02『海岸戦』
ポイントFに定められた山沿いの公民館へと移動したアリスは、その二階へと駆け上る。会議室のネームプレートが掲げられた部屋に入ると、海側へと向いた窓を開いた。
山から続く斜面のおかげで、建物の高さは海側のものと比べて一階層分高くなっている。
そのため、開いた窓からは屋根越しに広い海が見渡せた。
そんな青く澄んだ海の真っ只中に、浮上した黒い潜水艦は佇んでいた。
潜水艦を二隻、横並びでくっ付けたような形状に加え、その大きさは通常の潜水艦の三倍もある。
そして潜水艦の上部には空母のように広く、平坦な甲板が設けられていた。
『甲板ニ新タナ敵影ヲ確認。数__四機』
「見えた」
唐突に甲板の一部が四角く切り取られ、左右に床がずれる。開いた甲板の穴下からは、それを塞ぐように昇降機が上昇する。
迫り上がった床には灰色の人型機械__敵のシームが並び立っていた。
『機体名:【鉄熊】。新タニ昇降機ヨリ二個分隊ヲ確認__一個小隊ニナリマス』
「海岸の迎撃部隊を援護する。狙撃準備」
背中に収めた一九径式狙撃銃を手に取ると、その銃身を展開する。開いた窓口に長大な銃身を添えるように構え、スコープを覗き込む。
倍率スコープの先に映る鉄塊。燻んだ灰色に染められたシームこそ、北ルセニア連邦の一般型シーム__『鉄熊』だった。
ずんぐりと曲線の多い装甲には首がなく、頭部の半分ほどがその胴体に埋まった形状をしている。
アリスの乗る『鳴雷』に比べれば随分と丸っこい形で、一見すると無駄が多いようにも思える。
しかし、余分に見える曲線装甲の厚さ__防御力は鳴雷の比ではない。
事実、目の前の戦況がそれを物語っていた。
大海へと響く乾いた破裂音。同時に鉄熊の灰色装甲には無数の火花が散る。
それが友軍の使用する突撃銃__KZM-131によるものだと、アリスにはすぐ分かった。
海岸沿いの住宅や商店、道中に停められた車両の裏から顔を出し、構えたKZM-131の引き金を引く同型の鳴雷だが、すぐさま銃声は止んだ。
『効果ガ薄イト判断シタヨウデス』
「だろうね。海岸からでも2000m以上はあるのに、ただのアサルトじゃ半端な威力しか出ないもの」
『加エテ、アノ装甲デス』
「本当に厄介だよね。あれ」
元々は大戦が勃発する以前から大合衆国が独自に開発していたシームだが、現在では各国家、各勢力でそれぞれの型を持つようになった。
文化や環境が異なればその形も異なり、形が異なればその特性も異なる。
平地、山岳地、海中。いかなる場所でも一定以上の機動性と装甲強度を発揮する『鳴雷』に対し、
鉄壁を称する防護装甲で圧倒的な防御力を誇るのが『鉄熊』だ。
機動性をほとんど捨てたような設計ではあるものの、備え付けられた分厚い曲線型の装甲は、当てられた弾丸をその形に沿わせて威力を逃す、という特性を持っている。
KDM-131の弾丸が尽く弾き逸らされているのも、敵の特殊な装甲によるものだった。
ダン、と鈍く轟いた銃声。
当然、アリスの一九径式狙撃銃のものでも、友軍機のKZM-131が放った銃声とも違う。
潜水艦の甲板で鉄熊が構える単発式中型ライフルのものだ。
『てっ、敵の反撃だ! か、各自、遮蔽物にみ、身を隠して応戦しつつ、敵との距離を詰めろ』
『『『__了解』』』
川崎少尉のたじたじな指示に、部隊員から返答が入る。
『__アリス二等兵』
「……あー、もう『了解』……これでいいでしょ?」
イロハに言われて渋々返答したアリスだが、本音としては川崎少尉からの指示に異論を唱えたかった。
鉄熊の備えるあの曲線装甲をKZM-131で穿つには、距離を100m程度まで縮める必要がある。
敵は海の上。加えて、浮上した潜水艦の甲板は相当な高さ。
つまり、相手に損傷を与えるには海に入らなければならないと言うことだ。それも浅瀬でなく。
