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我が輩の夢破れたり2  作者: なお
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夢の破れた我が輩の思索日記。

 我が輩の夢は破れた。敗れ去った。完膚なきまでに覆された自己認識。私はそれを抱いている。

 抱いている中でも生きてゆかねばならぬ、それは不断の動揺を胸に抱きながら生き続けて行く、月と太陽に照らされた舞台の上での、操り人形である。それが私の生である。それはどういう事かと言えば、私には先ず性に関する悩みが存している。それは性同一性障害と呼ばれる病であり、現在社会的にも認識されるようになってきていると感ずる。


 私がこの病を知ったときは未だ年端もゆかぬ10代後半の頃であった。当時からホルモン注射という治療法がある事を私は認識していて、けれどもそれを受けて行くという勇気を合わせ持って行けなかった私は、当時女性ホルモンと似た働きをしていくというサプリメントを、主に通信販売で購入し服用していたのである。そうして月日が経った現在、私は夢破れた折、年齢的には28歳という年を過ごして行ってしまったのであるが、ようやっとホルモン注射を受けてみようと決意し、近隣のジェンダークリニックへ向かったのである。


 当のジェンダークリニックへは京王線を利用し、渋谷まで出てから一度乗り換えて行くという道順があったのであるが、私は途中神奈川県を通過する駅にて下車し、そこから別の線へ乗り換えて行くという道順を辿って行った。渋谷という町はなんとはなしに苦手であった私は、神奈川県を過ぎて行くというその駅に下車する事で気を落ち着けようとしていた。

 当の駅へは高校生であった当時の私が、友達と一緒にカラオケへ行って歌ったり、CDを見に行ったという想い出も存していたという事から、私はこの道順を辿っていこうと心に決めたのである。


 それにしても笑ってしまう事はオーディションへ向けた私の動きとそれを通過していけなかった自分の振舞い、ここに痛々しさの全てが凝集しているかのような呈も感ぜられるのであるが、私は今回の一事により人間というものが、斯くも常々良い事を行おうと欲しておるというに、その行いの数々は悉く頽廃せられ、その終末は見るも無惨、悲惨な光景ばかりが広がっていて、私としてもこの失敗から来た激情をどのように処理していくべきものであるか、ほとほと困り果てているといった次第なのである。


 それというのも罪悪はこれを行う者を救う事は出来ぬし、かと言って相手に対しその意思や感想を求めていく事も出来ぬ。八方塞がりである。けれども結局悪い行いをしたり、物に当たって何かが変ぜられていくというものでもなく、結局のところ自分の思う良い事をしていくしかないというものが、私の短き生おいてのある種の結論なのである。


 だから私は苦しくてもまだまだ作曲と呼ばれる行為を続けて行きたいと思うておるし、これだけは何が何でも止める事は出来ぬ。そう思うておる次第なのである。


 そうこう考えている内に私は京王線を目的の駅で降り眼前に広がってきた懐かしき光景に、当時高校生の頃の友人と遊び合していたその場へ赴き、感慨にふけっていた。これから私は初めてのジェンダークリニックへ向かうんだ。そう思うていると不思議と当時の光景の中の自分と今の自分が繋がれていくような心持になって、やはり当時の私も私の事女だってどこかで感じていたのかもしれぬと、そのような思索を行っていた。


 当の駅は京王稲田堤という名の駅である。この駅の歴史について詳しい訳でもなかった私は先に思量を育てていた高校生の頃の友人との思いでや、もっとそれ以前に会うていた小学生の頃の知り合いを心中に対し想起させていた。ジェンダーといえばそれが自らの生に現臨してくるという衝撃。その事に対する自らの考と呼べるものに対しては、それを私は格別な自らの人格固有の発現であるとも考えてみたりもするのであるが、そういった意味で自らの記憶に残っている友人と呼ばれる他者の存在は、それらの記憶と相まり私に対しこの駅の存在を、何らかの重力場であると覚知せしめるに足る、各々の事象としてその存在を定立させていく事が出来る。


 そんな事を考えていると目に飛び込んで来たのはガラガラポンと呼ばれるものか、はたまたガシャポンと呼ばれるものであるのか。この事に対しての確定的な認識を持つに足る判断材料と呼べるものが私の内には無かったのであるが、とにかく百円硬貨を投入しランダムに該当製品の何れかを購入出来るというその装置を目の前にし、私はその製品の紹介記事に驚いた。


 それはいつも私が何とは無しに見ていた、ビルの隅の方に記されている、それが一体どのような意味を指し示しているのかは定かではなかったとある石の板のようなものが製品化されていて、私は思わず笑ってしまった。この様な製品を企画し販売にまで持っていけるその人が日本の何処かにいると思うと、私は何だか妙な気持ちになって、けれどもどこか嬉しく、喜ばしいかのような気持ちにもなった。

 実際に商品を購入しようとまではいかなかったのであるが、私は愉快な気持ちになって、何かをお返ししたいような心持にまでなっていた。


 そうこうしている内にまたもやオーディションの思い出が蘇ってくる。これは先のガラガラポンの印象とは違い、人はここまで汚くなれてしまうものなのかと感ぜられるような自我意識を自らの胸中に宿らせていくに足る、ある種恨みとも呼べるような感情を私の内部にはそれを提起させてくれる。しかし誤っていたのは私の方であったのかもしれない。オーディションへ応募していくくらいなら、もう少し積極的に自己をPRしていった方が良かったのかもしれぬ。しかしそれでも、私の意に反したかのような記事が当のオーディションを開催しているサイトから出ているかのように感ぜられたのは驚くべき事実であった。


 もちろんこのような事は私の思い過ごしであるのかもしれない。しかしもし、そのような事でなかったとしたならば、私のこの意識は常に朦朧としたストレスに晒されていくという事実に事態が発展していくという事に繋がる訳であり、何とも心が晴れぬのだ。


 そうは申してもやはり普通に考えてオーディションに落ちた人物に対する当てつけのような事をするのが人であるとは思えぬ、否、思いたくないというような、己が心の良心に照らし合わしてみると、事態は然程考え込んでいく程の価値を、見失うてしまうのではないのかとも、そのような感得も得られてしまうのだ。何より今の私にとって重要な事は、ジェンダークリニックへと向かう事ではなかろうか。


そうだ。


 そう思うて私は目的の、路線を異にした次の電車へ乗り込みその歩みを進めて行った。

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