第十四話 夢魔のベロニカ
人型に進化した次の日、ぼくは小さな部屋をもらった。今まではオルフィの部屋で一緒に寝ていた。ペットだったからね。
古い書物なんかの物置きになっていた部屋だけど、女中のお姉さんたちが張り切ってピカピカに掃除してくれたし、マーヤさんがカーテンとベッドカバーを縫ってくれた。
部屋をもらえたのは、ペットじゃなくなった証だ。そう、ぼくはオルフィの従者になることを、旦那さまに認めてもらえたんだ! 少しだけどお給料ももらえることになった。
従者の仕事は少しずつマーヤさんが教えてくれることになった。美味しいお茶の煎れ方とか、お裁縫とか、きれいな姿勢やお辞儀や丁寧な喋り方や……。
覚えることがたくさんあって大変だけど、ぼくが立派な従者になる必要があるのは、オルフィが大切なお嬢さまだからだ。過去の七回でオルフィはいつもお屋敷の中でさえ蔑ろにされていた。
オルフィが大切に扱われることが、ぼくは嬉しくて仕方がない。こんなの、いくらだって頑張れるよ!
従者に求められることは、主人の成長と共に増えてゆく。オルフィが屋敷の外に出歩くようになるまでに、護衛の役割もこなしたい。
ぼくは従者の仕事や訓練の合間に、剣の扱いも練習することにした。二本足、手のひらの感触、縦に長い身体のバランス、飛べない身体。人型に慣れるためにも、身体を使った訓練は効果的だ。
過去の七回より、身軽さや素早さが格段に優れている。これは直前が狼の姿だったせいかも知れない。
剣は氷で作った。ぼくの今の身体に扱える小さな剣だ。氷の剣では強度が足りないけれど、今は打ち合うわけじゃないからこれで充分だ。
まずは両手で構えて振り下ろしてみる。お城に忍び混んでいた時に、騎士団の訓練を見たことがある。新人はみんな素振りからはじめていた。
これは素振りをはじめてすぐに気づいたことなんだけど、ぼくが自分の魔力で作った剣は、道具というよりもぼくの一部に近い。おかげで、手が長くなったイメージで使える。氷の剣だから、夏は溶けちゃうんだけどね。
(お給料をもらったら、本物の剣が欲しいなぁ!)
そんな日々を忙しく過ごしていると、秋が駆け足で過ぎて行った。朝晩の冷え込みがきつくなり、オルフィの吐く息が白くなり、とうとう今年も初雪が降った。気温が下がるのと反比例するように、ぼくの調子はどんどん上がってゆく。
(そろそろ夢魔のベロニカを、魔界から引っ張り出せるかも知れない!)
ぼくは凍える木枯しの吹く夜半過ぎ、こっそりと屋敷を抜け出して、以前イザベラが使っていた森の小屋へと向かった。
荒れ果てた小屋の中は、吹き込んだ雪がうっすらと積もっている。小屋を氷の結界で覆ってから、床の魔法陣に魔力を通す。
イザベラの魔法陣を使うのは不本意だけれど、ベロニカの尻尾に打ち込んであるぼくの毛を引っ張るには、他の方法を思いつかなかった。
魔法陣の真ん中に手を入れて、魔力を糸のように細く伸ばして、ベロニカの尻尾の根元に刺してある毛を探す。
(あ、コレかな⁉︎)
「えいっ!」
思い切り手を伸ばし、勢いよく引っ張りだした。
「ひゃあ! 誰や⁉︎ 何すんねん! あっ、なんやおまえ、犬っころやな⁉︎」
ベロニカが魔界訛でキャンキャンと喚く。人間のふりをしていた時、口数が少なかったのはこの言葉を隠してたんだな!
「うるさいよ。毛を通してぼくの魔力を盗んでいたくせに。気づいてないとでも思ってたの?」
「こんなもん刺しとく方が悪いんや! ほんのちょっとやんか。ケチくさいなぁ。そ、れ、で! うちになんの用事や?」
ちっとも悪いと思ってないな。まあ、ぼくもこうして都合よく呼び出したわけだから、人のことは言えない。
「うん、ちょっと聞きたいことがあるんだ」
ぼくは王妃さまが起きない理由が知りたかった。ざっと王子が生まれた時のことを説明する。
「ふんふん、なるほどな。呪いとはちゃうんか?」
「うん。呪いの気配はない。病気とも違う感じだよ」
ベロニカはプカプカと浮かびながら、器用に空中であぐらをかいて考え込む。
「夢に入って探ってみな、わからへんな。でもうちが夢に入ると、人間は弱ってしまうねんで。それでもええんか?」
よくはない。眠りの原因がわかっても、王妃さまが死んでしまったら元も子もない。
「ぼくが一緒に行ってもダメかな?」
「命の対価ナシでかいな? 犬っころがもたんやろ」
「なんだ、心配してくれるの? 悪魔なのに」
「いや、犬っころの魔力な、使い勝手がええねん。魔界はジメジメ暑いからな! 氷のデザードが大人気なんやで! ボロ儲けや!」
ぼくの魔力で何やってるんだよ!
「犬っころの魔力の執念深い感じ……悪魔との相性抜群やで!」
執念深いって言うなよ! なんだよそのイイ笑顔……あ、諦めが悪いだけ……だよ!
「ねぇ対価って、命とか魂じゃないとダメなの?」
「寿命でも構へんよ」
ベロニカがニシシと悪い顔で笑いながら言う。
「ぼくの寿命ってどのくらいあるの?」
「ん? ほな、ちょっと見してもらいまっか」
ベロニカの尻尾がニョロリと伸びて、ぼくの頭のてっぺんにぷすりと刺さった。
「わっ! 何するんだよ!」
不思議と痛くないけど、びっくりして、危うく凍らせるところだった。
「な、な、なんやこれ? あ? うーん……ようわからんな。どうなっとるんやコレ?」
しきりに首を傾げている。
「あんた、えらい長生きしとるんか? まだ子供に見えるけど……とりあえず三十年分くらいもらいましょか。ええで! その眠りっぱなしっちゅー王妃さまの夢ん中、連れてったるわ!」
ニコニコと上機嫌で言う。こいつ、絶対ぼったくってるな! きっと相場の三倍くらい持っていこうとしてる。
「あんまり調子に乗ると、凍らせるよ?」
尻尾の先を握って言うと「もう凍らせてるやん!」と暴れた。暴れると砕けちゃうのに、ほんと小者なんだから!
「三十年分持ってっていいから、その分働けよ!」
ベロニカは「まいどおおきに!」と言って、ぼくの額の氷に触れた。
「なんやビクともせんな! あんたの寿命、どないなってんねん?」
そんなのぼくが知るわけがない。とにかく、準備は整った。王妃さまの夢の中へ行ってみよう。