1 序章
そこはとても静かでさわやかな風が吹くだけの森の中だった。草木が密集して生え、色とりどりの花や実がなり、川の流れる音や動物のせせらぎが聞こえ、木々がざわざわと風に揺られ、まるで会話をしているような場――
その静けさは唐突に破られた。何者かが近づく気配を感じ、動物たちは慌てて逃げ、木々は談笑をやめる。
森の中を一匹の魔獣が駆けぬけた。体調4mほどの大きさのそれは豚のような鼻と鋭い牙、とがった角を持っている。全身が毛におおわれ、脚の蹄が地面と干渉しどすどすと大きな音を上げている。
「おいマルク、そっちに逃げたぞ!」
その背後から一人の青年が魔獣を追って現れた。すらっと背が高く筋肉質な体つき、黒い髪をもった人間だ。右手には小さな短剣を握っている。
「オリントラ兄貴、合点承知!」
魔獣の先にはもう一人の人影があった。こちらは背が低く、鼻がと耳がとがっていて、緑色の目に茶色い髪の毛をもっている。彼はエルフのようだ。その両手には重そうな剣が握られていた。
魔獣はそのままそのエルフの方へ向かって木々の間を駆け抜けていく。荒い鼻息をあげ、口からは曇った吐息をはいている。
「マルク、やれ!」
「オッケー、兄貴!」
その魔獣はついにエルフの目の前まで接近した。まるで目の前にいるエルフが見えていないかのように。それともそのエルフが自分の障害であると思ってもいないように…。
「おらー!!」
雄たけびを上げ魔獣にとびかかるエルフ。その重そうな剣を大きく振り上げその先には魔獣がピンポイントにいるのみ。
刹那、ドシン! と大きな音と共に、土煙がその場に上がった。何かが動いているような気配は、もうなかった。
青年のオリントラが魔獣が退治されたであろう場所へ駆け寄る。だいぶ土煙も晴れて、だんだんその全貌が明らかになってきていた。
「お前、大丈夫か?」
しかしそこにはイノススの姿はなく、あおむけに倒れ失神しているエルフのマルクの姿だけがあった。
マルクを一目見たあと、オリントラは顔を上げその先を見る。はるか遠くに魔獣が駆けている姿が見えた。もう普通の人間に追いつけるような距離ではない。
「ううー…」
マルクが頭を押さえながら目を覚ました。
「まじか…お前、イノススにどつかれて失神しました、だなんてありえねないぞ。ましては手負いのやつだったのに…。」
マルクとオリントラは畑の農作物を荒らすイノススの駆除に来ていた。オリントラが後ろから攻め、逃げてきたところをマルクが仕留めるという作戦だったのだが。
「ごめん、兄貴。いざって時に手が震えて…情けないよね、僕。エルフなのに…。」
「おう、生まれたての赤ん坊みたいな顔してたぞ、お前。
でもしょうがないさ。あいても脳筋体当たりだったからな。また次の機会をまつか。」
「生まれたての赤ん坊って…。でもすごかったなー。あの体当たりはすごく強烈だった。よくもあんな奴に立ち向かおうとしただなんて自分をほめちゃいたいよ。」
手足を見つめ、生きていることを実感しているマルク。マルクは満足気だった。
きっとイノススはマルクのことを危険であるとみなさなかったために体当たりしてきたのだろうとオリントラは考える。なぜ危険な存在とみなさなかったのかは考えないようにした。
「じゃあまたどこかで待ち伏せする?」
マルクが体に着いた土ぼこりを払いながら聞いてきた。
「おい、あんな体当たり食らっておいてよく元気出るな。お前タフすぎるぜ。もう一回待ち伏せしたいところだが残念もう時間切れだ。早くしないと報酬が減っちまう。」
「うんそうだね。あ、でももうイノススは遠くに行っちゃったよ…。」
マルクはイノススが駆けて行った方向を見つめる。かろうじて奴がたてた土煙が遠くに見えるくらいだ。マルクが起きるまでの間にその距離はどんどん離れていた。
「お前、俺が誰かってこと忘れてんじゃないだろうな?」
オリントラは肩や腕や足を延ばしストレッチを始めていた。どうやら追いかける気満々である。
マルクは小さくふふっと笑った。
「わかってるよ。世界唯一の、いやこの町最強の冒険者といっておこうかな。」
「そう言ってほしかったんじゃないんだけどな。でもあのイノススを討伐してこの町一番の冒険者になるんだけどな。」
そう言い残すとオリントラは目にもとまらぬ速さで森を駆け抜けていった。静かな森に走る衝撃音。動物たちが震え、木々たちはもうその衝撃に耐えるのに必死なだけだった。
「さすが兄貴、規格外だね…。」
マルクは遠くにいったオリントラを見つめる。もうあっという間にその姿は見えなくなった。その速さゆえ、地ではなく空をかけているといった方がいいかもしれない。
少しして遠くからイノススの断末魔が聞こえてきた。イノススが後ろから迫るオリントラに気付いたとき、どんな気持ちだったかなんて想像するとおかしくなりそうだとマルクは思った。
「これで僕たちはこの町一番の冒険者になったわけだ…。うれしいけどなんだか悲しいな。僕がいなくたって多分兄貴はこの町一番になれるからね。」
しかし一番の冒険者なんて肩書もオリントラとマルクにとってはただのおまけに過ぎないものであった。
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