第一章・SIFADと情報屋
それは、壊れ果てた建物が両端に並ぶ、砕けたアスファルトの狭い道。
夕焼けの陽射しが照らすその道には、所々に雑草が覗き、非常に走りづらいその道を、茶髪の少年が銃を片手に走り抜けていた。
「チッ・・・。あの野郎、なんで・・・!」
悪態をついた少年の顔には汗と疲労が滲んでいて、しかし足が止まる気配は無い。
と、
不意に、少年の右足が強く地面を蹴った。
少年の体がその勢いのまま跳び、右側のブロック塀に着地する。
少しぐらついた体勢を素早く立て直し振り返った瞳には、同じ道を異様な雰囲気で駆けてくる人間のカップルが映っていた。
少年は、その片方の女性に狙いを定め、躊躇無く引き金を引く。弾丸が着弾すると、女性の頭が派手に吹き飛び、足が縺れて血を撒き散らしながらアスファルトに倒れ込んだ。
しかし、男性は振り返る事もなく、ヨダレを粗い息と一緒に吐き出して走り続ける。
「はっ、トロイっつーの。」
少年がそう叫ぶと、次の瞬間その男の頭はやはり無くなっていて、体は仰向けに倒れアスファルトで頭蓋を砕いた。
それでももぞもぞと動いていた二人の心臓にもう二発ずつ弾丸を打ち込んで、その二人は漸く動きを止めた。
「よし、ターゲットクリアー。」
落ち着き払った様子で呟くと、少年は片耳の通信機に手を当てた。
「おい、俺だ。」
『・・・んだ、誰だよ誰だよー。今時オレオレ詐欺なんてはやんねーよー。』
雑音交じりの声が通信機から流れる。
「バーカバーカ。はやんねーどこじゃすまねぇよ。」
『あはははははははは!!確かにな。んで、誰?』
「本当にわかってなかったのかよ?!
・・・はぁ、梓だ。慧佑。」
梓がそう告げると、慧佑は思い出した様に声の調子を上げた。
『あぁ、梓か!なんだよ先に言えよ。本気で詐欺かと思ってビビっただろーが。』
「本気で思ってたのかよ・・。声で気付けよ・・。つーかむちゃくちゃ余裕そうだったぞ?」
『いや、通信乗っ取ってまでオレオレ詐欺してくるその馬鹿さ加減に。』
「・・・・・・・・。あー、本題に入るぞ。
こっちのターゲットはオールクリアだ。
そっちに行った奴等は?」
『そんな質問論外だな。この俺様が取り逃がすとでも?一匹は逃げたけど。』
「取り逃がしてんじゃねーか!」
『何言ってんだ。俺が取り逃がしたんじゃねぇよ!あの箒佐のアホが取り逃がしたんだよ!俺が止めをさそうとしたら箒佐がへまして、俺も止めさし損ねちまってよぉ!』
それを聞いて、梓はふと自分のチームメイトの顔を思い出した。
茶髪で、サングラスをした同い年の神崎箒佐。
彼は、それなりの実力者だが、いろんな事に対して陶酔しやすい奴だった。
しかしだからと言って戦闘中に簡単にミスをするような男ではない。普段はかなりうざったいが、命がかかっている戦場でそんな自殺行為を働くような真似はしなかった。
「珍しいな。」
しかし、特に訝しむ事はせずに梓は呟く。
『全くな。とりあえずこっちは負傷者はいねー。
逃がした一匹は今箒佐と日向が捜索中。お前等も怪我はしてねーんだろ?』
「・・・・ああ。じゃあ俺も今からお前の所に合流する。」
『おう!場所はさっき別れた場所からそこまで離れてねぇからすぐわかるだろ。後でな。』
「ああ、後で。」
梓は、その言葉を最後に通信をきった。
溜め息をついて銃を腰のホルスターにしまい、ブロック塀から降りようと下を向いた。
その時、足元にヒビが入る音を、梓の耳は聞いていた。
古くなっていた塀が重さに耐えきれずに崩れたのだ。
「うおっ!」
梓の体がバランスを崩し、瓦礫に向かって落ちる。
思わず目を瞑った梓。
しかし、梓の体が受けた衝撃は、梓が思っていたよりずっと速く来て、そして軽かった。
梓は、そっと目を開ける。
少し下で、瓦礫は変わらずそこにあった。
そしてそのすぐ側に、先程には無かった、梓が見慣れた靴も。
