第一章『SHEME』
二〇五二年。
アジアのとある大国で発生した軍事クーデター。それは多く思惑と介入を経て、世界を呑み込む大戦__第三次世界大戦へと発展した。
この大戦が民主主義と共産主義の対立、数多の国益を巡る抗争、その他にも様々な要因が重なった結果、三大勢力と無数の小勢力が絡み合う歴史上でも類を見ない大戦と化した。
とは言え、果てしない大戦の消耗に小勢力は、
北アメリカに位置する集合国家【大合衆国】。
ユーラシアの北東を占める共産主義国家【北ルセニア連邦】。
ヨーロッパを中心とする連合国家【ユーロ連合】。
この三大勢力の傘下、あるいは同盟を結ぶものがほとんどだった。
被爆国として戦争の否定を主張する平和の国__日本は大戦への不参加を表明したものの、中立の立場は大勢力からの圧力を前に呆気なく崩れた。
大戦が始まり、八年の年月が経った__二〇六〇年現在。
大合衆国と同盟を結んだ日本には自衛隊改め、『自衛軍』が存在していた。
これは未だ終着点の見えない大戦に翻弄される世界で戦う私の戦記。
♢♢♢
□[■■■■→■■→■山中腹] 佐合 アリス 二等兵
晴れ渡る蒼天。
南方から降り注ぐ陽光が地上を照りつける。
ゆらりゆらりと静かに波打つ海面は穏やかで、規則的な波と共に揺れ動く反射光が眩しく輝いていた。
地平線まで見通すことが出来る広大な海と勾配の急な山に囲われた長閑な港町。
入江に停泊する漁船には海鳥が群がり、潮騒に混じってその鳴き声を響かせる。
山へと続く坂道は水平に整えられた民家が所狭しと建ち並ぶ。
何の変哲もない、ただの港町。
この光景を見た人はきっとそう思うはず。
でも、その数秒後に気が付く。
人が、いない__と。
普段ならば忙しなく働いているであろう漁師も……
商店街で買い物をしているはずの客も……
町中に点在する小さな公園で遊ぶ子供の姿さえ……
この町には人影が一つとして見当たらない__正確には、『一般人』が。
〔住民の避難完了〕
バイザーに映し出された文字を見て、私は張り詰めた緊張を溜め息として吐き出す。
『アリス二等兵、警戒解除ノ命令ハ未ダ下サレテイマセン。油断大敵カト』
耳元で呟かれる女性の電子音声。
私__佐合アリスは山の中腹で生い茂る草木に腹這いで紛れ、抜け殻と成り果てた町を見渡していた。
「分かってる。警戒も解いてないし、油断もしてない……でも、私はイロハみたいに機械じゃないの。ずっと緊張してたら保たないから、少し息を抜いただけ」
『__覚エテオキマス』
納得したように耳元の音声は黙り込む。
私と会話をする相手は人間ではなく、軍事用に開発された戦術AI__コードTJP3-168だ。
兵士一人にそれぞれ一つのAIが支給されるため、私が勝手に後ろの3桁の固有番号から『イロハ』と呼んでいる。
彼女が異論を唱えなかったため今もこうして呼んでいるが、考えれば随分と自由度が高い……少々堅い部分はあるが。
「こうして海を見てると何だか癒される……」
『精神的疲労ヲ感ジテイルノデアレバ作戦終了後、カウンセリングルームノ予約ヲ取リマショウカ?』
「やめて……あんな尋問室じみた所、二度と行きたくない」
過去の苦い思い出に顔が歪む。
あそこへ行くくらいならこの『機体』の中にいた方が何百倍もマシだ。
私の身を包む鋼鉄の鎧__Shell Frame。
通称『SHEME』。
二〇六〇年現代において主力とされる次世代型有人歩行兵器。
操縦士の全身を鋼鉄の装甲で包み込むシームは各関節部や可動部に補助モーターが備え付けられ、優に百キロを超える重量の機体を安々と動かす。
硬い装甲と機動性は装甲車の性能を大きく上回り、補助モーターによる馬力で多少の無茶な武器も軽々と扱うことが出来る。
応用性の高さが評価され、軍で主力兵器に採用されているシームだが、何よりの特徴は『特別な操縦を必要としない』こと。
シームを語る上で欠かすことの出来ない『神経接続機構=Nerve Connection System』__略称、NCシステム。
