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大間基地。
青森県の北端、津軽海峡に突き出た人工の岬に、現代の大戦が始まってから間もなく、造設された軍事基地だ。
当初は大間埼灯台のある弁天島に建てられる計画だったが、地元住民からの強い反対によって建設地が変更となったのは有名な話だ。
土地の広さとしては東京湾岸基地とほとんど変わらないが、機動兵装の数では遥かにこの大間基地が上回っている。今回のように、北海道の前線基地が落とされた場合、次に前線となるのはこの基地だからだ。
それに、今は各地方の基地から派兵されて来た機動兵装も加わっている。
「凄い…」
総勢、百機を超える機動兵装が滑走路に列をなし、整然と並び立つ目の前の光景に、アリスは目を奪われた。
第二次奪還作戦の中隊だ。これだけの数の機動兵装が派兵されると言うことが、日本の危機的現状を物語っていた。
「何故ですか?」
BSH-41から滑走路に降りたアリスは、聞こえて来た怒鳴り声の方向を振り向いた。そこに居たのは赤軍服の士官とプロテクトスーツに身を包んだ兵士だった。
先程の怒鳴り声はプロテクトスーツを着た兵士のものだろう。突っ掛かって来る彼に、赤軍服は諭すように両手で制する。
「上からの命令で、少しだけ作戦決行の時間を遅らせろとの通知があったんだ。心配しなくても時間が来れば出撃する」
「我々はいつでも出撃出来るんですよ!それが何故…」
「関尾中佐」
神河原が二人の間に割り込んだ。赤軍服を着た方が関尾 孝明中佐、第二次奪還作戦の指揮者だ。
「ああ、神河原特尉。無事に到着したようで何よりだ。渡海の準備は出来ている。中隊は君達が上陸してから一時間後に出撃することとなっている」
「了解しました。すぐ準備に取りかかります」
整列した零隊の隊員達は、敬礼をする。
「中佐、こいらは?」
苛立ち混じりのプロテクトスーツの兵士に、関尾は溜め息混じりに答える。
「彼らが作戦前に上陸する」
「なっ!こんなガキ共が?我々、中隊が攻め込めば…」
「だから、何度言えば分かる?敵の正体が分からない以上、全滅した部隊の二の舞になりかねないんだ」
関尾は頭を抱え、食い付く兵士に説明する。
(大変そうだな…)
「明弘、俺らガキだって」
「酷いもんですねぇ、大久保さん」
(ガキでしょ…)
「行くぞ」
神河原に従い、アリス達は機動兵装を積んだBSH-41へと戻って行った。
滑走路を歩く途中、神河原が言う。
「聞いた通り、俺達が上陸した一時間後にここにいる部隊が出撃する」
「一時間って…通信でこちらの状況を伝えれば…」
「おいおい、忘れたのか?相手は強力なジャミングを仕掛けて来る可能性があるんだ。それなら、前以って時間を決めておくべきだろ」
アリスの言葉を遮った大久保は、偉そうに腕を組み、得意げに笑みを浮かべた。
無性に腹が立つが、正論であるため、言い返すことが出来ない。
「桂の言う通り、一時間以内に片を付ける必要がある。第二次奪還作戦の成否は俺達に掛かっていることを忘れるな」
アリス達の成果次第で、人の生き死にが決まる。責任は重大だ。
「何だ、イギリス人。緊張してるのか?お前なんかが心配しても、何の意味もないんだよ。俺の後ろで、ひぃひぃ言ってれば良いんだ」
大久保がどうしてこんなにも自信過剰なのか、アリスには理解出来なかった。
BSH-41に全員が乗り込んだことを確認した神河原が告げる。
「各自、機動兵装に搭乗後、揚陸艇に乗り込むように。全員が準備出来次第、出発する」
