる。監視者の目が増えた時、どう対処する?」
「そいつは任せろ」
グレンの目が細められる。
「俺の配下には、元・帝国諜報部の抜け忍みてぇな連中がいる。追跡者の足を止めるくらいの細工は、お手のもんだ」
「なるほど……お前、只者じゃないな。道は荒れているか?」
「ああ。だが、その分帝国の兵も通りたがらねぇ。馬車は無理だが、荷物を小分けにして運ぶなら十分だ」
「倉庫の確保は?」
「アドリス北区にある“旧織物工房”。今は表向きには閉鎖されてるが、裏では仲間が管理してる」
「それを使わせてくれるか?」
「もちろん、手数料はもらうがな。……お前の品が本物なら、すぐにでも流通に乗せてやる」
シャムは笑みを浮かべ、手を差し出した。
「取引成立だな」
「成立だ、小僧」
二人は固く握手を交わした。
その夜、シャムは宿に戻り、蓮に一連の流れを報告した。
「……というわけで、裏ルートの確保はほぼ完了した。ルートは山道だが、アイテムボックスを活用すれば問題ない」
「よくやった、シャム。これで帝国との物流が開ける」
蓮は頷いた。
「次は、その裏ルートを通じて帝国の情報や物資を流出させる。それと並行して、反帝国勢力との接触を試みたい」
「グレンの背後には、それらしい繋がりもあるのか?」
「ある。彼自身は“情報屋”との繋がりがあるらしく、帝都の情勢にも通じているらしい。いずれ紹介すると言っていた」
「……それが本当なら、帝都の貴族や軍の内情にも手が届くな」
蓮はゆっくりと目を閉じた。
「帝国を揺るがすには、外からの軍事力だけじゃ足りない。内部からの情報と混乱も必要だ」
「つまり、“内と外”から揺さぶるってことか」
「その通りだ、シャム」
その時、扉の外からノック音が響いた。
「蓮、少しいいかしら?」
リーナの声だった。
「入ってくれ」
扉が開き、リーナが一枚の羊皮紙を持って入ってきた。
「市場の情報をまとめていたら、面白い噂を拾ったの」
「どんな?」
「……帝都近辺で、魔道具の製造技術を持つ工房が、極秘裏に消失したらしいの」
「消失?」
「ええ、工房ごと。従業員も、設備も、商品も、一晩で全て姿を消したって。噂では“転移魔法”の痕跡があったらしい」
「……まさか」
蓮とシャムが顔を見合わせる。
「帝国が、異世界人を使って“転移術”を試しているのかもしれない」
リーナの声が低く響く。
新たな謀略の気配が、静かに迫っていた――。
宿のベッドに背を預け、シャムはふとグレンの言葉を思い出していた。
『……俺は昔、帝国の“運び屋”だった。名前も家族も全部捨ててな』
酒場を出る直前、グレンが煙草をくゆらせながら語った言葉だ。
『任務は単純だった。指定された場所に指定されたものを運ぶ。ただし、中身を知っちゃいけねぇってのが鉄則でな』
シャムは黙って耳を傾けていた。
『ある時運んだのは、“人間”だった。目隠しをされたまま、無言で震えていた少年だ。……俺は、それが何を意味するか、考えないようにした』
その声には、後悔にも似た苦さが滲んでいた。
『だが、後で聞いた。あの少年は“異世界召喚者”だったらしい。帝国の研究所に運ばれ、二週間後には……“魔力が暴走して、死亡”だとさ』
グレンは煙を吐いた。
『そっからだ。俺は帝国を抜けて、名前を捨て、裏稼業に潜った。……せめてもの贖罪ってやつさ。今は、無理やり運ばれる者じゃなく、自分の意志で道を選べる奴のために、この仕事をやってる』
その目に宿るのは、ただの商人には見えない、深い闇と覚悟だった。
(……グレン。お前もまた、帝国の被害者ってことか)
シャムは静かに目を閉じた。
表の顔では語られない人間の過去が、アドリスの闇に溶け込んでいる。
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