06. クロノスの散策
ここ以降、地の文はクロではなくクロノスで統一します。
スミレがアカデミーに行く日には、クロノスは必ずついていくようになった。どこかのラボにいりびたってみたり、授業で積極的に発言してみたり、アカデミー内の図書館にこもってみたり。
彼の素性については、スミレが迷子の亜人を保護しているという、そのまんまの説明をしている。記憶がないわりに、頭がよすぎるが、クロノスにきいても可愛らしく首を傾げるばかりなので特に誰も追求していない。
いつのまにか、クロノスの胸のアカデミー生であることを示すバッジの下からは色とりどりのたくさんのリボンがのぞいている。
取り外したバッジをポケットに丁寧にいれたクロノスは、物珍しそうに周りをきょろきょろした。スミレに手を引かれながら、大通りの両側にそびえる建物をみあげたり、行き交う人々を目で追ってみたり、じっと路地裏の奥に目を凝らしてみたり。
街の大通りには至るところに出店がでていて、活気のままにごったがえしている。石畳の上をガラガラ音をたてながら荷車をひく二本足の角牛を、邪魔そうに人々がよけ、それに沿うように人の流れがうねる。
「すごい人だな、今日は祭りなのか?」
「いつもこうだよ。迷子にならないように手を離さないでね」
ちいちゃな手がスミレの手をぎゅっと握った。
アカデミーの授業が早めに終わった今日。
たまにはアカデミー以外にも行ってみようということで街の大通りをブラブラしている。
「クロ、俺とも手をつなごう」
「いいぞ!」
スミレのクラスメイトであるシバが差し出した手も、クロノスは躊躇なくきゅっとつなぐ。
「クロ先生、あそこのルガットというおやつが美味しいですよ」
フィリップ先生も、仕事を切り上げてついてきた。さきほどからクロノスにおやつを買っては、はんぶんこしたりしている。
「なんだ、あれ!?」
「あっ、また」
クロノスがいきなり、スミレとシバの手を振りほどいて走り出す。足元を走り抜けるクロノスに、ひとつ目の大柄な亜人が転びかけて迷惑そうに怒鳴りつけるも、クロノスは気にせず駆けていく。
どんなにスミレが手を繋いでいても、興味があるものをみつけるとすぐにこうやって走っていってしまうのだった。
小柄な背中が向かうさきには黒っぽい装飾の出店。
店先には、色とりどりの石が並んでいる。五〜十センチ程度のやや平べったい石だ。宝石にしては輝きが鈍く、目を凝らすと石の中の色が、まるでもやのように微かにうごめいている。
おおお、と目を輝かせつつ見つめるクロノスに、店のオヤジがあからさまに眉を寄せる。禿げあがったオヤジの丸っこい顔のうえで肉に押されて小さく縮んだ目が、三角に釣り上がる。
「坊主、さわんじゃねえぞ。ったく、亜人がうろついてんじゃねえよ」
仕事の邪魔だとばかりに、オヤジがしっしと手で追い払う真似をした。
邪険にされていることなど気にせず、石に釘付けになっているクロノスの両肩に、フィリップ先生がぽんと手をのせる。
「どうも、スミス、景気はどうかな」
「フィリップ先生!こんなところにいらっしゃるなんてどうされたんです」
スミスと呼ばれたオヤジが三角の目を営業スマイルに変え、盛大に揉み手をしだした。どうやら、フィリップ先生と知己らしい。
「いつもご贔屓に。ヒュンメル先生はお元気ですか」
「あぁ、変わらずだよ。この子はうちのアカデミーの優秀な生徒なんだ。見学させてやってくれ」
「あ、そうでしたか、かしこそうな坊っちゃんで」
手のひらくるり返したスミスは、猫なで声で売り物を指しながら説明しだした。
スミスの店においてあるのは、魔導石。
魔導石は、人工、天然、問わず魔力をためることができる石である。様々な色があり、色ごとで属性がわかれている。
「これ、もしかして魔獣の魂石を加工しているのか」
クロノスの言葉に、スミスは首を傾げる。
「素材まではわかりませんね。機械魔術都市から仕入れてるだけなんで。ああ、そうだ亜人の坊っちゃんなら、これに天然魔力をこめることも容易では?」
