04『平和の都__東京』
内容を大幅に変更しました。また読んでくれると幸いです。
跳ねる水の音が直方体の狭いシャワールームに響く。
頭上から体を伝う温水が、肌に纏わり付く汗を流していく。
正面の壁に備え付けられたタッチ操作用のパネルに表示された水温を眺める。
「また狙撃の腕を上げたよね、アリス」
「そう?」
壁を挟んだ隣のシャワールームから落木の声が届く。
「だって、普通は発射途中のミサイルを撃ち抜くなんて、思いついても実行しないし。そもそも成功しないから」
「まあ、自信はあんまりなかったけど、『どうにかしないと』って思ったから」
「自信なかったらあんなことしないよ。そう言うとこ、本当に凄いよね。私には真似出来ないや」
「そこは適材適所じゃないの? 私には奈菜みたいに爆弾を上手く扱えない。それに、狙撃は私の唯一の取り柄だから、それを取られたら何も残らないよ」
謙遜などではない。アリスにとって、狙撃が自分の持つ唯一の武器だと自覚している。
「まあ、訓練学校で初めてアリスの実弾演習を見た時は__」
「やっ、やめてってば! もうその話は忘れてよ」
「無理だよ、あんな面白いこと。それにあの話、後輩にも語り継がれているらしいよ」
「え、えぇー……」
思い出したくもない羞恥の記憶を掘り起こされ、アリスは思わず顔を両手で隠す。
「それでも、今はもう日本屈指のスナイパーじゃない」
「日本屈指は大袈裟。上は数え切れない程いるよ。それに、私が目指すのは日本一の狙撃手なんかじゃない」
「分かってるって。それでも、毎朝自主訓練してるんでしょ?」
「当たり前よ。怠けたらすぐに感覚が鈍っちゃうもん。才能ない私は努力で補うしかないの」
凝った肩を揉み解しながら、アリスは落木への返答と共に自分へと言い聞かせる。
他人のような才能がなくとも、血反吐を吐く程の努力でその差を埋める。
彼女は訓練学校でも、卒業して軍人になってからも毎朝のトレーニングを欠かしたことはなかった。
「本当に、アリスって馬鹿真面目だよね」
「むっ! 馬鹿は余計」
「私が軍に入隊した理由なんてお金欲しさだよ。アリス程しっかりも、カッコ良くもないし」
「__カッコ良くなんて、ないよ……」
水音に掻き消された呟きは落木の耳に届くことはない。
決して褒められるような理由ではないと、分かっている。
それでも、と彼女は揺るぎない気持ちを胸に抱く。
「まあ、お父さんやお母さん、それにお婆ちゃんも楽に暮らせるなら私は良いんだけどね!」
「家族を養うって、十分に立派だと思うけど」
戦争が始まって以来、この国は軍の入隊者の家族に住居を提供し、少なくない程度の支援金が出る制度を採用している。
この制度は元々、戦争を恐れて急減した志願者を集めるために設けられたものだが、その狙いは上の官僚の想定を超える結果となった。
一転、急激に増加した志願者のほとんどが制度の利用を希望したと言う。
落木もその一人だと言うことである。
初めて落木から志願の動機を聞いたのは、初めて訓練学校で彼女と会った時の話だ。家族のため、自分を危険に晒す彼女のことをアリスは尊敬している。
しかし、
「奈菜……両親は今どうしてるの?」
「何か忙しいみたいだけど。あっ、でも昨日メールが来てね、頑張れって!」
「いや……言い難いんだけど、もう__」
「あっ! もうシャワー切れたぁー」
隣から漏れる残念そうな声に、アリスはその口を閉じる。
それと同時に、アリスの頭上から流れていた温水が止まり、立ち昇る湯気が天井の換気口へと吸い込まれていく。入れ替わるようにして、アリスの濡れた体へと温風が降り注ぐ。
パネルを見れば終了時間の表記が出ていた。
「相変わらずシャワーの時間短いなー。五分って……あー、温かいお風呂に浸かりたいよ」
「本当にね」
未練がましくパネルを睨むが、決まりは決まり。待っていても再び温水が注ぐことはない。
諦めて目の前のパネルを操作したアリスは、パネル上部に付いた取っ手を握り、手前へと引いて開ける。中には自分のシームと同色の深緑に染まる軍服とプロテクトスーツ、バスタオルが畳まれた状態で置かれていた。
シャワーを浴びる前に入れておいた着衣が、しっかりと洗濯されていることを確認し、バスタオルを手に取る。
温風で粗方水分が飛んだ髪や肌を拭き終え、着替えを済ませる。
開いたパネルを戻し、再び操作した画面は鏡面と化してアリスの姿を映す。
自分の軍服姿を確認して身形を整えていると、背後に不穏な影が映る。
「うげっ!?」
「何してるの?」
すぐさま振り返ったアリスに腕を掴まれ、拘束された落木は苦笑を浮かべながら視線を逸らす。
「ち、ちょーっとお胸を拝借しようと思いまして……」
「あなたに貸す胸はないわよ」
「す、少しくらい良いじゃん! ずるいよ、アリスは。そんなに大きくて。私なんて、こんなに小さいんだぞ!」
