04. クロノスの動揺
クロノス視点です
おかしいな?と、クロノスは思った。
確か、思い出すのもはばかられるほどのひどい目にあって、山の中を一人でさまようはめになった挙句、力尽きて死んだ気がする。
でも、今いるここは、どう考えても、あったかくて、ふわふわだった。しかも、いい匂いがする。
頬にあたる温かさがきもちよくて、思わず身じろぎする。
くすくすと、ちいさな笑い声がきこえた。
「起きた?体調はどう?」
間近で響く声に、唐突に意識が覚醒する。
顔をあげると、紫水晶みたいな瞳が、クロノスを見つめている。
女の人だ。
しかもでかい。
しかも布団の中で抱っこされてるっぽい。
なんで?
クロノスは混乱のあまり絶句した。
「大丈夫?名前はなあに?」
な、なまえ……?
突然の問いかけに、頭が真っ白になった。うまく声が出ないのは、喉が乾いているからだけではないだろう。
「ク……クロ……クロノ……」
「クロ?あなたクロっていうの?ふふ、うちのシロみたい」
ちがうと否定したかったが、うまく言葉が出てこない。
「私はスミレ。お腹空いたかな?ごはん食べられる?」
ごはんと聞いて、お腹の虫が盛大に鳴った。あからさまな胃袋の反応に思わず腹を抑える。顔が熱い。
くすくすとちいさな笑い声が聞こえるとともに、スミレに、ぎゅっと抱きしめられる。
なんで?
いろいろまずい気がして、腕の中から出ようともがくも、うまく力が入らない。
「もう大丈夫だからね。ここにいれば安全だよ。」
やさしく囁かれ、髪を撫でられた。
◇
スミレがダイニングテーブルに手際よくパンとシチューを並べる。何かのミルクと思われるものも添える。
「モクレンおばさん特製シチューだから、きっとクロのお口にも合うよ。どうぞ」
クロノスの目の前にシチューがほかほかと良い匂いと湯気をたてて誘ってくる。ちなみに、力が入らなくてダイニングチェアに登れなかった。みかねたスミレが乗せてくれた。
目の前の食事に飛びつきたくなるのを我慢して、クロノスは両手を組んで胸の前で合わせ、かるく目をつぶる。
いつもやっている、食前の祈りだ。この食事のために失われた命や、かけられた労力への感謝をいのる。
確かにシチューは絶品だった。空腹がスパイスというのもあったかもしれない。
気づけば、全て空っぽになっていた。
食前と同じように、食後の祈りを捧げる。顔をあげると、目を丸くしたスミレがクロノスをみつめていた。
腹が満たされ、ようやくおちついたクロノスは、あたりをぐるりと見渡した。机も椅子も、キッチンも皿も、何もかもが大きい。
巨人の国……そんな言葉が一瞬浮かぶが、自分の手を見た途端に違うと確信した。周りが大きいのではない、クロノス自身が小さいのだ。
⸺なんという、おいたわしいお姿
シャムロックの言葉を思い出し、クロノスは小さくため息をついた。
◇
「クロ君、ずいぶんと良い教育を受けているようだ。亜人とは思えないほど知能も高いね。見た目も良いし、特別に交配されたのかも」
「ですよね。ご飯も、すごく上品に食べるんです。それに、話すときも難しい言葉を使いこなしていて」
ヒバ先生の言葉に、スミレがうんうんと頷く。
二人の視線を浴びながら、クロノスは悩んでいた。
さきほど、シチューを振る舞われた後、状況把握のためにスミレと会話し、助けてくれた礼を伝えたのだが。
クロノスとしては普通に会話しただけなのに、すごく驚かれて、引っ掴むように診療所まで連れて来られたのだった。
「クロ君は、名前以外、何も思い出せないんだね?自分がどこから来たかとか、なぜ山にいたかとか」
クロノスは、こくりと頷く。
今までの経緯を考えると、元の自分の立場を明かさないほうが良いだろう。そもそも、ここがどこかも、スミレたちがどんな立場かもクロノスはわからないのだ。
なるべく、今の身体の年齢相応に振る舞いつつ、情報を収集する。
当面はこれでいくのが良さそうだ。
偶然とはいえ、本当の名前を明かしていないのも好都合。
よし、と、クロノスは心を決める。
「気づいたら、スミレ……おねえちゃんのおうちにいました」
「はうあっ!おねえちゃん呼びっ……!」
スミレが座っている椅子から崩れ落ちた。
おねえちゃん呼びはだめだったのか!?