武装の最終確認を終えたアリスは、簡易整備台の横に固定されていた一九径式狙撃銃を背中に収納する。
機動兵装を身に纏ったため、装甲の厚さからいつもより視線が数センチ高い。緊張と興奮で舞い上がる気持ちに、手を胸へ当てて深呼吸する。呼吸へ意識をシフトする。
落ち着くと改めて周囲を見渡す。神河原は機動兵装に搭乗し、壁に固定していた刀を手に取ると、それを背中に添える。すると、背中の装甲が開き、刀が中に納まると同時に、吸い付くように装甲が閉じる。まるで幼い子供の口の中に、棒付きキャンディーを咥えさせたようにも見える。柄だけが食み出し、刃は機体に収納された。
(忍者みたい…)
他の二人はと言うと、移動中に準備を終えていなかったようで、慌ただしく武装の確認を行っている。出撃に支障がなければいいのだが…
「アリス」
声をかけたのは梶咲だった。
「私はここからサポートすることになるけど…絶対に死なないでね」
「うん。よろしくね」
そう言ってアリスはBSH-41から降りた。
この機動兵装で地面を歩くのは、今から一ヶ月前の定期点検以来だ。
ふと、揚陸艇に向かう途中で、声が聞こえて来た。首だけを回してその方向を見ると、基地の外周を囲むフェンスの向こうで群がる集団が目に入った。大小様々な大きさのパネルや旗を掲げ、何かを叫んでいる。
それらに書かれた言葉の中で共通するもの…
『平和』
一目で、それが平和主義者達の集まりだと分かった。
あまり関わりたくないのだが、揚陸艇へ最短距離で向かうとなると、どうしてもあのフェンスの近くを通ることになる。かと言って、彼らを避けるために迂回するのも馬鹿げていた。
そのため、アリスは堂々と前を通ることにした。
フェンス前を歩くアリスを見て、集団の声が一層強まる。
「人殺しの狂人!戦争を終わらせ、我々に平和を返せ!」
大旗を掲げた老人が叫ぶ。
「戦争は日本にとって無益だ!軍は今すぐ解体しろ!」
スーツを着た男性が叫ぶ。
「子供達から未来を奪わないで!」
赤子を抱えた女性が叫ぶ。
平和主義者達から飛んで来たのは、罵倒の言葉だけではなかった。
カツン、と言う音を立てて、アリスの機動兵装に打つかるものがあった。機体の装甲に弾かれ、地面に落ちる。
空き缶だった。
「この土地から出て行け!」
空き缶の次は酒瓶。アリスはそれを割らないよう、避けずに左手で受け止めた。
(さっきから好き勝手…)
アリスの中で、ふつふつと怒りが煮え立つ。手に持ったこの酒瓶を、機動兵装の力で思いっきり投げ返してやりたい衝動に駆られる。
強く握った酒瓶に罅が入る。
(私は…日本と言う国や、こんな屑共のために軍に入った訳じゃないのに…どうしてこんな奴らを守らなくちゃ…こんな奴らなんか…居なくなれば…)
無意識にアリスの右手が腰へ、そこに収まっている自動拳銃へと伸びる。グリップに指が絡まり、引き金に指を掛ける。そのまま引き抜こうと、
『おい…馬鹿なことを考えるなよ、アリス』
神河原はアリスの右手首を掴み、その動きを止めた。
「隊長…」
アリスの持っていた酒瓶が音を立て、表面に広がる罅を伸ばした。
神河原は機動兵装から降りると、アリスの左手から酒瓶を取り、地面に落ちた空き缶を拾う。フェンスまで歩み寄った彼は、それらを集団へと向けて放り投げる。
「ポイ捨ては良くない。ゴミは持ち帰れよ」
「子供が偉そうに…大人に指図をするな!」
「大人?もしかして、自分達のことを言っているのか?」
突っかかった男に、神河原は呆れ顔で訊ねる。
「ガキが!大人を馬鹿にするとは…年上は敬うものだろ!」
その言葉に、神河原は大きな溜め息を吐いた。
「『年上は敬うもの』…何を言っている?お前達みたいな人間に敬う価値があるとでも?」
