第十五話 夢の中で
狼の姿へと戻ってお城へと向かう。ベロニカはぼくの影の中に入って着いて来ている。
今夜は満月で影が濃いのが嬉しいのか、鼻唄を歌っている。「ぼくの影の中で悪魔が歌をうたう」。言葉にすると邪悪さが半端ない。サイコホラー小説みたいだ。
後宮の王妃さまの部屋の窓は、昼間こっそり鍵に細工しておいた。抜かりはない。
(ベロニカ、どうやって夢に入るの? ぼくは何もしなくて良いの?)
声をひそめて聞いてみる。
(そういう生々しい姿は効率が悪いんや。なんつーか、こう……フワッとした感じになれへんの?)
わかりにくいなぁ。受肉した姿じゃダメってことかな? それなら雪玉が一番生き物っぽくないかな?
(これでどう?)
ちょっと無用心かなと思ったけれど、雪玉になってふよふよと漂う。つい、この前オルフィと読んだ三枚のカードの絵本を思い出してしまった。小さくなったところで、ペロリと食べられちゃうのは困る。
(ん、まあまあやね。ほな、はじめまっせ!)
ぼくの心配をよそに、ベロニカは耳の中から小さな鈴を取り出し自分の尻尾の先に着けて、フリフリと振りながら踊り出した。
チリーン、チリーンと鈴が鳴るごとに、現実と夢の境目がゆるんで溶けてゆく。幼女のようなベロニカが不似合いなほどの妖艶な仕草で、その境目に滑り込むように消えた。
一瞬呆気に取られていると、強い力で引っ張り込まれる。
「ボーッとすんなや! なんや強いのか弱いのか、訳のわからん魔物やな。子供か大人かも読めんわ」
ある意味、それで正解だ。
今度は、なるべく形が固定された姿になるよう言われたので、人型へと変化する。これが今のぼくのベストでもある。
「ここ、もう王妃さまの夢の中なの?」
「そうや。まだ表層やけどな」
まるで深い森の中みたいだ。木漏れ日が差し込んで、穏やかな風が吹いている。
「このお人は精霊の血筋みたいやから、そのせいなんちゃう?」
「お気楽なこっちゃな」と笑いながら、花畑をポテポテと歩いてゆく。ぼくは一応、王妃さまが眠り続けるヒントみたいなものを、探しながら歩く。
「奥の方まで行けば、王妃さまに会えるの?」
「そうとも限らんな。夢の中は決まりごとなん、あらへんのや」
慣れた調子で歩いてゆく。木漏れ日とか花畑とか、ほんと致命的に似合わない。
「なんか失礼なこと考えとるな? 言っとくけど夢の中では、あんたもうちの手のひらの上やで」
ケケケと笑う。
「それにしてもなんで王妃やらの夢に、あんたが出張る必要があるんや? なんや恩でもあるん?」
「王族に関しては、恨みしかないね」
「ようわからんな。なにがしたいんや?」
「恨むのも憎むのも、もう嫌なんだ。恨まずに済む方法を探したい」
「ますますわからんわ。まあ、うちは報酬がっぽりもろうたからな。その分の仕事はするで!」
『恨まずに済む方法を探したい』
言葉にしてみたら、本当にそう思っていたような気持ちになる。まだ間に合うんだろうか。
恨まずに……憎まずに済むのなら。
「犬っころ! 来たでぇ! 戦闘準備や!」
ふと見ると穏やかな風景を浸食するように、真っ暗な闇がその手を伸ばすように近づいて来ている。
「なに? あれ……戦闘とか聞いてないんだけど! 夢の中で魔法使って大丈夫なの?」
「魔法は使こたらあかん! 物理で殴るんや!」
ええぇーっ! あんな訳のわからないもの相手に、攻撃が通るの? ぼく、まだ素振りしか練習してないよ!
「いっくでー!!!」
ベロニカが嬉しそうに拳を振り上げて、闇の中に飛び込んでいった。
* * * *
『ドガン! ドゴン! バコン! バキバキ!』
質量を伴った打撃音が響く。あれも夢魔の特性なんだろうか? ぼくにとってその暗闇は、影と変わらずなんの手応えもない。氷の剣を作ってみたけれど、いくら斬りつけてもスカッとすり抜けてしまう。
「犬っころ! 言うたやろ? 夢の中は決まりごとやらあらへん! 決めたもん勝ちや!」
意思の強さがものを言うってこと……? だったら……。ぼくが一番持て余してるものをぶつけてやる!
オルフィは、あんなにも虐められて、気持ちを弄ばれて……それでも毎回クズ王子に恋をしていた。自分の劣等感や愛されずに育った鬱屈を、晴らすための獲物みたいに扱われていたのに。
気まぐれに優しくされたことを、まるで宝物みたいに大切に思っていた。
だからぼくはクズ王子に手出しが出来なかった! どこか遠くの知らない場所へ、オルフィをさらって逃げることも出来なかった。
七回もやり直したくせに、ぼくはあんなクズ王子に少しも勝てなかった!!!
「クッソォオオオ!!!」
膨れ上がった魔力が身体の中を駆け巡り、行き場をなくして暴れ回る。身体からはみ出して、氷の剣に呑み込まれていく。
「うわ……っ! なんや急に。その剣、うちでもビビる邪悪さやで! アハハ! 面白いやないか!」
思い切り剣を振り下ろす。何度も何度も。徐々に感覚が研ぎ澄まされて、無駄な動きが削ぎ落とされていく。そして確かな手応えを掴む。
ぼくの中に沈んで固まっていた憎しみは、目の前の闇よりも暗かった。ぼくはそのドス黒い気持ちを吐き出すように剣を振り下ろした。
ここがどこで、なんのために剣を振るっているのか、曖昧になって来た頃。最後の闇が、剣先で弾けて消えた。