第五章・異奇種
「とう、さん?」
声が、妙に響いて聞こえた。
目の前に倒れている人間の姿がぼやけてよく見えない。
梓は、アスファルトの地面に座り込んでいた。
ただ、風景が流れていくのを、ただ見ていた。
その時。
梓の背後で、瓦礫を蹴飛ばす音がした。
梓が振り返ると、木造平屋の屋根の上に、人が立っていた。その容姿は、逆光で見えない。梓が解ったのは、その人間が小柄だという事。
「・・・・・・~。」
人間はなにか言って、屋根の向こうに消えた。
梓が周りを見回すと、周りにはもう誰もいなかった。
「・・・~・・。・・・・って。・・・・・・ま・・。」
耳に届いた自分の声に、梓はハッと目を覚ました。夢を見ていたのだ。
そして、一瞬の呆然の後に、自分は民家の屋根の上にいて、まだモンキーバードの手に掴まれていることに気がついた。
しかし飛んではいない。粗い息づかいに顔を上げると、梓の視界を歯と舌がうめた。
「ッ~!!!!」
梓は、慌てて拳を振り上げ、モンキーバードの前歯に当てる。
すると、モンキーバードが驚いてのけ反り、梓を掴む手の拘束が緩む。
「くっ!」
梓はその瞬間にするりと手から逃れた。
腰の銃に手をかけ、モンキーバードの黒々とした目に照準を合わせ引き金を引く。
「ボアァアウァア!!」
モンキーバードが苦悶し、梓がのっている手をブンブンと振り回した。
「!しまっ・・・!」
当然、なんの支えも無い梓は立っていられず、梓は空中に放り出される。
それでもなんとか屋根の上に着地し、梓はモンキーバードを見上げる。
「グボオオオアオアオオオオ!!」
「・・!!」
冷静に、冷静に。
心の中でそう唱えながら、再び銃を構え、モンキーバードの頭を狙って三発を放つ。
全弾が命中。梓はモンキーバードの頭が吹き飛んだのを確認して走り出し、一階の屋根に飛び下りて地上に降りた。
そしてすぐさま全速力で逃げる。
たった一人の今、梓にターゲットを仕留める事は出来ない。核の位置が割れていれば可能性はあっただろうが、モンキーバードは先程核を潰しても死ななかった。そうとなれば、核を二つ持っている、という確率が高い。
もし核を二つ持っているとしたら、情報屋のいない梓にモンキーバードを倒せる保証は無い。
こういう時、梓は情報屋の存在が、SIFAD隊員にとってどれだけのものなのかを痛感する。
走り続けて、息が大部荒くなって、梓は家の影で足を止めた。
その時、モンキーバードのものと思われる叫び声が遠くから届いた。
頭部の再生を終えて、怒り狂っているのだ。――梓は、とっさに壁に背をつけしゃがみこみ、右手を銃にかけながら空をみあげる。
数羽の鳥達が飛び去っていき、そのしばらく後にモンキーバードが続くのを見届けて、梓はほっと胸を撫で下ろした。
これでしばらくは大丈夫だろう。他の悪霊が現れでもしない限りは。
それでも数分その場で気を張って、ここは、いったいどこなのか、と梓は周りを見回し、第一防衛ラインは出ていないだろうと考える。
防衛ラインの外にいるとすれば、こんな風に余裕にかまえている事はできない。
梓は、もう一度念入りに周りを見回した。
悪霊の気配は無い。
「・・・・・・・誰か、・・・・・いるわけないか。」
梓は自嘲気味に呟いて、ふと笑った。
誰もいるはずはない。いや、いてはならない、梓はそう思っていた。
他人からすれば下らない劣等感に意識を沈め、廃墟区という戦場で気をぬいた。
悪いのは全部自分だ。誰も、誰も来るな。
・・・・・・それでもきっと、彼等は来るのだろう。
心臓が、苦しい。
「・・・なら、」
梓は、耳の通信機を桐島に繋いだ。
『梓?梓か?!』
その途端、耳をつんざく様な雑音と共にエウラの声が響いた。
「なっ・・!?エ、エウラ?!お前なんで・・、俺は桐島隊長に・・」
『そぉんな事はどうでもいい事だよ間抜けな間抜けな梓君。』
「ぬぐっ・・・!!うるさい!」
『アハハハハ、君は本当に・・プッククク・・・。』
「うるせえええ!お前今どこにいるんだ!?隊長達は一緒じゃないのか!?」
『一緒じゃないんだなーこれがぁ。仕事が増えちゃったからね。桐島達は一時待機中だよ。ところで梓、君は今どこにいるんだ?』
「えっ?あ、細かい事はわからない。住宅街ってことだけだ。」
『回りに悪霊は?』
「いない。気配もない。さっきモンキーバードが飛んでいった。」
『モンキーバードが?・・・なんだ、ならわりと近くにいるんじゃないか。待ってなよ、今見つける。』
「は?見つけるったって・・・。」
梓の言葉の途中で通信が切られた。
壁から背を離して周囲を見回すと、トン、という足音が頭上で鳴った。
梓が見上げると、屋根の上にエウラが立っていた。あの夢の光景が、エウラに重なって見えた気がした。