このシステムは操縦士の首背面に脊髄へと直接信号を送受信する『神経系プラグ』を埋め込み、シーム内部に取り付けられた『接続コード』と繋ぐことで操縦士と機体を同調させる。
操縦士がシームへの搭乗時、脳から送られる伝達信号を神経系プラグで読み取り、シームへの命令へと変換する。
これにより、操縦士はいつも通り自身の体を動かせば、機体の四肢も寸分違うことなく動かすことが出来る。
思考で物を動かす、と言うことだ。
このNCシステムは元々、大合衆国が身体に障害を持つ患者の日常生活における補助を目的として開発された医療目的の技術だが、今では他勢力でも使用される立派な戦争技術だ。
私が今操縦しているシーム__『鳴雷』は現在軍で使用される一般機だ。
所々に特徴的な曲線加工の施された頭部には、周囲を警戒する三角配置のメインカメラと複数の小型カメラが備わっている。
首から下は頭部に対して少し角張りの目立つ形をしていた。
そんな鳴雷には周囲の草木に似た深緑系統の色相でカラーコーティングが施されている。
この色は迷彩ではなく、操縦士の階級を示す。
二等兵である私は深緑、もっと上の階級になれば暗赤、お偉い様方は純白の塗装が施される。
まあ、純白のシームで戦場に出ているお偉い様は見たことがないけど……
全長二メーターもの長大な一九径式狙撃銃の二脚を地面に突き立て、そのスコープを覗き込み始めてから早五十分が経過している。
いい加減、町と海の両方を眺められるこの絶景にも飽き飽きしてきた。
視界の左隅に移る時刻表示を見て私は言葉を漏らす。
「予測時刻からもう二十分はオーバーしてる……」
『本部カラ作戦変更ノ通知ハアリマセン』
「……しょうがない。もう少しここで様子を__」
『アリス二等兵』
「__分かってる」
吐く所だった溜め息を呑み込み、頭をクリアにする。
Uの字のように陸で囲われたこの海岸線。
その深度は浜から沖に向かうにつれて著しく深くなる地形となっていた。
そのため、浅瀬から少し進むだけで足の着かない深さとなる。
潜って忍ぶには絶好の海域だった。
本部からの情報を基に敵の出現予測海域を見張っていた訳だが……
予測地点から横へ三十メートル強の位置に黒い影が現れる。
スコープの倍率を上げ、影が目の錯覚でないことを確認する。
「他は?」
『一時ト十一時ノ方角ニモ同ジク__』
「了解」
再び倍率を下げ、二脚を中心に左右へと傾けたスコープで他の影を確かめる。
海面に映る影は三つ。
数としては少ない……つまりは、
「斥候ね……」
海面に揺れる影では形の詳細が分からないものの、大きさから同形状のものだと判断出来る。
三つ一定の間隔を挟んで並走、ならぬ並泳する影。
徐々に濃く鮮明になる影がその正体を現すまでそれ程時間はかからなかった。
『偵察ドローンデス』
「そうみたい。所属は……北ルセニア以外考えられないよね」
波を掻き割って現れたのはテニスボール程の小さな球体の上に、円環のプロペラをくっ付けた小型の偵察機だった。
ゆっくりと水面を離れて浮上するドローンは資料で以前に見たことがある。
あの小さな球体に無数の小型カメラが搭載されていて、プロペラとの接続部を除く全方位を網羅出来るとか__
長閑な港町には似合わない物騒な代物だ。
私との距離は未だ三千メートル以上あるが、これ以上接近されると『彼ら』の位置がバレる可能性がある。
「川崎少尉へ」
『繋ギマス』
私の意図を汲み取ったイロハが小隊長である川崎少尉へと無線通信を繋ぐ。
視界の隅に機体識別コードや所属、名前や顔の画像など通信相手の情報が表示される。
「こちらポイントMの佐合。敵の偵察ドローンを三機視認しました。現在ポイントCに向けて海上を航行中。狙撃の許__」
『り、了解した! 狙撃を許可する!』
「……了解、終わり」
視界から川崎少尉の表示が消えたところで、私は大きく息を漏らす。
通信を最後まで聞かず、割り込んで発言をする……
その挙げ句、相手に発言を譲る『送れ』を付けずに通信を切る……
いくら今回の作戦で初の隊長に選任されたとは言え、テンパり過ぎでは?