ごそごそと、スミスが奥からだしてきたのは、透明な魔導石だった。クロノスの手のひらほどの大きさだ。
魔術紋が描かれた白い布の真ん中に、透明な魔導石をのせる。
「良い天然魔力ならば高値で買い取りますよ」
ほら、どうぞと促されるにまかせて、クロノスが魔導石に手をかざす。
「いまはゴミカス程度の魔力しかないんだけどな……って、わわっ!?」
クロノスの手のひらからバチバチと黒い雷光が現れ、魔導石に吸い込まれていく。
慌てて手を引っ込めれば、あとには細くたなびく煙の下、薄くもやもやと黒ずんだ魔導石がのこされた。
「なっ、黒色の魔力だとっ」
スミスが魔導石をとりあげて、虫眼鏡でしきりに石の中の黒いもやを鑑定しはじめた。ふむう、と鼻から息を吐く。
「量は少ないが、ここまで良質な魔力は初めてだ。しかも、オールマイティの黒」
商人の顔つきになったスミスがぱちぱちっと、手元の丸い円盤状のものを弾く。円盤にはいくつもボタンがついていた。
うむうむと顎を二、三度こねたあと、神妙な顔で円盤の画面をクロノスに向ける。
「10万ベリルでどうです?」
◇
スミレと手をつないで歩きつつ、クロノスは透明な魔導石を眺めている。魔導石の表面に、クロノスの顔がうつり、きらりと光った。
「フィリップ、魔導石への魔力格納効率を三倍にあげる魔術律式のアイデアを思いついたんだ。あとでディスカッションしよう」
「三倍!?いまの効率でもだいぶ限界値に近いのに!」
楽しそうに話すフィリップとクロノスを見ながら、スミレはずっしりとした財布の重みを感じていた。
結局、クロノスは、自分の魔力を五万ベリルでスミスに売り、その場で全額スミレに渡した。半額にする代わりに、クロノスがスミスに所望したのは、透明な空っぽの魔導石ひとつ。
「これ、五万もしませんぜ!?」と、驚いたスミスは、透明な魔導石に加えて、サービスとして魔力の入った魔導石をいくつかクロノスにくれたのだった。ちなみに、五万ベリルは普通の家庭のひと月分の食費に相当する額である。
「クロ、何か買いたいものがあったらなんでも言ってね」
「俺はこの石もらったから十分。スミレが何か買ったらいい」
「私が欲しいもの……?」
んー、とスミレは考えて、ひとつ用意しなければいけないものがあるのを思い出した。
「お父さんへのお祝い用意しなきゃ!」
おお、そうだったな、とシバがぽんと手を叩く。
「スミレの父ちゃん、王命で重要な任務についてるんだよな」
「うん、アカデミーの卒業試験が終わる頃には帰ってくるって言ってたから、もうそろそろなんだ」
「へえ、スミレの父親はどんな仕事なんだ?」
クロノスの質問に、なぜかシバが得意げに答える。
「なんと、王立騎士団の特級竜騎士なんだぜ。めちゃくちゃ強くてかっこいいんだ」
えへへと、スミレがまるで自分が褒められたかのように、気恥ずかしげに笑う。
「お父さん、お酒好きだから、良いお酒用意しなきゃ」
「俺もスミレには世話になってるから、なんならもっと魔力売ろうか?」
「さすがに、クロに酒代だしてもらうわけにはいかないよ」
そんな話をしながら歩いていると、耳ざとい商人が声をかけてきた。
「お嬢ちゃん!酒ならパーエン地方の良いのがあるよ」
こっちこっちと手招きする。店の奥の方に、たくさん酒瓶が、整然とラベルを揃えて並んでいるのがみえた。
「なんなら、味見するかい?」
「この子達は未成年だから、味見は私が」
「そりゃあそうだ!教育に悪いからちびっこは入り口あたりで待ってな」
味見ときいて前のめりになるフィリップ先生。
商売上手な店主に促されるまま、店の奥に招かれる。クロノスだけは、入り口近くで酒を選ぶスミレたちをながめていた。
フィリップ先生がほろ酔いになり、ようやく酒選びが終わる頃。
「クロ、おまたせ!……クロ?」
店の入り口付近にいるはずの、クロノスはどこにもいなかった。