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シェル・フレーム'ズ  作者: 雨蔦
2話 八丈島戦
15/16

順次更新予定

 額から頬を伝い、顎へと辿り着いた汗が床に敷き詰められたゴムシートへと垂れ落ちる。

 乱れる息を整え、痛みを訴えている左腕の筋肉へ力を込めた。白い肌に浮き上がる血管が脈を打ち、じんわりと熱が広がって行くのを感じる。

 小刻みに震える筋肉に鞭を打ち、自身の体を持ち上げさせる。

 鉄製の棒を握る左拳に顎を乗せ、少女は口から呻き声を絞り出す。


「よ…んじゅぅ…はちぃ」


 整った美形の顔立ちが苦痛に歪む。

 カウントを終えて顎を拳から離し、先程とは一転して持ち上げていた体をゆっくりと下ろし始める。この間にも左腕から力を抜かない。

 左腕だけの懸垂に筋肉が限界の音を上げてから、既に五回は熟した。腕の感覚も徐々に薄れ始めている。


「…ぁ!」


 不意に指の力が抜け、体が微かな浮遊感を味わう。三十センチの高さから落下した少女は爪先で衝撃を受け止め、音を立てることなく着地した。

 踵をゆっくりと地に付け、上げていた左腕を下ろす。

 強張った筋肉を解すように左腕をぶらぶらと揺らしつつ、右手首に取り付けたリストバンドで額の汗を拭う。しかし、既にリストバンドは吸い続けた汗で使い物にならない。


「佐郷君、あまり無理するのは良くないよ。ちゃんと休憩は取っているのかい?」


 不意に横合いから掛けられた声にアリスが振り向く。そこに立っていたのはタオルを差し出す白髪の老人だった。トレーニング用の器具に囲まれるこの場所には似合わない堅苦しいスーツと、その上から白衣を羽織るその姿は異色だった。


「これから少し休憩しますよ」


 皺が深く刻まれた顔の老人_アリスの担当医である黒澤(くろさわ)、からタオルを受け取り、顔を伝う汗を拭う。

 函館基地での奪還作戦から一週間。左肩の骨が砕けたアリスは作戦後、すぐに東京の病院へと運ばれた。鎮痛剤のおかげで実感はなかったものの、病院に辿り着く道中で効果が切れてからは地獄のような痛みに襲われた。

 当初は左肩が一切動かなかったものの、日々発展し続ける医療技術はたった五日で彼女の肩を元通りに治した。黒澤曰く、アリスのDNAや体の構造から拒絶反応の起こらない彼女に合った人工骨を形成し、砕けた骨変と取り替えたらしい。手術過程で筋肉繊維を切ったことにより筋力の低下は免れないが、それも時間が経てば自然に繋がるため大した問題にはならない。


「左肩の調子はどうだい?違和感とかはないかな?」


「いえ、特には。本当に手術をしたのか疑ってしまうレベルです…ただ、五日もベッドの上で安静だったことと手術の影響で筋力が随分と落ちてしまって。それより、先生はどうしてここへ?」


 人工骨を形成している間は安静を言い渡され、何もない病室に閉じ込められていたため、毎日欠かすことのなかった鍛錬を初めて抜かすことになってしまった。

 努力家の彼女が安静の二文字を耐えるには相当なストレスを要することとなった。そのため、二日前に手術が終わり、安静が解かれた今朝から病院に隣接するトレーニングジムへと籠もっていた。

 一般人の利用客が多いジムで軍人のアリスが行うトレーニングは良くも悪くも注目を集め、噂を聞き付けた担当医の黒澤が駆け付けたようだ。

 黒澤から受け取ったタオルはジム内に設置された自販機で買ったもののようで、金額を尋ねると両手を振って笑顔で断った。


「近頃は生身(おのれ)の体を鍛えている軍人を診なくなったから、佐郷君のような努力家は久しいよ」


「機動兵装を操るのに筋力は必要ありませんからね。今の戦争は機動兵装の使用を前提としていますし…」


 確かになぁ、と頷く黒澤。

 現在は病院の医師として多くの患者を救っているが、二年前までは東京湾岸基地に所属していた元軍医だ。

 前線に赴いた回数は優に十を超え、弾丸が飛び交う嵐の中で負傷者達を治療していた。軍を退役した後も名医としてその名は語られ、現在の病院でもアリスのような重傷の軍人達を多く請け持っている。


「人は必要がないと言われた苦行に手を付けたがらないものだからね。今も昔も変わらない」


「そんな怠惰が戦場では命取りに成りかねません…それに、私が殺すべき敵は生半可な鍛錬で敵う相手じゃありませんから」


「殺すべき相手、か…」


 呟く黒澤の瞳に哀愁の念が映る。


「日本を守る軍人の君に言うのは可笑しな話かもしれないが、医者として命を粗末にしないようお願いしておこう。自分の命はもちろん、他人の命も」


「肝に銘じておきます」


 忠告とも受け取れるこのお願いに、アリスは小さく頷いた。



※※※※



「…何であんたがいるの?」


 目を細め、汚物でも見るかのような目つきでアリスは呟く。


「おいおい、折角来てやったのにその言い草は傷付くなぁ」


 肩を竦めて不満を漏らすのは、彼女と同じ部隊に所属する大久保だった。癖のある黒髪を指で掻き、その顔に苦笑を浮かべる。


「お前の叔父さん、佐郷大佐から頼まれたんだよ。急な仕事で手が離せないらしくてな」


 その説明で納得することが出来た。退院の際は迎えに来てくれると道行から連絡が来ていたのだが、手が離せない程に忙しいとなれば仕方ない。


(でも、人選はもうちょっと考えて欲しかったかなぁ…)