「速いな!?」
「だから、わりと近くにいるっていったじゃぁないか。」
「・・・・・。俺がさらわれて、もうどれくらい時間がたってる?」
「さあ?そんなの気にしてる暇はなかったからねえ。十分か一時間くらいじゃない?」
「アバウトすぎだろ・・・。」
梓が言うと、エウラはそんなことは意に介してもいないように、ケタケタと笑った。
「いいじゃないか。君はこれで一人じゃなくなったんだから。」
その言葉に、梓はふと沈黙した。
そういえば、と胸に手をあてると、不思議と鼓動は落ち着いていた。
どうやら自分でも気づかないうちに、随分と心細くなっていたらしい。
「・・・・・、情け、ない。」
「ん?なんか言った?」
「いや・・。」
口ではそう言ったものの、梓の気分は最悪だった。
過ぎたことを悔やんでいても仕方ないのは解っているが、なかなか割りきることはできなかった。
エウラは、そんな梓を数秒見下ろしていた。
そして、隣に降り立つ。
「怪我はないみたいだね。これで、私の一つ目の仕事は終了だ。」
「・・?あぁ、さっき言ってたな。つか、仕事ってなんだよ?お前の仕事は悪霊の核の位置の特定だろ?」
梓はこれ迄の任務を思い返すが、エウラがそれ以外の『仕事』をしたのを見た覚えは無い。いや、正確にはあったのかもしれないが、梓は思い出せない。
・・・・いや、そういえば、時々任務前に出かけていることがあったような。
「実はそれだけってわけでもないんだなー。今までは調査班が頑張ってくれたから私はあんまり出ないですんでただけなんだよね。大体、梓達は細かく知らないだろうけど、調査班っていうのは情報屋のバックアップみたいなものなんだよ。私達情報屋は各隊についてなきゃいけないから、あんまり隊を離れるわけにもいかない。
本来いつもの調査班の活動は私達がやるべきなんだけどね。」
「・・・・ふーん。ていうか、一つ目のって言ったよな今。」
「ああ言ったとも。これから二つ目の仕事だ。梓、君はとりあえず桐島達の所に送るよ。・・・と言いたいとこ「俺もつれてけよ。」
エウラは、驚いて口を止めた。
梓は、だるそうな、それでいて真剣な目でエウラを見ていた。
「・・・フフフー。私の台詞をとるなんて酷いなあ♪値段はたかいよ?」
「何がたかいよだ、さっさと行こうぜ。」
「おや、ヤル気だな。」
梓は、少しでもやらかしてしまったこのへまを精算したかった。このままでは、情けない自分に負けてしまいそうな気がしたのだ。
「なら、君と二人でたたっ殺すか、モンキーバード★」
エウラは、口元が裂けんばかりの笑みを浮かべて高笑いした。エウラはテンションが上がっている時によくそうやって笑う。最初こそ梓も驚いていたが、今はすっかり慣れてしまっている。むしろ、自分の気分すら高揚するような気さえするのだ。
普段押さえつけている物を、解放するかの様な、心地いい気分になる。
「行こう梓。あのモンキーバードにはちょっと異常な点があるんだ。それがさっき奴を倒せなかった理由さ。進みながら説明しよう。」
「・・ああ。」
エウラが呟いた梓を促して、二人は住宅街を走り始めた。
悪霊は、核を壊せば死ぬ。核を壊さねば死なない。それは、一般人ですら知っている様な、悪霊についての基礎知識だ。
しかし、モンキーバードにはその常識が通じなかった。エウラが言うには、恐らくモンキーバードの核はあの一つだけらしい。
なら、どうしてモンキーバードは復活したのか。
「あの悪霊はね、核を修復したんだよ。」
「核を?!どうやって?!」
悪霊にとって、核とは脳であり心臓でもある、重要な器官だ。核を二つ持ってでもないかぎり、そんな事はできない。
「残念。そこまではまだ解ってないよ。」
「期待させんな!」
「まぁまぁ、仕方ないじゃないか。
私達情報屋は、ああいうのを『異奇種』と呼ぶんだ。かなり珍しい。
異奇種っていうのは、まあそのまんまだね。異常で奇怪な種。奴らは、悪霊の中でも、生態的にも身体的にも大きく既存の奴らと外れている。まず、異奇種ってのは、元々核を一つしか持ってないんだ。そのかわりに、核を潰されても少しの間生きている事ができる。
その時間内なら、切り離された核を新たに創る事だって可能さ。まあ、生きてられる時間は個々によって違うけど、大体は十数秒くらいさ。」
梓は、その言葉を聴いて心中で絶句した。そんな悪霊がいるなんて、全然知らなかった。
だが、梓は、
「なら、モンキーバードがミンチになる様にフルコンボかましてやればいいだけだな。案外楽勝だ。」
「なんだ、俄然ヤル気だね。それでこそ梓♪やっぱり君が好きだな♪」
「やめろ気持ち悪い!!」
「だから、likeだって。しかも、性格だって。」