本体重量だけでも300kgを超えるシームでは、海中戦仕様でない限り沈むのがオチだ。
浜辺から狙おうにも、相手からすれば良い的になるだけ。
鳴雷の装甲も防弾装甲ではあるものの、
『こちらポイントCの戸澤。右胸部に被弾した。痛覚遮断が効いているが、右腕が動かなくなった』
『い、一度後退して……伊藤。ぽ、ポイントCへ』
『っ、了解』
相手の中型ライフルも対シーム戦用の貫通弾なのだ。下手をすれば、敵を撃ち抜く前にこちらが撃ち抜かれる。
「まったく……無謀な指示っ!」
射撃補助の演算結果が出た直後、アリスは硬い引き金を引いた。
跳ねようと暴れる銃身を抑え、スコープから敵の姿を逃さない。
押し込められたガスを吹き出し、銃口から飛び出た弾丸は一瞬の閃光を放ち、加速する。
飛翔した鉛の牙は潜水艦の甲板に立つ一機の鉄熊、その額へと吸い込まれる。
KZM-131の弾丸を易々と弾き逸らしていた曲線装甲も、威力を殺さず飛来したDA弾を防ぎきることは出来なかった。
装甲に空いた穴からは鮮血が吹き出し、勢いに押された機体が揺らぐと、その場に崩れ落ちる。
『一機活動停止』
「ふぅ__っ!」
イロハからの報告を耳に入れながらも、素早く一九径式狙撃銃を構え直す。
“いつも通り”に射撃補助の表示が視界から消えたのは、もちろんながらイロハの仕業だ。
本当にAIなのか、とアリスは心の中で呟きつつ、調整した銃口の火を吹かせた。
アリスの経験上、狙撃しやすいケースは当然ながら“無警戒の相手に対する不意打ち”だ。それに次ぐのが、“突然の奇襲で相手が動揺した時”なのだ。
今一火力に欠けた攻撃で油断しきっていた敵は、突然仲間が額を撃ち抜かれて床に転がった事象に固まっていた。
それが狙撃だと気付いた時には、もう一機の鉄熊が糸の切れた人形のように甲板から落ち、盛大な水飛沫を立てる。
もし生きていたとしても、装甲に空いた穴がたちまち機体を満たして溺死だ。
これで二機目。
続く三機目を撃ち抜くにも、それ程苦労しなかった。
__もう一機いける?
次の標的を求め、覗いたスコープの先で、
「__まずっ!」
一九径式狙撃銃を抱え、素早く身を伏せる。
直後、アリスの背後に位置する壁へと弾痕が刻まれた。
「対応が早い! 完全に目がこっち向いてた」
『弾痕カラ、敵ハ中・遠距離型ライフル。使用シテイル弾種ハ貫通弾ノヨウデス』
「そりゃ、鳴雷の装甲じゃ保たない訳ね。場所もバレたみたいだし、ポイントを移したほうが良さそう」
『ポイントHヘノ移動ヲ推奨シマス』
「オッケー。川崎少尉への連絡はお願__」
『アリス二等兵、退避ヲ__』
イロハからの警告を聞き終える間もなく、アリスは凄まじい轟音と衝撃に身を打たれた。
** * * * * *
__……__り……__ァ……ぅ__りす__
『リス__アリス__』
「大丈夫だよ、イロハ」
『良カッタデス』
「……何があったの?」
イロハへと訊ねながら、自分の状況を正しく認知するよう努める。
どうやら仰向けで倒れたまま気を失っていたらしい。
頭が締め付けられるような感覚が残っている。
『敵潜水艦カラノ爆撃デス』
「爆撃!? ……私どれくらい気失ってた?」
『三十二秒デス』
「正確にどうも」
ゆっくりと体を起こしたアリスは周囲を見渡し、気付く。
辺り一面は瓦礫と炎に包まれていた。
ポイントFに定められていた公民館はその柱を残し、一階部分は完全に瓦解して二階部分の下敷きとなっていた。アリスが瓦礫の下に埋もれなかったのは、位置取っていたのが二階であることが幸いしたようだ。
とは言え、
「無傷とはいかないか……」
細長い鉄柱が左脚の膝裏から表へと突き抜けている。
いくら鋼鉄の装甲を誇るシームとは言え、その機動性を保つには脆くなる部分が必然的に生まれてしまう。西洋の甲冑と同じようなものだ。
