エッセイとファンタジーの違いが分からない
エッセイと戯作小説の境目が私は時々わからなくなる。私は小説を書くとき、まず読者に何を伝えたいかを考えるからそういうことが起こるのだ。伝えたいのは無論私の意見である。しかし、「意見」というとまあ世間だとか民衆だとかに語りかける大層な大義を抱いているように聞こえるが、実のところ「提案」といったニュアンスに近いのだ。
私は「悪役令嬢はカワイイ」といった内容の小説を書いたことがある。つまり悪役令嬢のカワイさを小説を通して読者にプレゼンテーションしたのだ。この作品は私自身の価値観に根付く意見であり、「悪役令嬢は悪者である」という世間一般の認識への問いかけであった。まあ、なろうに於いて悪役令嬢は一概に悪と呼べない。転生や逆行を含め、性格が丸くなることもある。暗い過去からキツい傲慢さを備えた心へ変わったものもいる。そういった同情される悪役令嬢を読んで私は「悪役令嬢はカワイイ」という結論に至った。そして試論つまり小説を書いた訳である。故に私にとってラノベとエッセイは同じ存在意味をもっている。
他のなろう作家はどうだろうか。ここではプロになろうとする者もいれば趣味の範疇で書くものもいる。どちらも自分の頭に浮かんだアイディアを言葉にしているのだ、前者は商業的ストーリーを編めど、後者と同じように自分の欲望から物語を作る。
欲と意見を切り離すことはできない。意見は自身の中で組み立てられた理想から抜粋される言葉であり、理想とは人間の根底から湧き出る欲望から構成されているからである。ああなればいいこうなればいい、そう理想が言う。ああした方がいいこうした方がいい、それが意見。これひっくるめて全部、欲。しかし、意見は論理的で客観的にそして理性による冷静な分析から行わなければならないという。それはその通りだ。しかしそれもまた理想論だ。理想は欲望から生まれる。意見は理想を目指して生まれる。
我々は余裕綽綽と根拠を並べ、冷徹な意見を述べてるつもりだが、なんてことはない、自身の「欲」つまり「こうなってほしい」という理想を理論で固めて人に見せたり投げつけたりしているだけである。意見というのはどこまでいってもエゴイスティックな提案だ。自分本位の行いは楽しいらしい。だから議論も創作も楽しい。
この理屈でいうと私は小説を使って読者と議論をしている。「悪役令嬢はカワイイか否か」という議題に対し、私は「カワイイ」と手を挙げた。それに賛同したのか分からないが評価してくれる人もいる。私は味方を見つけた。心強いものである。しかし、当然反対意見もあるだろう。私はいつもビクビクしながらコメント欄を覗く。なにせ私は小説を書いたのではなく「意見」をネットに投稿しているのだから、多かれ少なかれ賛否両論あることを前提に考えている(反対意見があることと反対意見をすることは別の事象だ)。それは私が書いたすべての小説に通づる。私は世間に意見している。「こんな主人公がいたらカッコイイ」「こんな恋愛は素敵」と私の思想を読者に押しつけている。やっていることはエッセイと変わらないな。
だからエッセイが思想や意見を述べる小論だと言うなら、なろうに投稿される小説すべての作品はある意味、随筆に包含されるのではなかろうか。夢も理想も抱かず筆をとる人間などいないのだから。
だったらエッセイと戯作小説の違いとはなんだろう。「物語」であるかどうか、と分類しようとするがそも物語の意味とは「1.事柄について語ること。2.古くから語り伝えられた話。」などと辞書で出てくる。ならエッセイも意見・思想について話す物語である。近しいニュアンスだが、ストーリー性の有無もエッセイと戯作小説の境界になり得ない。筋書きがしっかり感じられる作品が「ストーリー性がある」と称されるらしいが、徒然なるままに描かれた筋書きのない戯作小説があれば、順序立てて組まれた文章のエッセイもある。なら、主人公の有無はどうだろう。恋愛小説やファンタジーものに主人公は必ず存在する。小説は主人公を中心に書くものだ。エッセイは違う。主人公がいない。違う。この小説の主人公は私だ。私の思想・価値観の話をしている。エッセイにだって主人公はいるのだ。
ストーリーという観点からエッセイと戯作小説の差異を探してみたが、私には見つけられなかった。どうも視野が狭くて他に仮説が浮かばない。私には2つが同じもののように見える。特にWeb小説投稿サイトにおいて、皆が自分の好きなように小説を書き上げている状況。自分が良いと思ったアイディアに言葉をつけ他人に聞かせている場所というのは、議論場のようだ。我々はネット上に多くの「意見」を載せている。小説を通じて物事の提案をし続けているのだ。三者三様の思想の中、自分の理想と近しい意見を選び褒め称える。自衛である程度避けるものの自分と違う価値観と出会うこともあれば、ひとりぼっちだと思っていた自分の理想とぴったり合う小説を見つけることもできる。Web小説投稿サイトの良いところは、あらゆる価値観と思想が提供され、閲覧できるということ。私たちは多くの作品のなかで自分好みの小説、作家を見つけることができる。大変良い環境だ。