「っな…」
「平和平和と喚き散らしている癖に、自分達を守ってくれる兵士に向かって、空き缶と酒瓶を投げたよな?それに、お前達は今さっき暴力で訴え掛けただろ。そんな奴が、平和?大人?敬え?馬鹿か。道理も通すことが出来ず、感情に任せて人にものを投げ付けるお前達に何の価値がある」
機動兵装を降りた神河原は、堅い装甲の仮面を付けず、正面から顔を合わせて彼らを見据える。平和主義者達、五十人を超える人々からの視線を受けて尚、彼は引き下がることなく向き合う。
「そもそも、平和なんてものが本当に実現するとでも思っているのか?」
「そ、そりゃ軍を解体して武装を放棄すれば…」
「阿保か」
静かに言い放ったその言葉は空気を一変させた。人々が静まり返る。
「平和なんてこの世には存在しない。日本が武装を放棄したとして、それで他の国が戦争を止めるとでも思っているのか?否、待っているのは理不尽な虐殺と人として扱われない差別だ。この国は占領され、日本人として生きられなくなる。占領された国で何が行われるか、知らない訳がないだろ」
神河原は決して叫ばないし、怒鳴らない。飽くまで、冷酷に言葉を突き付ける。
「平和の言葉は麻薬と同じ、幻覚を見せるだけの虚言だ。その幻覚を理由に、嫌な現実から目を逸らし、逃げるために平和なんて言葉を借りているだけだ。お前達は、駄々を捏ねて甘える子供と同じなんだよ」
いつの間にか、この場に居る人々の全員が神河原の言葉に耳を傾けていた。
「平和を返せ?平和なんて、人が生きている限り実現することは決してない。人は常に争い、何かと競い合う生き物だ。争うことをしない人間などいない。他人に対して抱いた些細な感情が、いつか火種に変わることだってある。個人に対してか、それとも国家か?思想か?宗教か?…それは人と時によってそれぞれ違う。だが、たったそれだけのことでも、争いは起こり、戦争にも発展する。戦争がこの世から消えることはない」
神河原は赤ん坊を抱えた女を見た。
「子供達から未来を奪うな、と言ったよな。未来を奪っているのはお前自身でもあることに気付け。お前達がしていることは、首吊りのために階段を登っていることと同じだ。現実から逃げた奴が未来を語るな。その尻拭いをするのは次の世代だ」
平和主義者達は黙り込む。誰も言い返さない。彼らがそれぞれ何を思って俯いているのか、アリスには分からない。
「俺は戦争を肯定も否定もしない。争いは必然だ。言葉で戦争が終わるなら…争いの火種を生まずに済むなら、それは素晴らしいことだろうな。だが、何かを変えたいなら、目の前のことから逃げるな。見て、考えろ。悩んで、悩んで、悩み抜け。これを聞いて、まだ平和を信じるなら、語り掛ける相手を間違えるな」
神河原の目は最後まで目の前の人々を、真っ直ぐに見据えていた。
「アリス」
「は、はい!」
「そろそろ行こう。無駄に時間を浪費した」
「…無駄じゃありませんよ…きっと」
「何か言ったか?」
アリスは首を横に振った。
アリス達の機動兵装が積まれた揚陸艇は波を掻き分け、滑るようにして前進する。目的地の陸は見る見る近付いていた。
顔を撫でる風は冷たく肌を刺し、吐いた白い息は後方へと流れる。プロテクトスーツに包まれた首から下は、全く寒さを感じなかった。
灰色に曇った空からひらりと白いものが舞い落ちる。
「雪だ…」
アリスは誰に話すともなく、独りで呟く。雪を現実で見たのは、実に二年半振りだった。特に用事がない時はいつも基地の地下にいるため、雪が降る光景を目にする機会は仮想訓練の中でしかなかった。
「嫌な天気だな…」