「やぁ梓。良かったねぇ怪我が無くて。」
これも、梓がよく知っている声だ。
「お前・・、今まで何処に・・・?!」
状況を理解した梓が振り返ろうと身を捩ると、ボトッと瓦礫の無い地面に落とされた。
「結局落ちるのかよ!」
梓は打ち付けた鼻に手をやりながら起き上がる。
そこに立っていたのは、大きな襟の、黒い上着に身を包んだ紅い長髪の少年だった。
黒と紅というどすい組み合わせだけでも目を引くが、両眼と首から下を覆う包帯はもっと目を引いた。
「何処って、ずっと君の近くにいたさ。走ってたのは屋根の上だけど。」
「なんでそんな所・・、つーか、見てたなら手伝えよ・・・。お前、本当に『情報屋』なんだよな?エウラ。」
そう言うと、エウラは馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
対悪霊用特殊機関『SIFAD』。
三年前に現れた人類の怨敵・悪霊を駆逐する為の専門機関である。
しかし、創設当初SIFADは、否人類は、余りに悪霊達に関する知識が欠けていた。
生き残る為に必死すぎて、そこまでの余裕が無かったのだ。
通常の武器では死なず、更に悪霊がその姿を人型から化け物の形へと変化させてしまえば、その特徴は千差万別。
当然悪霊達の心臓である核の位置も変わり、人員は削られていくばかり。
政府が集めた学者達でも、大した情報は得られない。
そこに声を掛けてきたのが、『ファイル』という、此方も起ち上げられたばかりの中小企業だった。
彼等は、SIFADの人間達に向かって言った。
『我等は、貴方達の為に悪霊達の情報をかき集めてこよう。そして、その情報を持った優秀な人材を各支部に派遣する。
戦場でも生き残れるような屈強な者達だ。邪魔にはならない。
我等と手を組む気はないか。』と。
SIFADの人間達は、その時そうせざるをえない状況だった。
そして、派遣されたのが『情報屋』と呼ばれる者達。
彼等はその脳に叩き込んだ悪霊達の知識を戦場で隊員達に与え、その生存率を格段に向上させた。
「だから、なんで貴方はそう勝手な行動ばっかりとるんです。アホが。貴方『情報屋』でしょう?馬鹿。ファイルの社員としての義務も果たせないんですか?このボケ。」
任務を終了した梓達は、SIFAD第七支部に帰還していた。
休憩場所を兼ねたエントランスのソファに座る梓のすぐ後ろでは、黒髪の眼鏡の青年が、エウラに所々に直球の悪口を入り混ぜた注意をしていた。
青年の名は椏宮逍遙。梓の所属する第一部隊の副隊長だ。もちろん今回の任務にも参加していた。
その光景を先程から盗み見ていた梓は、少なからずエウラを気の毒に思った。
逍遙は、見た目通りの真面目人間だ。
しかも責任感が強く、副隊長という立場と、元々の性格が合わさって物言いがかなりきつい。
「おい、なんとか言いなさい情報屋。
すみませんぐらい言ったらどうです。」
逍遙がエウラに中指を起てて睨む。
しかし、エウラはそれに対してニヤリと口許を歪めた。
「なんだ、そんな事しないでくれよ副隊長。仲間だろう?」
エウラはあれで見えているのだろうか、と梓は毎回思う。
「貴方が仲間?冗談も大概にしてください情報屋。」
エウラのわざとらしいアクセントに、逍遙が反応する。
そのやり取りに、梓は胸にチクリとしたものを覚えた。
「ははは、相変わらず酷い事言うなぁ副隊長は。だってそうだろ?私達情報屋とSIFAD隊員は一心同体。私達が情報を与えるから、君達はちゃんとした対処ができる。」
「・・・・ああそうですね。僕も、感謝していますよ。お前以外にはね。」
すると、逍遙はかなり冷ややかな調子でそう言って、エレベーターに姿を消してしまった。
周囲にいた人々が一斉にエウラを見るが、エウラは気にした様子も無くクククと笑いを漏らしている。
「・・・・何がおかしいんだよ。」
