第1回 オークとかオーガとかミノタウロス、胴体は人間そっくりだけどホントにそれ食べるの?
なろうで小説を拝読させて頂いていて、溜ってしまったもやもやを、つい吐き出したくなって書いてしまいました。エッセイのジャンルに投稿しようと思いますが、エッセイ方向の何かです。後、乱文ですみません。文章も変ですね。
切っ掛けは、どこかの感想かエッセイで読んだ「ファンタジーだから設定とか適当でいいじゃん」若しくは「ファンタジーだからリアリティとかなくていいよね」という感じの意見があったからです。
わりとそういう意見も多いみたいですが、逆なんじゃなかろうかと。スタンスにものすごく違和感がありまして。いや、正直に書くと、考える力が無いのかなって思いました。具体的にどこの意見だいうのは、思い出せないので申し訳ないのですが。もし思い出せても書くのはまずそうですね。
現代日本であれば、ファンタジーと比較して、考えなくても済む事や描写しなくても済む事って多いかもしれません。例えば貨幣価値とか物の値段とか。架空の世界の場合、良く描写されていますけど基本になる貨幣何枚で何が買えるのか辺りは無いとお金の価値や物の価値が分かりづらいです。
飛行船とか大砲並みの魔術があるだけでも、街を囲う城壁がどうなるかを考えなければ不自然になるでしょう。
例えばレイピアの様な武器があるなら、鉄砲が発達して鎧などをあまり纏わない状況なのかもしれないので、レイピアの様なモノが使用されている背景が他の文や社会の様子から透けていないと気持ち悪くなります。
寧ろ、架空であるせいで色々考えなければならない事が増えるんじゃないかと思うんです。まあ、物語に影響がなく、あまり現実味を欠いてなければ気にすべき事ではないのかもしれませんが。
なろうの一部ファンタジーや恋愛ものを読んだり感想を読んでいると、なろうにおけるファンタジーのもろもろは、見た回数が少ないので確とは言えませんが、アダルトビデオ大差ないものなのかと考え始めています。お手軽に欲求を満足させたいというのも近しいですね。暴論だとは思います。若しくはタイトルで「俺の好きなアニメを継ぎ接ぎして小説(笑)にしたった」みたいな。
と言いつつ、チートの作品は結構拝読しますし、さまぁって感じの話も好きではあるんです。勢いがあって面白いですね。でも、書き手や読み手のファンタジーだから適当でいいじゃんってスタンスは残念だと思います。
さて話を変えて、ここからは読んでいて気になった事や、皆さん気にしていないようなので不思議に感じる事を書いていきたいと思います。
【どうしてなろうの読者は、日本人がオークやオーガを食べる事を気にしないの?】
論理的な事ではなくて、感覚的、倫理的なところですかね。人に近い形をしていて、お話によっては言葉を話し、原始的若しくは人と変わらない文化を持った生物を食べることに嫌悪感を抱かないものなんでしょうか? オークって頭を落とされたらあまり人と変わらない姿をしていると思うんですが。豚足の代わりにオークの手や足を煮たものを出されて食べるんでしょうか。
「豚足うまっ。さすごしゅ!!!」
ちなみに一番すごいと思ったのは、狩りで捕まえてきたオークを、自分の農場で労働契約を結んでいる(会話も文字の読み書きも出来るんだったかな? 一寸自信ないです)別のオークに食肉加工させていた小説です。丁寧に解体の仕方や熟成にも触れていた気がします。
ニホンザルとか人の形に近い形をした生き物って、現代日本人の感性からすると、食べる対象にならないと思うんです。
例えば夏だからと言うわけではありませんが、BBQでニホンザルのリブ? あたりを出したら二度と口をきいてもらえないような気がします。
寧ろ、異世界の人間は普通に食べるけれど、日本人は食べることができない、文化的なギャップを受けるという方が妥当なのではないでしょうか。
地球だとゴリラを食べる部族とか、日本の中世の籠城で人間を食べる等あったらしいことを考えれば、異世界で人型生物が食べられていること自体は可笑しなことではないとは思うのです。古い食人の風習のように、強いものを食べる事でその力を取り込もうとするという風習があったりするかもしれません。ライトなファンタジーにはそぐわないと思いますが。
【城郭都市に住んでいる異世界人はどうやって食料を手に入れているの?】
城壁を出ると、30分もしない内にモンスターと遭遇する小説は多いですね。ウサギだったりイモムシだったりするとなおさら不思議です。折角育てている作物が食べられてしまうのではないかと。
モンスターは人間しか襲わないんだ! と言ったところで農作業する人間が襲われるので、農耕自体も出来ないのではないでしょうか。
進撃の巨人の世界のように、農耕地も高い城壁で囲っていれば不思議ではないんですが。
【異世界でも、現代並みに距離や季節関係なく野菜や果物が手に入ると、無意識に考えてない?】
現代日本では、野菜や果物が簡単に手に入る印象がありますが、実際は農協か農水省がある程度作付けなどをコントロールしているはずです。
日本列島は縦に長いので、同じ野菜でも九州から初めて最後は北海道と季節や地域をずらして、他にも路地栽培やハウス栽培等、育て方も変えて、足りないところにはトラックで長距離輸送して、冷蔵管理などの品温管理を進歩させて、いつでも同じ野菜が買えるように工夫されています。
それでも長野で夏大雨が降ってレタスが高騰するなんてことが起きるわけですが。
ちなみに、根菜類はそこそこ長持ちしそうですが、大根を例にとると、スーパーの売り場のような常温で適当に放置すると1日しか鮮度が持ちません。次の日はしおしおし始めます。売れ残った大根は、企業によって-5度ぐらいの冷水に付け直して鮮度を回復さています。
まあ、お店に来るまでの管理や状況が悪いと、今日来た野菜より、昨日店に来て売れ残った野菜の方が鮮度がいいということも多いのですけど。
では、異世界はどうなんでしょう。じゃがいもやカボチャのようなものを除けば、ほぼ旬の野菜しか手に入らないように思えます。中世の食事事情を調べると、野菜などは城塞都市の庶民の口にはめったに入らないもののようですね(確証まではないです)。
異世界で食堂を始めるものがありますが、同じメニューを出せるのは1シーズンという方が妥当なのではないでしょうか。
というか、朝、市場に行って予算の許す範囲で良いものを買い、店で出るのはいつも同じ値段のシチュー。だだし中身はシーズンごとに違うというのがごく普通の異世界の食堂のような気がします。
同じメニューを出し続けるのであれば、季節と距離をはねのけるなにかが必要です。すぐそばのダンジョンで季節に関係なく農作物が採れるとか。
さて、今日のところはこのあたりにしようかと思います。では。