幸せの白い毛
「あ~もう、母さんまた白髪増えてるし、いいかげん染めなって」
昨年から一人暮らしを始めた娘の柚葉は、帰省する度に白さの増す私の髪を指摘してくる。
「いいの、・・・母さんはこれでいいのよ」
「何で染めないのさぁ、染めたら若く見られるのにー」
「母さんは、けっこうこの白髪が好きなんだけどねぇ」
さらって流してみると、娘はいつものように口を膨らませる。
「また~、もう面倒なだけなくせに。
お洒落に気を使わなくなったら老けるのも早いんだからぁ」
私は40台半ばと言う年齢の割には白髪が目立つ。そんな残念な容姿を思いやってくれる娘の気持ちは私だって良く分かっているつもりではある。娘としては、いつまでも若い母親でいて欲しいのだと思う。
でも、私が髪を染めないのは面倒だとか、お金の問題とかそんな理由では全くない。
「大丈夫よ、これでも母さん、スーパーで若いですねって言われたもの」
「お世辞だよ、そんなの」
柚葉の指摘は、段々手厳しくなって来ている。やっぱり余り気が進まないけど、”あのこと”を話そうかなぁ、何て思ったりもする。でも、出来れば誰にも話したくはないのが本音。
幾ら娘だとは言っても、自分の後悔をさらけ出すのは気が引けてしまうし。
もし本当に話してしまったら、今のこの娘にとってどんな風にきこえるのだろうかと不安もある。
それに、私に対してどんな気持ちを抱くのだろうか?とも思ってしまう。
30年以上経っても頭から離れない私の想いは、娘には一体どんな想いとして伝わるのだろうか。
もしかしたら、トラウマだと言われて、それで終わってしまうのかもしれないけど・・・。
小学6年生の時、私は中学受験に失敗して人生初の大きな挫折を味わった。それは、短いとは言え無邪気に送って来た12歳の私には、言い難い大きなショックであった。
まだ、子供の頃の話じゃないかと思う人もいるかと思う。だけど、思い出してほしい。多感な子供の頃の方がショックが大きかったはずだ。
私が中学受験をしようと思ったのは、両親からの勧めでは無かった。自分の人生に対する初めての希望であった。とは言っても理由は単純。私の母と同じ学校に通いたいと言う動機が膨らんで行ったに過ぎないものだったと思う。
それでも一度思い込んでしまうと、それが全てとなってしまうようなところが私にはあったから、自分の中では大きな思いへと広がっていたのだ。
母は中学受験をし、中高大と一貫校に進んでおり、その時の友人たちとは卒業後もずっと付き合いがあった。その友人たちは多才で憧れる人ばかり。私にはその関係がとても素敵に見えていた。
母はその友人たちと頻繁に交流があったので、私も母に付いて行っては、その友人達に色んなことを教わったり、可愛がってもらっていた。
私は母と一緒にそんな友人たちのところに出掛けるのが楽しみであった。
私は、絶対大人になったら母の様に素敵な友人達に囲まれて楽しく毎日を送りたい。いつしか私はそんな妄想を大きく膨らませていたのだ。
でも、その第一歩である受験に失敗してしまったのだった。
私の将来への妄想は、一つの試験で簡単に崩れてしまったのだった。
そんな無残な結果の受験が終わり、小学校の卒業式も終わった空白の春休み、公立中学の入学を控えた3月末のある日である。私を心配した母方の祖母が遊びにやって来たのだった。沢山のお土産を持って。
名目は遊びにではあるが、遠方からわざわざ私を元気づけにやって来てくれたは、誰の目からも明らかであった。もちろんその時の私にも、それは分かっていた。
祖母は一人暮らしをしていたが、寂しさなど微塵も感じさせない人であり、還暦目前であったがとても元気な人であった。贔屓目かもしれないが年齢よりも10歳近く若く見え、しかも所作が上品で優しく、大好きな自慢の祖母であった。
遊びに来た祖母は元気のない私を遊びに連れ出してくれた。母の子供頃の面白い話を聞かせてくれたりもした。一所懸命に私を元気付けようとしてくれてた。