梓が話しかけると、エウラはまたわざとらしく驚いたふりをした。
「なぁんだ起きてのかい梓?やたら規則的に頭が動くから、うたた寝してるのかと思ってたよ。」
「・・・・・・それは何よりだ。で?質問に答えろよ。」
「・・ククク。だって、笑わずにいられないよ。クククク。相変わらず素晴らしい副隊長なものだからさ。」
梓は、一瞬嫌みかと思って言ったが、エウラはまた笑いながら首を振った。
「だってそうじゃないか。フフフ。」
理由は言わなかった。
「・・・・チッ。相変わらず変なやつだな。」
「ハハハ。」
エウラが短く笑って、そこで会話は途切れた。
口許に小さく笑みを湛えたエウラと梓は、互いに向き合いながら、少しの間沈黙に耐えていた。
その、普段とは少し違う反応に梓が訝しみ始めた頃、
「・・・・・なぁ、梓。」
その時、不意にエウラが口を開いた。
少し真面目な声だった。
「・・・・・。な、なんだよ。」
エウラの声のトーンの変化に、梓は敏感に反応した。
何か悪い事でも言ったかと思った梓。しかし、緊張した梓に対して、エウラは何時もの、何かを楽しむような笑みを浮かべた。
「相変わらず君は素敵な性格の奴だなぁ。」
「はぁ?」
エウラの、今までの話とはなんの脈絡の無い発言に、梓はすっとんきょうな声をあげてしまった。
素敵という言葉に変な意味は無いはずなのに、そんな風に感じるのは梓の気のせいだろうか。
「いやぁ、本当に君は素敵だよ。フフフ、フフフフフ。本当に。」
「な・・、き、気持ち悪い笑い方すんな!」
「なんだい今更。これが私のデフォルトだってのはとっくに解ってるだろうに。」
「・・・!き、気持ち悪い言い方すんな!」
「嫌だなぁ梓。私にはそんな趣味も思考傾向も無いよ。誤解するんじゃない。あくまで同僚として友人としてのlikeさ。」
エウラは意気揚々とした態度で言う。
それを聞いた梓は、しかしどうにもその言葉を信用しきれないのは何故だろうと思った。
いや、信用しよう。否が応でもそうしておこう。
梓は密かに決心した。
「全く。いい加減私の冗談に慣れてくれてもいいんじゃないかい?」
「・・・・・・・・。・・・・いや、無理だ。」
梓は、ニヤニヤと笑うエウラにげんなりとした視線を送る。
エウラは、出会った頃からこの態度だった。
最初は本当に変態なんじゃないかと思っていたが、本人にそう言うと、本人はいつも否定した。
「ところで、そんな素敵な素敵な梓に確認。」
「なんだよ。」
「君は、忘れている事があるんじゃない?」
そう言って、エウラは梓の腕時計を指差した。
「・・・・。」
梓は黙って時計に目をやる。
英数字の文字盤の上で、長い針は10を、短い針は9を差していた。
確かにもう遅い時間だが、梓は土日はSIFADの寮に泊まっている。寮へはエントランスのエレベーターで行くことができるので、特に問題は無い。
すると、エウラはまたクククと・・先程よりも大部人を馬鹿にしている様に笑いだした。
「だから、なんだよ?」
梓は痺れをきらした。
「クク、ク、フフフフ。いやぁ随分見事な忘れっぷりだねえ。」
「・・・・おい、いい加減に・・」
「宿題。」
梓の言葉の途中で、エウラは呟いた。
その単語に、梓は一瞬不思議な顔をして、そしてはっとして、みるみる青冷めていった。
「今日は月曜日。けど休みなのは祝日だから。梓、確か火曜までの数学の宿題があるはずだね。月曜日に学校で終わらせるって言ってたかな。」
「・・・・・・。」
「そういえば、数学の授業は一時間目だっけ?
あぁ、でも第七支部から学校までは1時間かかるんだよね。朝の時間に終わらせるのは難しそうだなぁー。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「今、何時かな★」
梓は、僅か0点7秒で立ち上がって、閉まりかけていたエレベーターにかけこんだ。