『アリス二等兵?』
「……何でもないよ。狙撃許可も出たことだし__イロハ」
『狙撃補助ヲ開始シマス』
〔狙撃補助機能__起動〕
視界一杯に張り巡らされたディスプレイに風向や風速、距離に着弾時間、さらには着弾予測地点などの事細かな情報が一斉にウィンドウとして表示される。
観測手であるイロハからの情報を基に、狙撃手である私は並ぶ三機の一番右に位置する偵察ロドーンへと標準を定める。
私の存在に未だ気付く気配なく、二千メートル先を規則的な蛇行を描きながら海岸へと近づく偵察ドローンは良い的だった。
蛇行するドローンの幻影と指定された着弾点が重なる場所へと角度を合わせる。
指定されたタイミングで引き金を引くだけの作業__外す余地などない。
伸ばしていた人差し指を引き金に添え、大きく息を吸い込む。
肺に溜まった空気をゆっくりと吐き出し、集中力が極限まで高まったと同時に__引き金を引く。
直後、秒速千五百メートルの初速を得た弾丸が一九系式狙撃銃の銃口から飛び出る。
鳴雷の装甲越しに伝わる反動を全身で受け流しながらスコープを覗き続ける。
私の瞳に飛距離千メートルで起こった小さな閃光が映る。
それは私が使用した二重加速弾__通称『DA弾』がその性能を発揮したことを示していた。
通常の弾丸は銃の撃針が弾丸後部の雷管を叩くことで薬莢内部の火薬に引火させる。
それによって発生したガスが弾頭部を押し出すことで弾丸は発射される。
DA弾の場合は発射された弾頭内部にもう一段の火薬構造を組み込むことによって、第一段階の発射から一定時間経過した後に第二段階の火薬が遅れて小規模な閃光とガスを発生させる。
生じたガスは弾頭部に刻まれた特殊な抜け穴から噴出され、弾丸の回転を加速させながら前へと押し出す仕組みとなっている。
この構造のために通常の弾丸よりもサイズが一回り大きく、用いられる場面も限られるために使える銃の種類は多くない。
そんな特殊な弾丸にも対応する一九径式狙撃銃を私は愛用していた。
何しろ、通常弾とDA弾の両方を弾倉の変更だけで自動切り替えしてくれるのだから。
『直撃シマシタ』
「見えてた」
二度の加速で勢いを殺すことなく二千メートルの距離を駆け抜けた弾丸は、偵察ドローンのカメラ部分である球体を喰い千切った。
残った推進機関は唐突な重量変化に対応出来ず、天地を見失った鳥のように海へと墜ちる。
「イロハ、いつも通り」
『了解シマシタ』
私の言葉に視界に表示されていた狙撃補助のウィンドウが消える。
当然、故障などではなく意図的なもの。
狙撃補助機能をオフにしたのだ。
一九径式狙撃銃の背から自動で排出された薬莢など気にすることなく、音で再装填が完了したことを確信した私は次なる標的へと意識を向ける。
固定された二脚を支点に、銃口を左へとスライド。
射角を調整して偵察ドローンへと標準を定める。
一秒半で調整を終えた私は躊躇うことなく引き金を引く。
射撃補助機能はシームに取り付けられた観測装置や衛星からの情報を基に、機体内部の独立した演算機器を用いて行う。
これは外部との接続を断たれた環境下でも問題なく戦闘を継続するため。
しかし、弾道計算を一瞬でなせる程の性能を持ち合わせている訳ではないため、一発目の狙撃から再演算を終えるまでに最低でも五秒はかかってしまう。