子供心にもそんな祖母の気持ちが嬉しく、私もそんな祖母の気持ちに応えたかった。が、応えようとはしているつもりでも恐らく私の反応は鈍かったのだろう。
祖母は当初の予定を延ばして私と一緒に居てくれた。
でも、仕事を持っていた祖母は帰らなければならない日は、まもなくやって来てしまった。
祖母は帰る最後の晩に私の部屋で一緒に寝てくれた。その時も色々と面白い母の昔話なんかを聞かせてくれた。祖母のネタはつきなかった。
そして、祖母は名残惜しそうに帰って行った。
そんな祖母が帰ってからである。不思議と私の心と体は軽くなって行ったのだ。それに伴い、精神状態が落ち着いて行くのを私は感じるようになった。
中学の入学式の頃には、何事も無かったかのように、私はいつもの元気が戻っていた。
そして、入学式の夜のことである。お風呂に入っていて私は自分の体を見て驚いた。
左の脇腹に3cmくらいの髪の毛より細い蜘蛛のような細くて透明に近い白い毛が生えているのだ。全く気が付かないままに。
私は特に毛深い訳でもないし、ましてや、その毛の生えている場所は普通は毛など生えない場所である。生えている場所が場所だけにちょっとにショックを受けた私は、お風呂から出ると直ぐに自分の部屋に戻って、体も満足に拭き取らないまま毛抜きでその毛を抜き、ゴミ箱に捨てた。
そんなことがあって2~3日後である。今度は二の腕にやはり同じような白くて細い毛が生えているのである。長さも左の脇腹に生えた時と同じくらいで、やはり全くも気が付かない内にだ。
今度はちょっと処ではなく、流石にかなりのショックを受けた。
もしかしたら、これはただの前兆で、直にシロクマのように前身が白い毛におおわれるのではないかと言う恐怖が、成りたての中学1年生に襲って来たからである。
私は慌てて母の部屋に行き、姿見で他に白い毛が生えていないか全身をくまなく探してみた。
幸いにも白い毛の生えているのは、まだ二の腕だけであった。
私は直ぐに自分の部屋に戻って、再び毛抜きでその毛を抜いて、自分の部屋のゴミ箱に捨てた。
だが、さらに数日後である。今度は同じような毛が胸の谷間に生えているのである。もちろん長さも同じくらいで。
確かに数日前に姿見で全身を探した時は無かったはずだ。場所が場所だけに見逃すはずも無い。
でも、3cmもある毛がいきなり生える訳がない。
不思議だ。
ホントに気味が悪いくらい不思議だった。寒気がした。
それでも生えているのは間違いない。対応策は毛抜きで抜く以外には思いつかない。私は、また直ぐ様毛抜きで抜こうとした。
でも、丁度その時である。家の電話の音が私の行動を邪魔したのである。
母が家を空けていた時であったので、一旦、その毛を抜くのは止めて私がその電話に出るしかなかった。
電話に出ると、電話の先の声は先日遊びに来てくれた母方の祖母であった。
祖母からは特に要件と言う要件は無かった。要は私の様子伺いということである。でも、私にとっては物知りの祖母からの電話はグッドタイミングであった。もちろん、謎の白い毛の相談にである。
もし、母に話して何だかんだと、また心配されたらと思うと何となく嫌だったので、相談相手には祖母が打って付けであったのだ。
祖母に聞いたところ、その白い毛は、”幸せの白い毛”で、心配するどころか、喜ぶべきことだと言うのである。そして、祖母いわく、決して抜いてはイケないとのことであった。
また、あまり他人に話すと効果が薄れるので、母にも黙っている様にとのことであった。
祖母はたかが迷信的な一本の”幸せの白い毛”が生えたくらいで、奇妙なくらいに嬉しそうに話してくれたのであった。
私は占いも結構信じるし、げんも担ぐ方なので、まあ生えている場所も他人に見られるところでもないので、祖母の言う通りその毛を抜かないことに決めた。