アリスの隣で並んで立つ神河原は、段々と量を増す雪に白く染まめられて行く目的地を眺めていた。
機動兵装の戦闘において、戦い辛い状況の一つに降雪時が挙げられる。深い雪が積もれば足部走行車輪の使用が困難になり、最悪の場合には使い物にならなくなる。アリス自身、仮想訓練で何度も体験していた。彼女としても、雪の戦場はあまり得意ではない。
「大丈夫ですよ、隊長!雪程度でこの大久保の実力は変わりません!」
胸を張って謎のアピールをする大久保を、アリスは横目で一瞥した。
神河原がどんな反応を返すのか気になり、彼へと目を向けたのだが…彼は少しばかり大久保を見詰める。蔑むのではなく、観察するような視線を大久保へと向けていた。
「ああ、頼む」
不自然な間を置いて、神河原は笑みを浮かべて答えた。
しかし、大久保も理解しているはずだ。足部走行車輪が使えなくなれば、日本防衛軍の機動兵装は機動性を削られることになる。特に今回の相手である北ルセニア連邦には分が悪過ぎる。
北ルセニア連邦の機動兵装と戦う際、その強度を打ち破るために日本防衛軍は機動力を駆使して戦闘を行う。近・中距離では機動力の勝る日本防衛軍が圧倒的に有利なのだが…雪で機動力を失えば話は別だ。
「全員、機動兵装に登場後、上陸まで待機」
神河原の指示に従い、アリスは揚陸艇の器具で固定された自分の機動兵装に乗り込む。頭部の機能だけを動かし、首から下を休止状態にする。
『もしもーし?皆、聞こえているかな?』
耳元に通信音声が響く。梶咲の声だ。次いで視界の隅に彼女の姿が映った。背景から見て、BSH-41から通信をしているのだと分かる。
『このチャンネルで常に繋がっているから、聞きたいことがあったら言ってね!それと、第一次奪還作戦部隊の生存者…機体の通信機能が破損しているから通信は繋がらないし、正確な位置は分からないよ…完全に罠だけど、どうする、ゆー君?』
『今回の作戦は、第一次部隊を全滅させ、第二次部隊にとっての脅威を偵察、排除することが目的だ。だが、その脅威が何かも分からない状態じゃ、どうしようもない。ここは手っ取り早く敵の正体を把握するために、敢えてその罠にかかってやろう』
危険ではあるが、その方法が一番早く目的に近付き、生存者を回収することが出来る方法だ。アリスもそれには賛成だった。大久保と小宮も特に反論はないようで、その沈黙をもって了承と見做された。
『上陸するぞ』
揚陸艇が大きく揺れ、砂浜に乗り上げる。砂と雪を巻き上げ、揚陸艇は停止した。
首から下も起動させ、固定器具を外す。
神河原は揚陸艇の後部に立つと、腰にぶら下げていたライトを取り出し、大間基地方面に向けて点滅させる。基地にいる兵士達に上陸したことを報せているのだ。
唐突に、アリスの視界でウィンドウが表示される。そこに書かれているのは《60:00:00》と言う数字。数字はすぐに切り替わり、カウントダウンを開始した。
基地にいる梶咲が上陸を確認したら送るよう、神河原が前以って言っておいた制限時間の表示だ。第二次奪還作戦部隊出撃までのタイムリミットである。
『行くぞ』
敵がいないことを既に確認した砂浜に、アリスは降り立った。
ブリーフィングで話した通りの陣形を組む。先頭に盾持ちの大久保。中央右に神河原と、左に小宮。そして後方にアリス。菱形で組まれたこの陣形を保ったまま、四人は移動を始める。
函館基地は現在地から丘を二つ程越えた先の盆地に位置している。この盆地も基地の建設時に演習場として開拓されたのだが、仮想訓練の開発によって現実の土地を使う必要がなくなったため、中途半端な開拓をされたまま放置されている。
