第十六話 『もう遅い』と言わないために
「いやぁー、強敵やったなぁ……」
ベロニカが地面に大の字になって言った。
「そもそもアレ、敵だったの? 倒しちゃって良かったの?」
ぼくも少し離れた場所に、転がっている。
「あないに黒いもんが、悪いもんやない道理はないやろ!」
「自分だって黒いくせに」
「せやな! どっかで会ったら、うちも倒した方がええで!」
ベロニカがまたケケケと笑った。
なんだかなぁ。ぼくはこいつのことだって、とても憎んでいたはずだ。今だって過去の出来事はお腹の中に燻っていて、息を吹きかければすぐに赤い火の粉を散らす。
こんな風に背中を預けるみたいな戦いをするなんて、考えたこともなかった。そんでこいつ、なんか面白い。
でも、ベロニカを嫌いじゃなくなることは、過去の自分やオルフィを裏切っているみたいな気持ちになるんだ。あの時イザベラを排除しなかったら、今回だって、こいつは間違いなくオルフィを虐め続けただろう。
やり直すごとに、繰り返すごとに積み重なった憎しみも恨みも、殺すことですら少しも晴れなかった。不幸になればいいと思った。ひと欠片の救いさえ見出せないほどに突き落として、惨めに這いつくばっているのを見れば、気が晴れると思った。
ぼくは七回目の時、商人として稼いだお金や知識を使ってそれを実行した。
イザベラの欲深くて浅はかなところにつけ込んで、先物取引きを持ちかけ、莫大な借金を背負わせた。脇の甘い旦那さまには、秘書官を籠絡して横領に走らせた。オルフィの家がガタガタになった頃、同時進行でレイモンド王子をスキャンダル絡みで潰した。
ついでに、王子の恋人だった女の家も、学園でオルフィを目の敵にしていた女狐たちの家も陥れた。
自分やオルフィが受けた苦しみを、何倍にもして味わせてやりたかった。ぼくらを見下ろして嘲笑っている奴らを引き摺り下ろして、更に下へと突き落として踏みつければ「ざまぁみろ!」って、笑えると思った。
けれど全部終わっても、ぼくは思っていたほどスッキリしなかった。
足りないものはなんだったんだろう?
ぼくは屋敷に火を放ちながら考えた。
それは、ぼくらを傷つけた奴らが『悔いること』だった。自分がしたことを身を持って味わい、ぼくらに対する所業が白日の元に晒されて、世界中の人から責められること。自分の罪の重さと自分の愚かさに苦しむこと。
そしてどうしても必要なのは、自分とオルフィが幸せになることだ。相手のことなんか、どうでもいいと思うくらい幸せにならなければ駄目だ。
じゃあ、もう無理じゃないか。だって恨みを晴らすために、もう一度傷つくなんて真平ごめんだ。オルフィが苦しむのも見たくない。
第一、人を踏みつけて平気な奴らは、反省なんかしない。
一度目のただの魔物だったぼくが、何も出来ずにオルフィの血に塗れて消えた時点で、既にぼくらは負けていた。何もかも『もう遅かった』んだ。
七回目の最後の時。火の回った屋敷でオルフィの死体を抱きしめながら、ぼくは心の底から絶望して、もうこれで終わりにしてくれと叫んだ。
そして八回目がはじまった。芽生えたばかりの意識の中で、ぼくがひたすらに願ったことは『ざまぁみろ!』と言うことではなく、幸せになることだった。
そして何も起きなかった世界で、何もかもを手に入れようと決めた。
ぼくは今、旦那さまを憎んでいない。今のあの人は、オルフィに無関心で、イザベラを止めてくれなかった旦那さまではないからだ。オルフィのお母さんだけを、心から愛していた脇の甘い優しい人だ。
ぼくは今、ベロニカをそれほど憎んではいない。契約に縛られる悪魔の特性を知っているからだ。今のこいつとの関係は、けっこう悪くないと思っている。
ぼくは今、レイモンド王子を憎み切れなくなっている。既にだいぶ歪んでいるけれど、まだ間に合うような気がしている。
ぼくは立ち上がって、ベロニカの手を取った。
「ほら行こう! まだ終わりじゃないんだろう?」
これが正解かどうかはわからない。全部終わった時、憎しみや恨みは消えてくれるとは限らない。
「元気やなぁ、うちはヘロヘロやで」
ベロニカはそう言いながらも、ぴょんと飛び上がるように立ち上がった。
「ぼくだってヘロヘロだよ」
『もう遅い』と言わないために。
王妃さまに会って「ちょっと寝過ぎじゃない? もう起きなよ」って言いに行こう。