そして、その幸せの白い毛のせいとは言い切れないが、私の中学生活はとても充実して楽しいモノとなった。友人にも恵まれたし、テストのヤマも当たる。クラスでは中心人物に成っていたし、上級生になってからは後輩にも慕われた。
何をやっても上手くいったし、ホント幸運が続いたし、毎日が楽しかった。
一方、祖母はと言うと、病を患い入退院を繰り返していた。腱を切ったっリ骨折したり怪我もかった。
私も今までとても可愛がってくれた祖母のことが心配で、夏冬の休みには必ず母と祖母のところに行ったし、電話でも頻繁に話すようになった。
祖母との電話は、祖母から一方的に聞かれることに私が応えるという感じで、祖母は私の楽しそうな毎日の話を聞いて、とても嬉しそうに頷いてくれた。
また、体の調子のよい時には、祖母は無理をおしてでも私の家に遊びに来てくれたりもした。今思うと祖母寂しかったのかもしれないと思う。
そんなことで頻繁に声は聞いていたし、年に数回は祖母に会っていた。でも、短いスパンに関わらず、会う度に若くて元気だった祖母が、年々実年齢を越えて老けて行くのを感じることとなった。
やがて中学生活も3年が経ち、晴れて高校入試でリベンジし、私は母と同じ高校に通うこととなった。
ある朝の登校前のことである。私は幸せの白い毛が、かなり草臥れているのを感じた。
私は思わずそれに向かって「今まで、ありがとう」と口走り、そっと摘まむように触れてみた。特に引っ張った訳でもない。それなのに、幸せの白い毛は元から生えていなかったかのように、胸から離れ、触れた私の中指と親指の間に納まっていた。
「あ~あ、ついに抜けちゃったか・・・」
それには、ちょっと気にはなったけど、当時はずっと好調な毎日が当たり前になっていたので、そのことが尾を引くことも無かった。
でも私の性格上、げんを担いで幸せの白い毛は捨てずに、机の上にティシューを引いてその上に置いて、その日は登校した。
そして、その日の夕方である。
学校から帰ってみると、ティシューの上に置いたはずの白い毛が無くなっていたのである。
「あれ?」
窓は閉まっているし、母に聞いても私の部屋には入ってないと言う。
不思議に思い部屋の中を懐中電灯を片手に少し探しては見たが、何処にも見つからなかった。不可解に無くなったことにはちょっと気になるが無いモノは無い。「まあ、いいか」と言う感じで私はあっさり諦めることにした。
しかし、その深夜のことである。
ふと夜中に目が覚めると、淡く発光しているモノがフローリングの上を這っているのである。百取り虫の様に体を曲げながら寝ている私の方に向かって。
驚いた私は起き上がり照明を点けようと思ったのだが、思うのみで金縛りに遭った様に身動きも出来ない。
そんな私にお構いなく、それは次第に私の方に近づいて来る。
私はそれを目で追うことしか出来ない。
やがて、それは私の寝ているベッドの直ぐ下まで来て、視界から外れた。
大丈夫、ベッドの上に上がって来れるはずが無い。そう自分に言い聞かせた。
ところがである。それは板バネが弾いた様に飛び上がり、私の直ぐ目の前に飛び乗って来たのだ。
怖いながらもよく見ると、それは淡い白く光ってはいるものの、それは3cm余りの細い白い毛であった。
草臥れてはいなかったが、直感で今朝まで私の体に生えていた幸せの象徴だと感じた。でも、その時の私には、恐怖の対象でしかなかった。
目の前にして叫ぼうにも言葉が出ない。
逃げようにも体が動かない。
私は恐怖で寒気が止まらなかったところまでは覚えている。でも、そんな状況にもかかわらず。その後の記憶が私には無い。恐らくそのまま眠ってしまったのだろう。
そして、次の朝である。
そんな夜を迎えたにも関わらず、体の調子はすこぶる良かった。
私は昨夜のことを思い出し、恐る恐るベッドの上を確認するも、白い毛は見当たらない。
夢だったのだろうか?
