第〇話『Prologue__惨劇の開戦』
□[北海道→函館→清水山南方] 中島 旺磨 一等兵
辺り一帯に広がる長閑な田畑を眺めていた僕は背中を小突かれ、後ろへと振り向く。
振り向いた先には僕と同じように、身を低く屈めた姿勢の相手__深緑の色相系統で統一された鋼鉄の塊がこちらを向いている。
それは機械であり、人造であり、鎧だった。
『ぼやっとするな』
人の形をした鋼鉄の鎧、その顔部に付いたスピーカーが低く静かな声を吐き出す。
知った声に催促された僕は小さく頷いてから腰を上げる。
『B隊は十一時方向にある民家まで移動する。距離としては二百メートル弱。少し長い距離である上、移動中に遮蔽物となるものがない。各自警戒を怠るな』
凛とした男の声が耳に届く。
その声は先程と異なり、僕の耳元__身に纏った鋼鉄の鎧の頭部、その中で発せられた音声だった。
『了解しました!』と言う返答が続々と耳に響き、遅れながら僕も了解の意を述べる。
全員の返答を確認した分隊長は腕に抱える小銃を構え、僕ら八人が隠れていた生け垣から移動を開始する。
『続け』
『今度は惚けるなよ』
「……はい」
別に惚けていた訳ではない、と言い訳もできずに渋々ながら頷く。
分隊長に続いて五番目に生け垣を離れた僕は、前を歩く鋼鉄の背中にくっつきながら辺りを見渡す。
平地が広がる周囲には育ちかけの農作物が並ぶ畑しかなく、分隊長の言葉通り隠れる場所などどこにもない。
加えて辺りはうっすらと靄がかかっていた。
そこまで視界が悪い訳ではないものの、一キロ先は白いベールを何重にも重ねたように見えづらい。
「……あれはA隊とC隊か」
左手を見れば僕たちが進行する列と並行して、同じ鋼鉄の鎧を纏った集団が列となって歩んでいた。
右を向けばもう二列の行進が目に映る。
計五列が五十メートル程の間隔を挟みながら行進を行なっていた。
物々しい雰囲気に包まれた一行の中で、左右ばかり見渡していることに気付いた僕はふと空を見上げる。
視界を埋める薄暗いモノトーンの空。
灰色がかった低い靄の隙間で何かが煌めく。
それに気が付いたのは本当に偶然だった。
『おい! 何を止まっ……』
生け垣で僕を小突いた仲間が僕の後ろで立ち止まる。
気付かぬうちに足を止めていたようだが、それを咎める声はすぐさま途絶える__
眼前に突如として映し出された真紅の警告によって。
『____』
誰かの呟きを搔き消すように耳元でけたたましく警報が鳴り響く。
排煙の尾を引き、急激な速度で距離を詰める〈それ〉の数に僕は呼吸すらも忘れて立ち尽くしていた。
『迎撃しつつ後たァ__ァ__■■__』
分隊長の通信は唐突に発生したノイズに妨げられたが、その言葉で呆然とした僕の意識が呼び覚まされる。
飾り物ではない小銃を急ぎ構える。
直後、僕の前を行進していた分隊長が地鳴りにも似た激震と共に吹き飛ぶ。
続けざまに響く悲鳴と爆音の嵐。
隠れる場所のない僕らに勝ち目などなかった。
いつの間にか途絶えた銃声。
仲間が撃つことを止めて敗走に移ったか……それとも、それすら出来ない状態となったのか……
どちらにしろ、僕にそれを確かめる余裕などなかった。
「あぁぁああああーー!」
情けない声は無意識のうちに口から溢れていた。
数秒前まで抱えていた小銃は投げ捨てた。
心を埋め尽くす恐怖の感情__死にたくない、と言う一心で背を向け、敗走へと移る。
しかし、僕の足が数歩目の地を蹴ると同時に凄まじい衝撃が背を叩く。
地面を転がった僕の視界には〔重度の損傷〕と言う表記が映る。
続いて視界の左隅で負傷部位の詳細と言う表示が現れるも、そんなものを読んでいる暇はない。
すぐさま立ち上がり……
「…………ぇ?」
突如として異様な虚脱感が体を襲った。
地に着いた腕から力が抜け、再び地面へと崩れ落ちる。
原因を探るべく自分の体へと視線を落とした僕の目に映ったのは、腹部を覆う頑強な装甲__それを貫く巨大な鉄片だった。
「あぁ? ……ああああぁぁぁぁぁぁぁぁーーッ⁉」
跳ね上がる鼓動に音は閉ざされ、焦点の合わなくなった視界は赤く塗りたくられる。
腹から漏れ出る真紅の液体。
それが僕自身の血液だと認識することを頭が拒む。
救いを求め、歪んだ僕の視界が周囲を見渡す……
四散した肉片とひしゃげた鋼鉄の塊。
つい今しがたまで人の形をしていたそれらは、見るに耐えない醜悪な形へと姿を変えていた。
焦げた臭気が漂う盆地は悲鳴と爆音の嵐から一変、静寂に包まれていた。
その時初めて、僕が地獄に入り込んでしまったと気付く。
救いのないこの場で、後悔と孤独に苛まれる僕は大声で泣き叫ぶ他なかった____