対人用の拳銃程度では撃ち抜けない程度には防御力があるものの、時として偶然が重なれば単なる破片も装甲を穿つ凶器になる。
“偶然”崩れた一階部分の鉄柱が、“偶然”落ちてきたアリスの膝裏、それも“偶然”シームの装甲の弱点である部分に突き刺さったのだ。
命があっただけマシと思うべきか__
「__なんて思えるわけだいじゃん! くそ、最悪」
痛みはない。
シームと接続している間、操縦者は首から下の痛覚を首の神経系プラグで弾くようになっている。
そして、痛覚を全遮断する代わりに言い表せないような違和感が脳へと届けられ、『負傷した』と言う事実は認識出来るようになっている__『痛覚遮断』と呼ばれるNCシステムを応用した技術だ。
今もアリスの血が鉄柱を伝っているものの、彼女自身の感覚としては膝の中にモヤモヤとした違和感を感じる程度に収まっている。
とは言え、鉄柱の刺さった左脚を動かすと、伝わる違和感は気持ち悪さへと変わる。
痛覚遮断がなければ相当な激痛を伴っていたに違いない。
「まずこの鉄柱をどうにかすべき……ね」
『三番機ガ接近』
「三番機? 操縦者は?」
『大久保一等兵デス』
直後、重みで軋む瓦礫が音を発する。
『アリス! そこにいるな?』
聞き覚えのある少年の声にアリスは顔をそちらの方向へと向ける。
焼けて脆くなった建物の外壁を、まるで邪魔な枝葉を掻き分けるようにして現れたのは同型のシームである鳴雷だった。
塗装色は彼女の機体と同じく低階級を示す深緑__しかし、その兵装は大きく異なっていた。
狙撃兵のアリスと異なり、その手にはKZM-131が抱えられている。
加えて、その背には巨大な鉄板にも似た防弾用の盾が二枚ぶら下がっていた。盾で隠れている背には可動式のアームが取り付けられており、その末端は盾と繋がっている。そのため、大久保の意図で盾を
「大久保っ、何でここに__」
「何でって、そんなの助けに来たに決まってんだろ」
何を馬鹿なこと、と当たり前のように返す少年__ 大久保 圭は素早くアリスに駆け寄ると、その状況を把握する。
「持ち場は?」
「そんなのもう関係ねぇよ。海岸沿いに張ってた連中はさっきの爆撃で飛んじまった」
「それじゃあ、空きを、埋めないと……」
「その脚じゃ前線は張れねぇし、そもそもお前は後ろ担当だろ。とにかく退がるぞ。また爆撃が来るはずだ」
大久保は腰に収納されていた超振動式の小剣を取り出すと、アリスの脚を貫く鉄柱へと一線する。抵抗もなく鉄柱へと食い込んだ刃は少量の火花を散らし、呆気なく鉄塊の反対へと通り抜けた。
傷口から近い位置で切り離された鉄柱は地面に派手な音を立てて落ちる。
「ほら、ゆっくりとでいいから立てるか?」
「痛覚遮断が効いてるから……大丈夫……」
とは言ったものの、一人で立ち上がるには辛い体勢だった。結局、大久保に肩を借りて立ち上がる。
鉄柱から脚を引き抜く瞬間、頭の中を駆け巡る不快感と喪失感に顔を顰める。
しばらくの間流れ出ていた血液は、太股を圧迫する感覚と共に塞き止められた。
シームの操縦時着用必須の『プロテクトスーツ』が働いたのだろう。
止血が完了しても血を流し過ぎたせいか、足元が覚束ない。
公民館の残骸から抜け出したアリスは、大久保に肩を貸してもらいながら山側へと勾配の急な舗装道路を上る。
「川崎少尉は?」
「爆撃で殺られたよ。今は副隊の高倉曹長が指揮を取ってる」
「……爆撃は潜水艦からなんだよね?」
「あ、ああ。ミサイルが八発、甲板のハッチから……そんなこと聞いてどうすんだよ。とにかく今は退がってぇぇえェ!?」
肩を貸していた大久保は突然振り払われた腕に、驚きの声を上げた。
対して、振り払ったアリスは腰を道路へと落とし、無事だった一九径式狙撃銃を展開する。
「何してんだよ! こんなとこにいたら敵に狙い撃っ__クソっ!」
案の定、何の遮蔽物もない道路の真ん中を陣取るアリスへ向け、潜水艦の甲板上から弾丸が飛来する。