そう思いながら朝の眩しい光に目を細めながら私はいつもの様に、机の上の起き鏡を手に取った。
鏡に映るのは、眠そうな私の顔。
いつもと変わらないいつもの顔。
急に可愛くなったりする訳も無いが、急に老けててる訳でもなく納得。納得して頷く。
そして、納得して鏡を机の上に置こうとした瞬間であった。光の加減で私の額に朝陽を反射して光るものが目に入って来たのである。
慌てて、置きかけた鏡に向かい目を凝らす。
額に何かある。
いや、生えている。
色は白い。
額に白い毛が生えているのだ。
私には昨夜の白い虫の様に這っていた毛が生えていると思わざるを得なかった。
胸の谷間から抜けた白い毛が、額に生えているとしか思えなかった。
昨夜のことは現実だったのか、夢だったのか分からない。でも、怖くなった私はその毛を、急いで毛抜きで抜いた。そして、ティシューに包み、急いで自転車で海岸まで行った。海風に飛ばしてしまう為に。
海岸通りの道で、私は包んでいたティシューを広げ、そのまま風に流した。
白い毛は風に流れて直ぐに消えた。
何処かに飛んで行った。
飛んで行って安心した。目の前から消えて安心した。
でも、安心したんだけど、なぜだろう?その直後、何故か罪悪感に苛まれていた。
私はそれからどこかソワソワした落ち着かない日々を過ごすことになった。
それでも特に何事も無く数日の日々が流れた。悪いことも無かったが、ここ数年のツキまくった日々は何処かに消え去っていた。退屈な日々となった。
今考えると何ってことない普通の日々である。淡々と時は流れて行っただけである。
そんな矢先のことである。祖母が倒れたと言う知らせが入ったのだ。
会う度に老けて行った祖母の姿が私の頭を過る。直ぐにでも駆けつけたいけど遠方である。祖母のところへは母のみが向かった。
祖母はそのまま、入院生活となってしまった。
そして、一月も経たずに、私に大きな不幸が訪れた。上品で、優しくて、大好きだった祖母が亡くなってしまったのだ。
久々に感じた不幸な出来事は最大級の悲しみをとなった。
母と並んで、祖母の前に座った時、母は真っ先に亡くなった祖母の肩を出し、見ていた。
何をするのだろうと私が驚いていると、母は祖母の大事にしていた白い毛が無いと言ったのだ。
その白い毛は、母が子供の頃から祖母にはあり、抜けてはまた、ほぼ同じ場所に生えると言うのである。しかも同じくらいの長さで。決して2本が同じときに生えることは無かったと言う不思議な毛だった言うのだ。
祖母はその毛が生えてから、幼い頃からの不運が一転して幸運続きになったとよく母に話していたそうで、祖母はその毛を”幸せの白い毛”と呼んでいて、自分がいつまでも若いのはそのせいかも、と言っていたたそうなのだ。
<私が捨てた毛と同じである>
生えている場所は違うけど、私と同じ幸せの白い毛と同じとしか思えない。
繋がった、全てが繋がった。
思い返せば中学入試に落ちて祖母が訪ねて来てくれた直後に幸せの白い毛が生えて、それから私の幸運が始まった、逆に見る見るうちに祖母は老けて行った。
そして、白い毛が私の前から消え去て、いや、私が捨てて今となった。
胸が張り裂けんばかりに痛んだ。当然だ。
痛くて痛くて、締め付けられて、目の前が眩んで、涙が溢れて、後悔しか無かった。
このことは母には話せなかった。
しばらく、ショックと後ろめたさで立ち直れなかった。
そんな私を見て、母が私に伝えてくれた。
祖母はいつも私の幸せのことばかり考えて、娘の私のことなんかちっとも考えてくれなかったって。
母は、目を潤ませて笑って話してくれた。
私は、祖母がくれた幸運を無駄に出来ないと思った。
幸せの白い毛はもう無いけど、幸せを感じるのは心の問題。私は、何が起こっても祖母の分まで幸せを感じて生きよう。そう思った。
その後、幸せの白い毛と祖母を亡くした後も、幸いにも特に大きな不幸は訪れることはなかった。私には、祖母が全ての私の不幸を背負ってくれたような気がした。
そして今、私は無難な普通の生活に幸を感じている。あれから、普通に学校を卒業し、無事に就職、結婚をし、娘の柚葉に恵まれた。
いつのまにか、40台も半ばになっている。
もちろん私の白髪が幸せの白い毛と無関係とは分かっている。でも、抜くことはもちろん、染めることも出来ない。
娘に話したら、ただのトラウマだと言われるかもしれない。でも、なんとなく祖母の気持ちまで染めてしまう気がしてしまう。それに、今、ごくごく一般的なこの生活に幸せを感じているのは、もしかすると私の白髪の何処かに祖母の幸せの白い毛が生きているからかもしれないなんて思ったりもする。
だから、抜くことはもちろん。黒く染めるなんてできはしない。
でも、そんなことを娘は知らない。
だから、どうやら娘はまだ諦めていないようである。
「母さん聞いてるの、一緒に美容院行こうよ」
「そうね、いっそのこと全部白く染めちゃおうかしら」
「なーにそれ、もう~」
柚葉はまた、口を膨らませた。
可愛い、そんな顔も。
私にとっての幸せ。ハハ。
「あっ、そうそう見て、私、こんなところに白い毛が生えたの。
母さん、抜いてくれる・・・」
「えっ、どれ?!」
「これだよ」
「あっ、ホントだ」
生えてる、生えてる。
「ねっ、母さん抜いて」
「・・・」
「母さん、泣いてるの?」
おばあちゃん、娘のところにやって来ましたよ。
幸せの白い毛。
そろそろ
・・・・・・・話してみようかしら。
<おしまい>