エウラは心外そうに眉をひそめ、意地の悪い笑顔を作る。こいつはいつも笑っているなと梓は思った。
「だけど梓、実際にできれば苦労はしないんだな☆」
「わかってるよ。冗談だって。」
「だけど梓、実のところ実際に異奇種を討伐した例は無いんだよ。」
「・・・・えっ?」
「これは、君達に知らされてないだけなんだけどね。本当は、三年前のあの日にも異奇種の存在は確認されてる。だけど、異奇種と戦った人間の誰も、彼等を討伐する事はできなかったんだ。追い払っただけ。だからぶっちゃけ言って、今回モンキーバードを討伐する事はできないかもしれない。
でも、それを誰かから、勿論上の連中からも君達が責められることは無いよ。」
「・・・・・・・。」
エウラは、淡々と話続ける。
「だから、今なら本部に連絡を送って、退くこともできちゃうよ。なにせ情報屋の私達ですら討伐方法を知らない。今言ったみたいに全身をミンチにしちゃえば死ぬかも知れないけど、十数秒のうちにそこまでできるかはわからないし。」
「・・・お前の、二つ目の仕事は?」
「無くなるかもね。・・・いや、無くなるよ。でも、私は困らない。給料なら足りてる。」
「・・・・・。」
梓は、しばらくなにかを考えていた。エウラはそれを黙って見ている。黙りつつ、目の前に現れた家を回避するため梓を抱え、一気に跳んで屋根に乗った。そしてまた走り出して、飛び降りてまた走り出す。
「・・・・あれ?」
その時、梓が呟いた。
「ミンチにできんだろ。お前ならさ。」
「ん?」
「なんだ、覚えてないのかよ?」
「・・・。・・・・・・あっ。・・・・だけど梓。奴は空を飛ぶよ。それに、きっとかなり警戒してる。
上手くいかなかったら、私は助かっても、君は死ぬかもしれないよ?」
「・・その件なら問題も心配もねーよ。」
「・・・・・そうかい。」
エウラは、ニヤリと笑った。
「まあ絶対に連れてくつもりだったけどね★」
「まさかの選択の余地なしかよ?!」
エウラが笑って、梓もつられて笑った。
なんだか妙な空気だと、梓は思った。
しかし不思議と楽しく感じる。
「で、モンキーバードはどこ行ったか知ってんのか?」
「君を探していた時に見てたからね、隠れながら。あのまま移動していなければ、そろそろ・・・」
エウラは、また梓を抱えて屋根に跳んだ。
梓の眼下に、大きな公園が広がる。たくさんの遊具があって、三年前のあの日まではきっと子ども達で溢れていたのだろうことが容易に想像できた。
そんな公園の中心に、モンキーバードはいた。まだ二人には気づいていない。のしのしと歩きながら、欠伸をしている。梓は、銃から弾倉を取り出して残りの弾を確認する。そしてそのまま銃に戻した。
「遠いな・・。ここからじゃ流石に無理か。
けど他に建物なんてないぞ。」
「いやぁ、無いなら無いで仕方ない。気づかれないうちにいくとしようか。」
そう言うと、エウラは屋根から静かに飛び降りて、梓を抱えたまま静かに走り出した。
モンキーバードとの距離はあっという間に縮まっていく。エウラが笑い、梓が銃を握る手に力を込める。
モンキーバードまで十数メートルというところで、エウラは思いっきり踏み込み、跳んだ。
二人の体が、風を切って十数メートルの空に走る。
エウラが梓の体を縦にして、梓は真下の生体に銃口を向けた。
「今度は気絶するなよ?」
「言ってろ!」
やがて、数秒空中に留まっていた二人は落下を始めた。エウラはまるで平気そうだが、梓の腕は風の冷たさに震え、照準はどんどんぶれる。
「梓!」
「わかっ・・てる!」
そう言いつつも、梓の腕は言うことを聞いてくれない。じわじわと焦りを感じながら、梓は連れ去られた時の事を思い出していた。
足手まといになるのなんて、ふざけてる。
例え生き物でも今は―――。
「今度こそ、死んでくれ!」
梓の腕が静かになった。照準が定まり、数メートル下のモンキーバードが二人に気づく。
それと同時に梓は引き金を引いた。残り弾を全部使いきる勢いで引き金を引いた。モンキーバードの頭が吹き飛び、肩が抉れ、翼が抉れ、モンキーバードが揺れ、しかし梓の目はぶれなかった。
「さぁ、いつも通りいこう★」
余裕ぶったエウラの声が風の中から聞こえた。
―――そこまで、そこまでは、上手くいっていた。
梓の脳は思い描いた結果を疑わなかったし、エウラの脳だって同じだった。
なら、彼が動いたのは――――。
「―――――っ!!」
「え?」
その時、梓の体が放られた。地上から三メートルの空中に。
そして、エウラの体は吹き飛ばされた。地上から三メートルの空中から、十二・三メートル先のジャングルジムに。
その光景を、梓の目はしっかりと写していた。
「―――――エウラ。」