 思わず口から溢れた溜め息に、大久保の眉毛がピクリと反応した。道行から頼まれてわざわざ迎えに来たにも拘わらず、このアリスの反応…文句の一つでも言いたくなる状況だが、大久保はもう一度肩を竦めるだけだった。

 ふと彼の右腕が目に入る。

 彼の右腕は一週間前、函館で失われていた。戦闘の最中、負傷した仲間を庇った彼の行動は称賛に値する。

 今、彼の右腕の代わりをしているのは、炭素繊維から成る黒い義手だった。

 アリスの視線に気付いた大久保は、義手を振って見せる。


「舞香ちゃんから凄腕の義肢装具士を紹介してもらってな。この通り」


 義手の指を順に開く。まるで本物の手であるかのように、一本一本がスムーズに動いている。これもNCS技術を利用して、脳からの命令を義手に伝えているのだろう。


「こいつ結構便利でさ、慣れれば元の腕より力は出るし、細かい作業も出来るらしいんだよ」


 そう言った直後、伸ばしていた人差し指が突然、付け根の部分から縦半分に割れる。中から出てきたのは、直径1センチ程度の小さな銃口だった。

 どうやら義手には幾つかの細工ギミックが組み込まれているようだった。

 その一つ一つを説明する大久保の姿は、まるで幼い子供が新しい玩具を自慢するそれに似ている。


「他にも手首を外してフックショットも出来たり…って、何か一方的に話し過ぎたな、悪りぃ。荷物は…もうまとめ終わってるみたいだな。表に俺の(ウチ)の車が停めてあるから、用がないなら行こうぜ」


「ああ…悪いけど、直ぐ基地に戻らなきゃ駄目かな?少し寄りたい場所…と言ってもこの病院だけど、会いたい人がいるの…」


「んー?まあ、いいんじゃないか?隊長からは何も言われてないし、坂下に連絡しとくから荷物はそこに置いとけ。先に車まで運んでもらっとくから」


 坂下?誰?と首を捻るアリスに、後で分かるよ、と大久保は掌を振った。


「っで、誰に会いに行くんだ?」


「聞かないで…って言いたいところだけど、まあ私の大事な人よ」


「だ、大事な…人?」


 大久保に言われた通り、荷物は部屋に置いたまま病室の扉へと向かう。スライド式のドアを左手で開くが、左肩は異常もなく動いてくれた。完治だ。


「…何で付いて来るの?」


 長い廊下を歩く途中、アリスは呆れ顔で振り返る。もちろん尋ねた相手は病室からずっと付いて来る大久保だ。


「いや、だから…その大事な人って…名前は?どんな奴?」


「はぁ?…まあいいや。付いて来るなら勝手にして良いけど、面倒事は起こさないでよ」


「面倒事って…てか、俺の質問に答えろよ!」


 背後で騒ぐ大久保を無視して廊下の突き当たりに位置するエレベーターに乗り込む。

 一緒に乗り込んだ大久保を横目に、六階のボタンを押す。何故か不安そうな顔をする彼を横に、アリスの心中は穏やかではなかった。


(さすがに言わないと、人として駄目だよね…)


 先程、病室では少々邪険に扱ったが、本当は感謝の言葉を伝えるはずだった。

 一週間前にあった函館での戦闘。狙撃を失敗し、心を挫かれたアリスを救い、立ち直らせたのは紛れもなく大久保だった。彼がいなければ作戦の成否は変わっていたかもしれないと彼女も自覚している。

 それに、彼の右腕についてはアリスにも責任があると彼女は考えていた。アリスが撃ち抜いた北ルセニア連邦のコンテナ付き機動兵装。奴をもっと早く倒せば、大久保の右腕を奪ったミサイルは発射されなかったのだから…

 それらの感謝と謝罪を含め、彼に伝えようと思ったのだが…実際、目の前にいると上手く伝えられないでいた。

 入院中にも一度、神河原と共に見舞いへ来ていたのだが、その時も意地が邪魔をして伝えられなかった。

 ありがとうの一言で済む話なのだが…


「おい、もう六階着いてるぞ」


 大久保の呼び掛けでアリスは我に返った。エレベーター内の電子パネルは六階を表示しており、先に降りていた大久保が不思議そうな表情を浮かべて待っていた。


「どうかしたのか?」


「…何でもない」


(また、言えなかった…)


 目的の病室はエレベーターを降りて一番近い場所にあった。

 廊下に取り付けらえたネームプレートは外されている。ここは長期入院患者用の個別病室だ。通常の病室よりも少し大きいスライド式のドアをノックすることなく、そのドアノブを横に動かす。

 音を立てることなく静かに開いたドアの先から優しい微風が流れ出す。

 白く清潔感が保たれた部屋を、窓から入り込む暖かな陽光が明るく照らす。半透明のカーテンを揺らす風に頬を撫でられ、肩まで伸びたアリスの黒髪が靡く。


「この人…お前の大事な人って…」


 ベッドの後ろ、壁に取り付けられたネームプレートを見て、大久保もアリスの“大事な人”を理解したようだ。

 透き通るような美麗の白肌。陽光を受けて金色に輝く長髪。ベッドで眠る女性の容貌、そのどれもが数年前のアリスと酷似していた。


「『佐郷 ミーシャ』…この人が…」


 大久保がネームプレートに書かれた眠り姫の名前を読み上げると、アリスは小さく頷いた。


「そう…私のお母さんよ…」

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