『舞香、生存者は盆地にいるんだな』
神河原の問いに、梶咲は首を縦に振った。
『微かに発せられた機体の信号が、盆地の真ん中辺りに』
丘を一つ越え、二つ目の丘の中腹まで登った所で、一度足を止めた。
『明弘。ドローンを出せ』
神河原の指示に従い、小宮は腰に取り付けていた球体を取り出す。備え付けられたボタンを小宮が押すと、球体に割れ目が現れ、その形を変化させる。出来たのは中央のカメラを挟むように小型のタイヤを展開した、地走用の偵察ドローンだった。
小宮はドローンを地面に置くと、左腕に取り付けられているコンソールを操作する。ドローンは音もなく走り出すと、雪を掻き分けてアリス達のいる丘を登って行った。
『しかし、基地がある盆地にAAS3があるなら、この盆地でレーダーが駄目になるんじゃないですかね?丘に隠れてBSH-41を低空飛行させれば、ここまで来られたんじゃないですか?』
大久保は周囲を警戒しながらそんなことを訊ねる。それには専門家の梶咲が答えた。
『AAS3が認識するのは機体から出されている識別信号や熱源、その進行方向で、レーダーとは認識の仕方が違うの。レーダーは波を発する側だけど、AAS3の場合は対象が発しているものを受け取る側なの』
「でも、それなら私達もこの丘を登る途中で、照準高度を越えてAAS3の標的になっちゃうんじゃ…」
『大丈夫だよ、アリス。飽くまでAAS3の標的になるのは空を飛んでいるものだからね!地上を歩く機動兵装はスルーされるようになっているの。じゃないと、一般車両とかに対してもミサイル撃っちゃうことになるからね』
日本を守っていた技術の素晴らしさに、心の中で敬礼する。
『ドローンが丘の頂上に着きました』
『ご苦労、明弘』
梶咲が解説している間に、小宮の操作していたドローンが頂上に着いたようだ。
『線を』
小宮はそう言って、右手付け根の装甲から三本のケーブルを伸ばし、それぞれに手渡した。アリスもその内の一本を受け取ると、機体の首部分にある小さな蓋を外し、中の穴へとケーブルを差し込む。これにより小宮が見ているドローンの映像を、電子脳へと送り込み、視界のディスプレイに表示する。有線で繋ぐことで“目”を共有するシステムだ。
「これは…」
視界に映し出された光景に、アリスは息を呑んだ。ドローンが映した丘の向こうはまさに、地獄絵図だった。
機動兵装の破片と搭乗者の血がそこら中に撒き散らされ、六十三の亡骸が転がっている。中には人の形を保てず、四散した跡が残っているものまである。肉は焼かれ、焦げ付いた髪の毛が装甲の合間から覗く。少しずつ積もる雪が赤い水溜まりに溶けていた。
この光景から、少しばかりだが情報を得られた。
「爆発の跡が沢山ありますね」
『ああ、機動兵装の壊れ方からして、爆発物…それも、これだけの数と規模から考えるに、小型のミサイルか?』
神河原の言うミサイルの可能性が高かい。盆地の所々に地面を抉り、焦げた跡が残っているのは、ミサイルが爆発したことによるものだと推測出来る。
『明弘、敵は視えるか?』
『温度観測でも確認して見ましたが、盆地が広く、視界も悪いために遠くまでは観測出来ませんでした。ただ、ドローンから一キロ強程の距離に、生存者と思しき反応を観測しました』
『そうか…ドローンはその位置に留めて、生存者の座標をマーキングしておけ。移動するぞ』
ケーブルを外し、視界がアリス自身のものに切り替わる。いつの間にか勢いを増していた雪が、機体に積もっていた。体を揺らして雪を払い落とす。