年相応って難しい、クロノスは痛感した。
◇
のどかな土道を、スミレがゆっくりと歩く。
飛竜の里は、切り立った険しい山の合間にぽっかりとひろがるなだらかな土地に拓かれていた。標高は随分と高く、雲が近い。石造りの家屋が点在し、日当たりの良いところには収穫を終えた畑が黒々とひろがる。
「あそこが集会所で、井戸はあっち。竜舎があそこだよ」
その背中にゆられながら、クロノスはいたたまれない気持ちでいた。
「あの、ひとりで、あるけるから」
「いいからいいから!まだ本調子じゃないでしょ」
確かに身体はだるいが、こんな少女におんぶされるとは。
恥ずかしさのあまり、スミレの背中に突っ伏する。
「ほら、まだきついでしょ?おうち帰ったら、お風呂入ってまた寝よう。三日くらいは静かにしたほうがいいってヒバ先生も言ってたし。身体洗うの手伝ってあげるね!」
「ほんとに、それは、だいじょうぶ!」
◇
まだ陽は高いがクロノスはまたベッドの中に戻っていた。今度は、布団を被って丸くなっている。身体がだるいのもあるが、それだけではなかった。
診療所から帰ってきたあと、思いっきり拒んだのに笑顔のスミレに本当に風呂場で洗われたのだった。
ちなみに、スミレは服着たままで、手慣れた感じに洗われた。
「信じられない……あんなにすみずみまでしなくても」
布団をかぶってプルプルしている。
いっそ、すべてを話してしまおうかとすら思った。
ガルバール帝国の元帝王ですって。
千年くらい生きてますって。
しかし、そんなこと言ってもこの身体では信じてもらえないだろう。
「クロくん、調子どうー?って、震えてる!大丈夫!?」
がちゃりとスミレがドアをあけるなり駆け寄ってきた。
「一人にしちゃってごめんね。さみしかった?」
「え、いや、ぜんぜん」
「眠れるまで、一緒に寝ようか」
「ひとりでだいじょうぶだから」
いいからいいから、とかいいながら、寝間着に着替えたスミレが布団に潜り込んでくる。
「寂しい思いさせちゃってごめんね」
とかなんとか言いながら、有無を言わせず、引き気味のクロノスを抱きしめてくる。
背中をとんとんされつつ、クロノスは不思議に思った。
なんで、スミレはこんなに俺が寂しがってると思っているんだろう。
スミレは温かくてやわらかくていい匂いがして、なんだかんだ言いながら背中を叩かれてるのは落ち着く。なんとなく、眠くなってきた気もする。
もしかしたら。
スミレが寂しいのかもしれない。
そんなことを思いながら、クロノスはうとうととまどろむ。
「やっぱり、寝顔もあどけなくてかわいいなあ」
頬をつんつんされるのを感じながら、心地よい眠りに身をゆだねた。
◇
そんな感じの生活が三日続いた。
スミレが不在の時は、モクレンおばさんが面倒をみてくれた。といっても、クロノスは回復のために寝ているだけだが。彼女は羊っぽいふわふわしたクリーム色の髪で、食べるのが好きそうな体型をした柔和な女性だ。彼女の料理はどれも絶品だった。
風呂は最初の一回で懲りたので、スミレが乱入してこないように内側から鍵をかけるようにした。
寝るときは、なし崩し的に一緒に寝るはめになっている。良くないとは思っているが、ぎゅってされるとなぜか反射的にうとうとしてしまう。
その日の夜も、スミレの腕の中でうとうとしていたが、窓が鳴る音で目が覚めた。
こっそりと、スミレを起こさないように布団から抜け出し、家の外へでる。
月が高く登り、夜気はかなり冷たい。その冷たさを心地よく感じながら、静かに家から抜け出す。集落から離れ、人目につかない山の中にわけいった。
鬱蒼と木立が茂るなか、ぽっかりとひらけた空間に月明かりがさしこんでいる。
周りに誰もいないことを確認して、上着を脱ぎ背中に力をいれる。
「……っ……くっ」
ばさりと音がして背中に黒い羽根が現れる。コウモリのような羽根が、左側にひとつだけあらわれた。
右の羽根は、出てくる気配がない。ジークベルグに切り落とされたからだろう。
「これじゃ、飛べないな」
ため息をつき、さらに自身の力を確認する。
魔力はいつもの千分の一といったところ。
魔術も魔法も発動できない。発動に必要な魔力の絶対量が足りない。
体術や剣術の類は、身体が覚えてはいるが、この身体ではあまり使えないだろう。
見上げれば、丸い月がしらじらと俺を照らす。
羽根が出せるほど身体は回復した。
もうここにいる必要もない。
ジークベルグを、シャムロックを、ガルバールの民たちのことを想う。
弾ける雷光の痛みをおもいだす。
賢王とうぬぼれるつもりはないが、そこまで悪かっただろうか。
ガルバール帝国があのあとどうなったのか。
気にはなるが、それだけだった。
望まれて王の座についたが、あの地位にそこまで執着もない。
ジークベルグへの復讐といった思いも無い。むしろ、クロノスを殺してのけるほどの執念や決意に感嘆の念を抱いている。
彼らがあの国を変えたいならそれでもいいと思った。
願わくばそれにより、世界の秩序が、多様性が、失われないことを祈るばかりだ。
魔族の中でも長命なクロノスにとって、金も名声も、さして意味はない。どんなに築きあげても、時の流れの前に、いつかは脆く崩れ去ることを、よく知っていた。
正直なところ、クロノスはあの場で死んでも構わなかった。自分の死地としては悪くないとすら思っていた。
「シャムロックめ、ほんとうに勝手なことを」
呟く声に滲むのは、苛立ちではなく懐かしさ。
「どうしてこうなったかぐらいは、知りたいものだな」
クロノスがぐっと拳を握りしめた途端、遠くで、スミレの声が聞こえた。
ガサガサと落ち葉を踏む音がきこえる。
クロノスを呼ぶ必死な呼び声。
逡巡は一瞬だった。
急いで羽根をしまい、服を着る。
声の方向に歩いていけば、外套もろくに着ず、きょろきょろしているスミレがいた。
「スミレ」
「クロ!いないからびっくりしたよ。どうしたの」
「月をみたくなって」
「そっか、良かった。どこかに行っちゃったかと思った。確かに今日は月が綺麗だね」
ぎゅっとクロノスを抱きしめたスミレの身体は冷たかった。
「心配かけてごめん」
「家に戻ってあったかいもの飲んで寝よう?」
クロノスもスミレを抱きしめ返す。
シャムロックだけでなく、このスミレも俺の命を救ってくれたんだったな。
ふと、そんなことを思った。
ブクマありがとうございます。
すごく嬉しいです。
読んでくださった方がいるというのは、とてつもなく嬉しいですね。