たかが五秒__されど五秒。
短いように思えるこの時間も、狙撃手にとっては煩わしい程に長い。
まして、二発目の狙撃は標的が警戒するか否かで格段に難易度が跳ね上がる。
なら、その煩わしい時間を『自分の感覚』で補ってしまえばいい、と言うのが私の考え。
一発目の狙撃で『覚えた』着弾までのタイミングと弾の飛び方を基に、標準を合わせた狙撃。
無茶な話に聞こえるかもしれないが、私にはそれが出来る経験と自信があった。
飛翔する弾丸は一瞬の後、閃光を放って二機目のカメラ部位を穿つ。
命中を確認し、最後の一機をスコープに捉えるべく身を捻る。
『敵偵察ドローンノ高度ガ低下シテイマス』
「海に潜るつもりね__させないけど」
さすがの相手もドローンを二機堕とされて手を打たない程間抜けではないようだ。
蛇行を止め、海面へと急降下する偵察ドローンは先ほどよりも狙いやすい。
短く息を吐き出した口を縛り、スコープのレンズ__その先へと精神を集中させる。
一瞬のマズルフラッシュにスコープ無いが白く染まり、イロハが明光補正を行う頃には最後の偵察ドローンが砕け散っていた。
『今回モオ見事デシタ』
「ありがと。さすがに三発も撃ったらこの場所は敵にもバレてるよね」
『ポイントFヘノ移動ヲ推奨シマス』
「了解……川崎少尉に通達は__」
『通達シマシタ』
「イロハは出来る子だね」
『オ褒メニ預カリ光栄デス』
地面に転がる使用済みの薬莢を回収し、一九径式狙撃銃の二脚を畳むと銃の中ほどに付いているスイッチを押す。
すると、長い銃身が三分に折り畳まれる。
ニメートルもあった狙撃銃は一瞬で六十センチほどのコンパクトなサイズへと様変わりした。
私は折りたたまれた狙撃銃を背中へと添えると、応じるように鳴雷の背中に取り付けられた固定器具が銃を咥え込む。
まるで時代劇の忍者が刀を背負う姿にも似ているが、刀と銃、忍び装束と鋼鉄の装甲ではあまりに風貌が違い過ぎた。
片付けを済ませたアリスは滑るように草木の茂った斜面を下り、町端の舗装された道路へと出る。
視界のディスプレイに表示された地図ではポイントFまで百メートル程度あると確認出来る。
「足輪展開」
〔足輪__展開〕
表記の直後、視線が数センチ高くなる。
鳴雷の両足側面には『足輪』と呼ばれる片足二列、両足で計十二の小型車輪が収納されている。
それを足裏に展開したことで視点の高さが変わったのだ。
私は体の重心をゆっくりと前へ傾ける。
すると、滑らかに足輪が回り始める。
足輪は鳴雷の搭乗者の重心を読み取り、その傾き具合で指定の方向へと走行する仕組みになっている。
前へ倒せば前へ。
後ろへ倒せば後ろへ。
最大時速百キロを叩き出す足輪のおかげで鳴雷は高速移動かつ戦闘が可能となっている。
あまり舗装されていない獣道で使うことはお勧めされていないが……
徐々に速度を増す足輪。
次の狙撃地点へと移動途中の私の耳に通信が流れ込む。
『ポイントB、伊藤より全隊員へ! 予測地点より百五十メートル後方に巨大な敵影を確に__で、デカッ……浮上してくるぞ!』
通信を聞き、走行をイロハに任せた私は建物の合間から覗く蒼海__その海面に現れた巨大な影を目に捉える。
白波を立て、海を割って浮上した影の正体__それは漆黒の潜水揚陸艇だった。