何故か開き直る落木を相手にすることなく、片手で画面に触れたアリスは『ロッカー送り』の表記を押す。
パネルの奥で唸る機械音に、プロテクトスーツが自身のロッカーへと送られたことを察する。
指で湿った髪を梳き、喚き終えた落木を放す。
「もう。じゃあ、また今度にする」
「また今度じゃないよ。揉ませないから」
「それより、お昼行こ! ぺこぺこだよ」
コロッと話を変えて笑顔を浮かべる落木に、アリスは溜め息を吐きながらも頬を緩ませる。
左手首に巻いた電子時計を見ると、電子版は十一時十分を示していた。
「ごめん、これから大佐に会いに学校まで行かなきゃいけないから」
「えー、すぐ行くの?」
「うん、十二時には着いときたいから」
「あの不味い食堂飯を一人で食べるの嫌なのにー」
「私以外にも奈菜と食べてくれる人いるでしょ? 私みたいに友人がいない訳じゃないんだから」
「でも、アリスと一緒が良かったー」
頬を膨らませて剝れる親友に、アリスは優しく微笑みかける。
「今度時間が空いた時に外のご飯奢ってあげるから、ね?」
「……分かった。約束だよ」
「はいはい」
シャワールームを出た二人は通路で別れる。
「じゃあ、大佐によろしく伝えといて。気を付けてねー」
手を振る落木に手を振り返し、先の通路を見やる。
毎度ながら、落木を見ていると彼女から元気をもらっている気がしてくるのだから、アリスには不思議なものだった。
※※ ※ ※ ※ ※ ※
地下一階に設けられた駐車場、兼駐輪場へとやって来たアリスは左耳にマイク付き片耳イヤホンを付ける。
電子時計のパネルをいじると、マイクに向かって話しかける。
「聞こえる、イロハ?」
『ハイ、聞コエマス』
耳元へと返ってきたAIの声に、電子時計から手を離す。
イロハの本体は今も格納庫にあるアリスの鳴雷に搭載されているが、ネットを経由し、電子時計を媒体にすることで日常的に話すことが出来る。
イヤホンに付いた小型カメラ越しに、イロハもアリスと同じ外の世界を見る。
「私、どこに停めたっけ?」
『32番駐車スペースデス』
「そうだったかな?」
イロハに指定された場所に向かうと、そこには真紅のボディーに黒いラインが入った大型二輪車が置かれていた。アリスのバイクだ。
半月振りのためか、車体は少し埃を被っていた。面倒であったため、カバーを買っていなかったことを後悔する。
軽く手で払うと、サドルを上げてメットインを開く。中から車体に合わせた赤いフルフェイスヘルメットを取り出して被る。
「十二時までに訓練学校に着きたいんだけど__」
『交通状況ヲ検索……十一時四十八分着ノルートヲ表示シマス』
「ありがと」
イロハが告げると同時にヘルメットのバイザーに地図が表示される。
サドルに跨がり、エンジンを掛けたアリスは計器と並んで備えられたナビ画面へと目を向ける。
画面に映し出された《自動運転にしますか?》と言う《YES》か《NO》の選択肢に、《NO》の方を選んで押す。
今の時代、機械任せとなった多くの事柄には炊事や洗濯などの家事の他、運転も代表例として挙げられる。
大衆のほとんどが自動運転に頼り、システムが車両を管理することで、交通事故の発生数は限りなくゼロへとなった。
システムの管理によって保障された安全。それは楽で、簡単で、合理的だが、アリスは自動運転に頼ろうとは思わない。
決してシステム管理そのものを否定する訳ではない。寧ろ適度な利用は好ましいとも思える。
しかし、もし依存し過ぎた人類がその糧を失った時、どうなるか……
ひょっとしたら、そんな考えが自分に射撃補助の要らない性格な狙撃技術の根本にあるのかもしれないと少女は思う。
バイクを走らせ、地上へと上がるリフトに乗る。すぐさまセンサーが作動し、リフトは上昇を開始する。
三日振りの太陽を拝みながら、基地の出入り口にある検問を通って行動へと出た。
アリスの配属されたお台場の日本防衛軍:東京湾岸基地は、住居や格納庫などを含め、その施設のほとんどが地下に設けられている。
土地がないことが一番の理由ではあるものの、航空からの襲撃に備えてとも言われている。
そのため、東京湾岸基地に勤める者の多くは用のない場合を除いて、外に出ることがない。
さすがに基地の近くでは見かけない一般車も、レインボーブリッジを渡り始めれば急激に増える。
『五年前の事件』を経て、東京の街は大きく変わった。
橋を渡り切ったアリスの眼前、広がる光景がその事実をまざまざと物語っている。
所狭しと並ぶ高層ビル。合間を縫うように走る無数の高架道路が一層、混雑した町並みの様相を強める。
五年前まであった東京の面影は見当たらず、荒野から短期で再建された迷宮がアリスを迎え入れる。
『仮初めの平和へようこそ』と__
順次書き直して行くので、今後とも宜しくお願いします。
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