辺り一面も雪景色に変わっており、予想していた通り、足部走行車輪は使いものにならないようだ。歩いて登ったが、丘の頂上までは五分とかからなかった。急な斜面を登ったにも関わらず、補助動力モーターのおかげで足への負担はほとんどない。
ここから三、四キロメートル離れた場所に函館基地があるはずなのだが、勢いを増す雪のせいで微かな建物の影しか見えない。遮蔽物がないこの盆地は、天候さえ優れていれば遠くまで見渡せるのだろう。
『アリスはここで待機。周囲を警戒しつつ、敵が現れたら俺達の援護を頼む』
「了解」
アリスを置いて、神河原達は丘を滑るように下って行った。その姿を見届けることなく、背中の一九径式狙撃銃を手に取って辺りを見渡す。丘の上には雪化粧された杉の木が立ち並んでいた。その中の一本を選ぶと、木陰で腹這いになって伏射姿勢を取る。
丘はそれ程高くはないが、低いと言う程は低くない。目の前の盆地全体を、十分に見渡すことが出来る高さだ。加えて杉の木がアリスの体を隠してくれるため、狙撃位置としては申し分なかった。
低い倍率で設定したスコープを覗き込み、呼吸を整える。視界が不明瞭な分、些細な変化も見逃さないよう、自身の感覚を最大限に研ぎ澄ます。
耳元で聞こえていた機動兵装の微かな駆動音もゆっくりと消え、ステルスモードに移行する。同時に、アリスは自身の頭の中から、狙撃に必要のない余計なものを削除して行った。
改めて目の前の光景に悍ましさを覚えた。一キロメートル先に見える、血と肉と骨が散らばった鮮烈で鮮明な光景。それはドローンで見たときの映像よりも生々しい。血肉の赤と機動兵装の残骸である緑は、まるで雪の上に咲く醜悪な花のようにも見えた。
ふと、スコープの隅に紫と緑の機動兵装が動いている。丘を下り終えた神河原達の三人だ。
予めマークしていた座標にスコープを向ける。
すると、残骸の海にたった一機だけ、微かに体を動かしているものが見えた。生存者だ。左肩の装甲は剥がれ、右手で傷を押さえている。下半身は雪に埋もれているが、重傷なのか?それとも、どこかが故障しているのか?その場から動かない。
「隊長、生存者を視認しました。近くに敵影はありません」
『分かった。アリスはそのまま、生存者の周囲を警戒しておいてくれ』
「了解」
神河原達は雪原に散らばる残骸の花壇へと、その足を踏み入れた。
彼らは周囲を警戒しつつ、ゆっくりと歩を進める。生存者に三人が辿り着くまで、それ程時間は掛からなかった。
雪に埋もれた生存者の機動兵装が引き上げられる姿を、アリスはスコープ越しに見届ける。そして気が付いた。
(脚が…)
生存者の両脚の装甲は太股から千切れていた。プロテクトスーツのおかげで止血されているようだが、その断面から肉と骨、脂が覗いていた。動けなかった理由が分かった。
『中島一等兵だな?』
神河原の声に、生存者の中島一等兵は小さく、そして何度も頷いた。
機動兵装の通信は搭乗者の声のみを届けるため、周囲の音は遮断されて聞こえないようになっている。そのため、中島が何かを話しているようだが、アリスには聞こえなかった。
中島は何かを指し示すよう、必死に右手を動かしている。彼が何を伝えようとしているのか、その指が向けられた方角へと視線を移す。
この時、雪の勢いは随分と穏やかになり、雪原の向こうでは微かな建物の影が見え始めていた。
『アリス!至急、函館基地方面を確認してくれ!』
緊迫した声の神河原に従い、アリスは函館基地へと銃口を向けてスコープを覗き込む。倍率を高め、目を凝らす。
(何…あれ…?)
基地の手前に設置された巨大なコンテナが目に入った。雪が小降りになり始めたことで、その姿がはっきりと映る。
(敵っ!)
