8 歴史的な日
オイ・キムチ軍曹は前に十人の部下を片膝突かせて機銃を構えさせていた。
夕闇の冷たい風が流れる基地の前の草原を、数十人の幽霊の様に痩せ細り、ボロを着た農民が現れた。前部にいる男達は確かに鎌や鍬、棒を持っていたが、後から続く者達は女、子供も含めて何も武器らしきものは持っていない。
だが、恩賞に目が眩んだ人でなしの兵士どもは、そんな事は意に介していない。一人も良心を持った者がいないのだ。どうしてこんな国が出来たのだろう?彼らはただ反逆者どもを殺しまくることを楽しみ、その血と悲鳴に飢えていた。
「撃てーっ!」
オイの掛け声で兵士が一斉に発砲しだした。
「ぎゃー!」
前にいた農民がばたばたと倒れる。後ろから来た者達は逃げまどった。
「ロケット弾を打ち込め!」
オイが命令すると、兵士達は機銃を前に置き、二人がチームになって、ロケット弾のランチャーを一人が担ぎ、後ろに回った兵士が前の兵士のヘルメットを叩く。
五条の光りの筋が流れ、暗闇に吸い込まれた。
農民が逃げ散った草原のあちこちで光った。そして凄まじい爆音が続けざまに響いた。後ろの兵士は山と積まれたロケット弾を取りに行き、また装填した。
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全世界は目を丸くしてテレビを見入っていた。
イスラエルのハッカーが、アメリカの軍事衛星の信号をハッキングして、その映像をロイタ通信社に回したのだ。
ロイタはそのハッカーにスイス銀行の口座を作ってやって数ミリオン・ユーロを振り込んだ。
インターネットにも配信され、自由圏の各国のテレビ局が臨時放送をした。
国家で運営されている中国進化社の幹部達は大あわてで共産党幹部に伝えた。子均等の携帯が鳴った。国際会議が終わり、どうするか頭を悩ませていた子均等は即座に決断した。
「その映像を国営テレビで流すのだ!」
テレビあるいはインターネット配信で世界中の視聴者が見たものは・・・
人の体型が分かるほどの高解像度で衛星から映された、オイ達の農民虐殺の場面だった。
「きゃー!」
「ひ・・・非道い!」
横並びの兵士が一斉に射撃し、ゾンビの様に集まった農民達が倒れていた。そして二人一組になった班から発射されたロケット弾。
上から見るときれいな扇状にロケット弾の曳光が見えた。そして五つの丸い光りの球体が。
さっき確かに五体満足の人間が走っていたのに、爆発の後はその跡形もなかった。
「こんな事が許されて良いのか!」
「もう天安門はご免だ!即刻止めさせろ!」
各国の庁舎は夜昼にかかわらず国民からの電話が殺到した。日本でも内閣府にメールがスパムの様に送られた。
粗相はNHKに臨時会見の要請を出した。
ミサイル騒ぎに待機していたテレビ局の動きは速かった。
一時間後には総理官邸には中継車が進退出来ないほどに詰めかけ、会見室はコンピュータ室さながらの配線の束が敷かれ、その流れは総理が座る中央前部の机に集約している。
もう閣僚の誰も粗相の邪魔をする者はいなかった。後でどうなるか分からない。
粗相と共に永久に議員生命を絶たれるかもしれない。だから賛成も反対も出来ない。ただ、最高責任者が命じた役割をするだけだった。
粗相は座るとすぐにしゃべりだした。
これは天命だと感じていた。どうなろうと、今は確かに自分は歴史の渦中に存在するのだ。日本国民全てが俺の一挙一動に見入っている。
やった!歴史の命ずるままにその役割を演ずるのだ!信長しかり!直江兼続しかりだ!かっこいい!やった!