慌ててアリスの前へと割り込んだ大久保は、背から生えた鉄腕のアームを動かし、体を覆う程の双壁を展開して彼女へと襲い掛かる弾丸を防いだ。
「死ぬ気かよ、お前!」
「大久保なら防げるし、私を守ってくれるでしょ?」
「こんな状況で殺し文句かよ……ああ、もぉ、守ってやんよ! で、何する気だ?」
「ミサイルを撃ち抜く」
「ふぁ?」
耳を疑うようなアリスの言葉に、思わず大久保は奇声を漏らす。
「イロハ、敵潜水艦が発射したミサイルの詳細を表示して」
『アリス二等兵。失敗スレバ、アナタト大久保一等兵ハ確実ニ死亡シマス』
「でも、成功すれば一発大逆転の勝機になる」
『……分カリマシタ』
「ありがと」
『操縦者ヲ最大限サポートスルノガ私ノ役目デスカラ』
視界に表示された情報に目を通すアリス。ミサイルの装甲の厚さと発射時の点火タイミング、そして信管の位置を調べる。
どうやらミサイルは衝撃で爆破するタイプの信管が積まれ、ミサイルの装甲も十分DA弾や通常弾でも撃ち抜ける厚さだった。
ミサイルはコイルガンと同じ仕組みで、電磁力を使ってハッチから撃ち出され、潜水艦の外に飛び出てから点火する仕組みであるらしい。
つまり、
「ハッチから飛び出たミサイルが点火するまでの間に一瞬、空中に停止するタイミングを狙えば__」
アリスは自分で言っておきながら、随分無茶苦茶な話だと思った。
タイミングは一瞬、着弾点も小さな信管だ。難易度は彼女が経験してきた中でもダントツだった。
でも、とアリスは顔を上げる。
「アリス、銃弾が止んだ。恐らく、次のミサイルの着弾点に俺達が設定されたみたいだ」
いつの間にか、盾を鳴らす銃弾の音は止んでいた。
「頼んだぞ」
「失敗したら一緒に吹き飛ばされてよ」
「御免被りたいね」
軽く笑った大久保は双壁の間に銃口分の隙間を開く。
「イロハ、私の感覚で撃つから、ミサイル発射のタイミングだけ教えて」
『了解シマシタ』
構えた一九径式狙撃銃のスコープを覗き込み、その先に見える甲板へと意識を向ける。
甲板上で余裕を見せる敵の鉄熊が見えるも、アリスの意識は彼らの奥に見える発射口のハッチだけだった。
自分の呼吸音、心臓の鼓動。それらは高まる集中力の中、無駄なものとして意識の外へ排除されていく。
まるで時間の流れを無視して、自分の脳だけが加速するような奇妙な感覚に身を委ねる。全てがスローモーションに映る。
その時が訪れたのは数十秒後か、あるいは数分後だったのかもしれない。
『__来マス』
ハッチが開いた数秒後、イロハの声が耳に届く。
宙へと撃ち出されたミサイルはある一定の高さへと上昇し、地球の重力に引かれて一瞬だけ空中で静止する。
アリスはただ一点を狙い、引き金を引いた。
それと同時に、周囲の音が耳へと流れ込み、加速していた意識は正常な時の流れと同期する。
たちまち点と化したDA弾が再加速し、ターゲットのミサイルを穿つまでは一瞬だった。
刹那、眩い閃光と共に紅蓮が視界を染めた。
見事に信管を撃ち抜かれたミサイルは弾け、凄まじい爆風を振り撒く。
それは続けざまに撃ち出されたミサイルを巻き込み、ハッチの中で準備されていたものにまで衝撃波が伝わる。
直後、誘爆が起こった。
爆炎から新たな爆炎が生まれ、誘爆の連鎖がしばらく続くこととなった。その衝撃波は遠く離れたアリス達の元まで届いた。
どんなに優れた軍艦や潜水艦も、内からの爆発には対処できない。
中から崩れた敵潜水艦は爆発の勢いで転覆し、甲板に立っていた鉄熊は余すことなく海へと投げ出された。
海戦仕様ではないシームが深い海へと落ちれば、辿り着く先には溺死という絶望しか残されていない。
万が一に、海岸へ上がれた敵兵がいたとしても、その処理は近くの残存部隊が行うはずだ。
後は味方に任せることにして、アリスはようやく安堵の吐息を漏らした。