北ルセニア連邦の機動兵装が見えた。数は十三。基地の前に大型の遮蔽物を設置し、こちらを向いている。
しかし、何よりアリスの目を引いたのは敵の中の一機、背中をコンテナに接続した機動兵装だった。原型は他の敵機動兵装と変わらないのだが、肩部分の装甲が異様に大きく、何やらハッチのようなものいくつか見受けられる。
(まさか…)
アリスは神河原達に伝えようと口を開くが、遅かった。
勢いよく空気の抜ける音が雪原に響き渡り、アリスの耳にまで届く。音源はコンテナ前に立つ機動兵装のハッチからだった。両脇から雪を溶かす程の高熱を持った蒸気が吹き出す。同時に数え切れない程の小型ミサイルが、そのハッチから放たれた。
射角は零。前に向かって放たれた小型ミサイルは、一切の乱れもなく、雪原の中央に立つ神河原達へと直進する。一瞬、AAS3が機能するのでは、と思ったが、小型ミサイルの弾道は照準高度を下回っていた。
『明弘は中島を引っ張って後退。桂は俺と一緒にミサイルを可能な限り撃ち落とせ。アリス、ミサイルを撃ち出す機動兵装を狙え』
神河原の指示が、状況に困惑していた隊員達を我に返した。
未だに固まったままの小宮を傍に、神河原は腰に下げていたサブマシンガンを、大久保は手に持っていたKZM-131を構えると、その引き金を引いた。
途切れ途切れの銃声と爆発音が響く中、アリスは慌ててスコープの倍率を高め、コンテナと接続した機動兵装へと銃口を向ける。引き金に指を掛けたことで電子脳の射撃補助が視界に表示された。
距離は三千六百。風は左から弱め。敵機動兵装の形と大きさから搭乗者の姿勢を割り出す。予測軌道を調整し、頭部を特定したと同時に引き金を引いた。
微かな衝撃の震動を受けつつ、音速を超えた弾丸の行方を目で追う。弾丸は順調に軌道をなぞり、敵機動兵装の頭部へと吸い込まれて行った。
しかし、
弾丸は装甲を貫くことなく、その曲線装甲に沿って後方へと弾かれた。
「ぁっ!」
アリスは冷静で居たつもりだったが、心のどこかでは焦り、忘れていた。北ルセニア連邦の機動兵装がどうして正面からの撃ち合いに強いのか…その独特の曲線装甲は強度と共に、正面からの弾丸を受け流す構造を兼ね備えていることを。
仮想訓練では積極的に側面から狙っていたため、弾丸を受け流されることは少なかったのだが、今のアリスはあの機動兵装の真正面に位置取っていた。
慌てて腹部へと照準を変えようとしたアリスだが、先程の射撃で位置がばれたのだろう。取り巻きの機動兵装達がこちらへ向けて弾丸を放つ。
急ぎ丘の起伏を利用して身を隠した。
『ぁぁ…あああぁぁぁぁぁ!』
突然、小宮の叫び声が無線通信を伝って来た。
『ちょっ!?何してんの!』
続いて梶咲の声が響く。
と、不意に無線通信が途切れた。視界に表示された緊急警告に《電波障害》と書かれていた。
アリスが起伏から顔を出すと、転けながら来た道を走って戻る小宮が目に入った。しかし、負傷した中島を連れず、一人で走っている。
何をしているのか、と言う疑念を抱く余裕はなかった。
大久保はバレスティック・シールドを前方に構え、動けない中島を庇うと、引き摺って後退する。神河原は自身の持っていたサブマシンガンの弾倉を入れ替え、大久保の腰から自動拳銃を借りると、両手撃ちでミサイルの迎撃を行う。
急ぎ、アリスも一九径式狙撃銃を構え直して、コンテナ付きの機動兵装へと照準を合わせる。照準を合わせた彼女はコンテナ付き機動兵装の腹部を目掛け弾丸を放った。
しかし、これも曲線装甲に威力を削られ、小さな罅を入れるだけに終わった。
(威力が足りない…)