「国民の皆さん。まだ朝早くお休みになっておられる方も多いと思いますが、本日は私はある決断を致しました」
前にひしめく中継スタッフがごくりと唾を呑んだ。彼らもあの映像を見て、歴史的なイベントを記録しているんだという高揚感を感じていた。
「我々は六十数年前に、戦争という悲惨な経験をして武力というものを捨てました」
いつもは失言の可能性を秘めた彼の言語中枢だったが、今は違った。まるで悟りを開いた様に頭脳が隅々まで働いている。
次々と頭の中で文章を組み推敲し、口が推敲済みの文章を読んでいる。聖徳太子もこのような境地だったのだろうか?
「しかし悲しいことに世界の国々はその後も軍備を拡張し続けました。それでも軍縮の努力はした。だがある少数の国は不幸にも独裁者に支配され、共産主義という名の帝国を作ってしまった・・・」
粗相が背後の液晶プロジェクターのスクリーンを示した。そこにはあの核弾頭を積んだミサイルの設計図が映し出された。
「・・・これは証拠です。水爆弾頭を21個積んだ衛星型ミサイル『プルガサリ』です。それが今にも宇宙に打ち出されようとしています。・・・そして今から遠くない日にそれが最後の審判の様に地球上に降り注ぐのです」
場内はどよめいた。そしてあの殺戮の映像が映し出された。場内は静まりかえった。
本当は、重要なのは『品質問題』なのだ。その『品質』が、核弾頭を『降り注がせる』ことになるのだが、それを言い出したところで国民は混乱するだけだと、粗相は思った。
設計図と農民殺戮の絵だけで今は十分だ。情報を隠すと、後で露呈し飛んでもないことになる。しかし混乱させる情報は出しても無意味なのだ。
「国民の皆さん。一度だけ私にチャンスを下さい。自衛隊を平和のために使わせて下さい。何も人生の楽しみを知らずに、無益に、息絶えていったあの人達のために自衛隊を派遣させて下さい!全世界の自由国家・・中国も含みます・・・それが全て『私』の提案を受け入れてくれました!」
やった、記録された!かあちゃん!俺、歴史に名を刻んだよ!
「国民の皆さん!今は皆さんと連絡手段はありません!ですから、賛同される方は車の警笛を午前七時に鳴らして下さい!それを都道府県市町村の役所が私に連絡してくれます」
官邸の時計は午前六時五十分を示していた。
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粗相は会見室の椅子で目を瞑って待っていた。
冷静に威厳を持ってそこに端座する自分の姿を想像し、それを実行していた。ここで薄目を開けるなどしてはならない。全てを受け入れた仏の様な姿をテレビに映すのだ。
まだ通行人がいない霞ヶ関が次第に明るくなってゆく。
遠いところから警笛の音が幽かにした。賛同の音か・・・それとも前のどじな車に浴びせる攻撃的なブザーか。
ぶっぶー。
次第にその音が重なり合い、大きくなっていく。
粗相は刮目した。
その瞬間をテレビは捕らえ、その潤んだ瞳を大写しにした。
それを茶の間で見ていた父親は、新聞を投げ出し表に飛び出した。
「お父さん!朝ご飯どーするの!」
妻が驚いて叫ぶ。子供達がわーといいながら父親の後を追った。
その父親はガレージの車のドアを開けた。隣の親父が同じように車に飛び乗ったところだ。
先を越されてなるものか!
一斉に静かな住宅街の家々から、車の警笛が鳴り響いた。赤ん坊が泣き出した。今は許してくれ!
都道府県の庁舎から官邸に電話が殺到した!大行政区の数だけ電話が敷かれ、総動員された総務省の職員が寝ぼけ眼で一つづつ担当している。
電話を受けると、プロジェクターのスクリーンに羅列された都道府県市町村の一つ一つの名前が青に反転する。各庁舎は市町村の電話を受けるとそのコード番号を官邸に知らせた。
警笛音が蔓延していると判断した市町村は『賛同』と判断して連絡した。
次々と日本各地の市町村コードが青に反転して行く様をテレビは放送した。
「有り難う御座います・・・」
粗相は国民に向かって深々と頭を下げた。