03. スミレの救助
雨上がりの晴れやかな大気の中を、白亜の飛竜が優雅に舞う。飛竜の背にのり、スミレは紫色の瞳を皿のようにして、眼下の山肌を見つめる。白銀の短い髪が、風になぶられて頬をうつ。
「シロ、もう少し高度を下げて」
主の指示に、速やかに飛竜のシロが翼を傾け、低めに飛ぶ。
「ええっと、このへんのはずなんだけど」
クルル?
「うん、少し旋回して」
シロの鳴き声に、スミレが答える。幼い頃から一緒に過ごしたシロは、大の仲良し。お互いの言葉はなんとなくわかるのだった。
ちかりと、スミレの視界のはしに光るものが見えた。
「あった!偽救助信号!」
スミレの手綱さばきに従い、シロが着陸しようとするも、木々が邪魔して降りられない。
「うーん、今日はロープは使っちゃだめな訓練なんだよね。少し向こうのひらけたところに着陸して、歩こう!」
クル!
威勢よくシロがひと鳴きして、スミレの指示どおりのところへ着陸する。
ばさばさと翼がはためくと、地面に積もった落ち葉が勢い良く吹きのけられ、湿った黒い土があらわになる。
ぴょんとシロの背から飛び降りたスミレは、さきほど見つけた偽救助信号のところへ行こうとし、ふと足を止めた。
シロの羽ばたきによってむき出しになった地面。大きめなブナの木の下に横たわる黒いもの。
胸騒ぎに急かされて駆けよって、確認する。それはぼろきれのような黒い布にくるまれた人間だった。うつ伏せに倒れている。
スミレは思わず固まった。死体なのか、生存者なのか判別できない。
クルル!
シロの鳴き声で我にかえる。
呆けている場合ではない、生きていたら一刻を争うのだ。
授業で習った生存確認方法や応急処置を思い出しながら、倒れている人間に手を伸ばす。
「大丈夫ですか!意識はありますか!」
どうやら、生きてはいるようだった。しかし、ぐったりと意識はない。
抱き起こして、その小ささと軽さに驚く。
「子供……、こんな小さな子が、どうしてこんな山の中に」
あたりを見まわしても、他に人影はない。親とはぐれたのだろうか。
「シロ!今日の訓練は中止!この子の救助をします!」
小気味よい飛竜の鳴き声とともに、スミレと子供を背中にのせて、シロが飛び立つ。
目指すは、飛竜の里。
スミレとシロが住んでいるところでもある。
◇
簡素なベッドに寝かせた子供は、ぐったりと意識がない。
「ふーむ、目立った外傷はないね。脈もしっかりしてる。昨日の雨にうたれたんだろう、衰弱が激しいけど、休んでいれば回復するはず」
脈をとったり、身体のあちらこちらをチェックして子供を診察しているのは、飛竜の里の医師。大柄で茶色い熊のような風貌からは想像できないほど、優しげな口調の男性だ。顔に比べて妙に小さな丸メガネをかけている。
飛竜の救助訓練中に、本物の要救助者を見つけたスミレは、急いで里の診療所に担ぎこんだのだった。
「ヒバ先生、この子は何歳くらいでしょうか」
「五、六歳くらいの男の子だね」
「えっ、男の子なんですか。女の子かと」
スミレは、ベッドの上で眠る子供をまじまじとみつめた。黒髪に、褐色の肌。髪は短いものの、まつげの長さや顔の輪郭から、女の子にしか見えない。
「うん、でも問題は性別じゃない。この子、人間じゃないかもしれない。肌や髪だけでなく瞳も黒いんだ。それにみてごらん」
ヒバ先生が男の子ぐっと唇を少し持ち上げる。そこには、人間とは思えない鋭い牙があった。
「奴隷として飼われていた亜人が逃げ出したのかも」
「こんな小さな子が奴隷なんて」
ぐっと拳を握るスミレをなだめるように、ヒバ先生が声をやわらげる。
「亜人は人とは違うし、里の外では普通のことだよ。奴隷保護法もあるから、そんなにひどい扱いはされないよ」
納得できない表情のままに、スミレはそっと男の子の髪を撫でた。
◇
「これが解熱剤で、こっちが栄養剤で、かすり傷にはこの軟膏、と」
処方された薬を確認し、机の上にならべる。
「熱はでてないかな」
ベッドに横たわる男の子の額に手を当てる。
ヒバ先生に診てもらったあと、行くあてのない男の子をスミレは家に連れ帰ったのだった。
「亜人かもしれないのに、大丈夫?」とヒバ先生から心配されたが、「腕っぷしには自信があります」と胸をドンとたたいてきた。確かに、スミレはその見ためにそぐわず、体術や剣術は得意だった。か細い男の子に遅れを取る気はさらさらない。
いつも家に手伝いに来てくれているモクレンおばさんは、男の子を見て驚いていた。それでも、客間を男の子用に整えたり、身体を拭き清めたり、あれこれ手伝ってくれた。男の子はずっとぐったりしていて、意識を取り戻す気配はない。
外はとっぷりと暗い。モクレンおばさんも、もう帰ってしまった。
石造りの二階建ての家は、スミレ一人で住むには広すぎる。久しぶりに、自分以外の誰かと夜を過ごせるのが、スミレにはなんだか新鮮だった。
「うん、熱はなさそうね。よしよし」
ベッドの横の椅子に座って、男の子をのぞき込む。温かいベッドに寝かせたからだろうか。さきほどよりずいぶんと血色がよくなっている。紫色に近かった唇も、ふっくらとピンクに色づく。
「かわいいなあ。こんな子が妹だったらとか思ったけど、男の子なら弟かー。仲良くなったらお姉ちゃんって呼んでくれたりして」
いろいろ想像してしまって、思わず頬がゆるむ。あくまで妄想だが。
ヒバ先生の方で、奴隷の捜索願いが出ていないか確認してくれているはずだ。もし、持ち主が見つかれば、すぐに返さなければならないだろう。
それまでは、がんばってお世話しよう。そう、心に決めて、スミレは男の子の頬を撫でる。
「ぅ…………」
はじめて、男の子が小さくうめいた。
起こしてしまったかも、と、ドキドキしつつ、スミレは男の子の頬から手を離す。
やや苦しげに眉を寄せた男の子が、なにか呟いている。
耳を澄ませると、はっきりと聞こえた。
「シャム……、俺を……おいてくな……」
唐突に、幼い日の記憶がスミレの脳裏に蘇る。
棺にすがりついて泣く自分の背を、優しく撫でる父。
⸺おかあさん、おいていかないで
「あなたも、誰かにおいてかれちゃったの?」
何かを探すようにさまよう手を、スミレはそっと握りしめる。
「大丈夫、そばにいてあげる。さみしくないよ」
枕元の灯りを消すと、スミレはベッドの中に潜り込んだ。うなされる男の子の身体をぎゅっと抱きしめる。何かを探しているようだった男の子も、スミレの身体にしがみつく。
「やっぱりさみしかった?こんなにちっちゃいのに、辛かったね」
とんとんと背中を叩けば、落ち着いたのか、うなされる声は、穏やかな寝息に変わった。
静かな鼓動が、スミレにも伝わってくる。
私が助けた命。
スミレは、誇らしさと充足さを胸に、目を閉じた。