通常弾からDA弾の弾倉に入れ替えようか迷ったが、今は時間がない。一度目の射撃で掴んだ感覚を頼りに、アリスの特技である射撃補助なしの速射を行う。
息を止め、放った弾丸は腹部に当たったものの、先程の命中位置よりやや右にずれた。
続け様にもう一発。今度は一発目の罅に命中したのだが、貫通するとまでは行かない。
「クソッ…」
もう一発、と引き金に指をかけたのだが、
キン、と言う音と共に、一九径式狙撃銃の銃口が逸れた。おかげで、撃ち出した弾丸は見当違いの方向へと飛んで行った。取り巻きの敵機動兵装が放った弾丸がアリスの右腕に当たったのだと理解した直後、今度は左肩に衝撃を感じた。
再び丘の起伏に身を隠して被弾した装甲を確認するが、距離が遠かったために掠り傷程度で済んだ。
こうしている間にも神河原達は随分と後退していた。あと少しで丘を登り始める
今までたった一人で、数えきれない小型ミサイルを撃墜していた神河原だが、彼の持つ銃も弾丸は有限。左手に持つ大久保の自動拳銃は、既に弾倉が切れたため捨てている。右手のサブマシンガンの弾倉が空になった瞬間、空白の時間が発生するのは止むを得なことだった。
その空白の時間を潜り、小型ミサイルの一つが大久保へと襲い掛かった。
バレスティック・シールドで受け止めたものの、爆発でシールドを支えていた支柱のアームが吹き飛ぶ。大久保はどうにか爆風の衝撃に耐える。
しかし、直後にもう一発の小型ミサイルが負傷した中島へと迫った。
アリスは思わず、身を隠していた丘から飛び出した。
距離は百五十メートル弱。当然、間に合うはずもない。ミサイルが着弾するまで、一秒とかからない。
そして、
大久保は中島の機動兵装にある装甲の隙間を左手で掴むと、機体を丘に向けて投げ飛ばした。庇うように前へと出した右手に小型ミサイルが着弾する。
直後、ミサイルは爆発し、爆煙が周囲を覆った。
「大久保!」
アリスは黒煙を掻き分けるようにして駆け寄った。
『っい…っがぁぁ…』
右腕を抱え、呻き声で痛みを訴える大久保が地面に転がっていた。彼の機動兵装には爆発で散った装甲の破片が所々に突き刺さっている。
すぐにこの場を離れるためにも、アリスは大久保を立ち上がらせたのだが…
彼の右腕がなくなっていた。
右腕の肘から先が、先程の爆発で吹き飛ばされたのだろう。脱臼したのか、肩はだらりと力が抜け、左手でそれを支えている。ピンクの肉と赤々とした血、白い脂と骨が傷口から覗いている。プロテクトスーツが止血をしてくれるはずだから、出血を心配することはないのだが、痛みまでは消してくれない。
『アリス、二人を連れて丘の上まで走れ』
サブマシンガンで迎撃を続ける神河原にアリスは頷くと、腰から取り出した自分の自動拳銃を投げ渡した。彼女は激痛によろめく大久保の左手を握り、もう片方の手で中島の肩を掴むと、全身の補助動力モーターを最大の出力で駆動させる。
さすがに二機の機動兵装を同時に運ぶとなると、思うように機体は動いてくれなかった。それでも、ひたすら走る。背後から聞こえてくる爆発音に、内心では怯えていたが足は止められない。
爆発の火が杉の木に移ったのか、枝葉が燃えている。
と、倒れていた杉の木に足を引っ掛け、前のめりになって雪へと倒れ込む。
幸い、その先からは丘の下り斜面だったため、アリスは大久保と中島を巻き込んで盛大にその斜面を転げ落ちる。
転がり続けた体は丘の下で止まった。
爆発音は止んだ。幸い、丘を超える軌道のミサイルはAAS3が撃ち墜とすため、敵も無闇に追撃はして来なかった。
「…た、助かった…」
思わずアリスは安堵の溜め息を吐き、その場に突っ伏した。