蘭夢の劔
オリオン座流星群が本日夜九時頃からピークを迎える、とニュースで報じていた。
今日は金曜日。悩み相談のバイトが終わったら見ようかとも思ったが、駅に近く夜でも煌々と街灯がついているこの一帯では、流星どころか頑張っても二等星ぐらいまでしか見えない。
私はがっくりした。
生まれてこの方、住んだのは都会のベッドタウンばかりだったから、私が、都市の過剰なライトアップに邪魔されない"まっとうな"星空を見たことは一度もなかったし、星空で有名な観光地に足を伸ばしたこともなかった。
………そう。なかったはずなのだ。
だけど、私にはどういう訳か、うるさいぐらいひしめき合う星々と長く銀の尾を引く流れ星達を観た記憶がある。
数分の頻度で大小も色も様々な流星が流れていたから、あれはいわゆる流星群というものだったのだろう。
それは何時で、何処で、誰と一緒に、だったのか。思い出は輪郭がぼやけていて、実体がつかめない。
初めてみる星空は、おびただしい程の量の星で埋めつくされていて、それを目にした私は感激するどころか恐怖を感じたのだ。
あんなに星があったら空からこぼれて、落っこちてきちゃう、怖い。
火がついたように泣き出した私に慌てている隣の誰か。
喜ばせるつもりが、泣かせてしまったのでおろおろしていたっけ。
涙をそっと拭ってくれた親指の感触がリアルに残っている。
そのうちに慣れてきて、空にすっすっと筋を描いては消える流星に夢中になった。
流星鑑賞をした誰かと、また一緒に"何か"を観ようと約束した憶えがあるが、それが何なのか定かでない。
欠陥だらけの思い出。
頭の芯に意識を集中させて、焦点の合わないピンぼけの記憶に目を凝らす。
そう………あれは確か四歳の頃の話で、私はその後、インフルエンザか何かで40度超の熱を出して生死の淵をさまよったのだ。
記憶があいまいなのは、高熱の副作用か。
昔のことに思いを馳せている内、ディスプレイに出現する人影。
夜の世界の住人。魔術士を従えた勇者が唐突に現れた。
はじめの頃は前触れもなく出現する二人に比喩でなく、本気で心臓が止まりそうになるほど驚いたが、人間慣れるものである。
今では、ああ来たの、ぐらいの反応だ。
石造りの太い円柱と寒々しい石の床が目に入る。珍しく、今夜は屋内からの通信のようだ。
「今日は建物の中からなのね。その辺りって人が居ないんじゃなかったっけ」
「女神オルキスの神殿だよ。魔王が顕現する紫宮の側、決戦を控えた勇者のために作られた。ここで、"蘭の女神の使い"が"聖なる戦士達"に力や武器を授けると言われている」
話が一気にRPGっぽくなった。
女神がいたなど初耳である。ネイドの説明にはまるでリアリティがなく、私はふぅん、とかへー、とか気のない相槌を打っていたが、ニッと笑んだ魔術士が、それでは女神の使者殿、魔王を倒すための武器をわたくし共聖戦士にお授け下さい、と"私に向かって"告げた時、唖然とした。
前からおかしいと思っていたが、ついに乱心したか。
「寝言は寝ておっしゃいな。私がそんなものを持っているわけないでしょうが」
そんなものを持っていたら、即、お縄である。今、家にある武器になりそうなものと言ったら包丁ぐらいしかないが、砥ぐのが面倒で放置してあるため、切れ味が非常に悪い。
野菜を切るというよりはまな板に押し付けてすり潰すような感じで、すこぶる使い辛いのだ。勇者との通信が終わったら、いっちょ砥ぎますか。
現実的に考えて、その包丁で魔王を倒すのは無理だろう。よしんば包丁がよく砥がれたものだとしても不可能だ。それに家庭の調理用の包丁に倒される魔王ってなんか嫌だし、包丁がないと私も料理が出来なくて困る。
ネイドは珍しく強い語調で"ある"と言い切った。
「あるさ。何のために貘を渡したとおもっているの? 全てこのためだよ」
「バクちゃん?」
バクちゃんは今日も可愛い。憎たらしい贈り主に全く似ていない。ネイド達と繋ぐ前も、バクちゃんをもふもふして遊んでいたのだ。
そんなバクちゃんに恐ろしい魔王を殺害する力なんてあるはずないし、あったら私が怖い。
「貘をこっちにちょうだい」
「ええー。バクちゃん持ってっちゃうの?」
年甲斐もなく口を尖らせた私に魔術士は苦笑した。
「大丈夫だよ。ヤコさん。貘そのものが武器というわけじゃないんだ。貘が"溜め込んだ夢"が必要なんだ。夢だけ抜き取ったらちゃんと返すから」
ノクターンに子供に言って聞かせるような優しい口調で宥められ、私は羞恥で顔が熱くなった。
10歳以上年下の男の子に諭される三十路って、どれだけ幼いんだ。
「そうだよ。"蘭使"のヤコ。俺達"聖士"が魔王を完全に消滅させるには"太陽の世界"の人間の夢で作った武器が必要なんだ。だからこそ夢喰の形代を贈ったんだよ」
いきなりファンタジックな単語を連発されても、妄想がち………もとい夢見がちな少女時代を十五年以上前に卒業してしまっている私にはわけが分からない。
そういう専門用語は一気に出すのではなく、少しずつ小出しにしてくれなければ覚えられないではないか。
理解力があまりないので、一度の説明ではちょっと。今の部分はテストの出題範囲なのだろうか。ノートにとるのでワンモアプリーズ。
「アホなこと言ってないで、さっさと寄越しなよ」
ネイドは錯乱した私の戯言をさくっと無視した。ベッドからひとりでに飛び上がったバクのぬいぐるみが画面の向こう側に吸い込まれていく。
「あー! バクちゃんっっ」
「ヤコ! うるさい!」
ヤコを黙らせて、とうんざりした声音で勇者に命じた魔術士は、ぬいぐるみを床の上に置き、ブツブツと何事かつぶやきはじめた。
「なにあれ。呪いでもかけてるの?」
「ヤコさん………。しーっ」
真剣な目をして人差し指を唇にあてた勇者の動作に不覚にもときめいてしまう。
美形は何をしても絵になって羨ましい。
「レーギスと話し合いました」
魔術士の様子を見守りながら、勇者はネイドの集中を妨げない程度の小さな声で話しはじめた。
王子の名を呼ぶ彼の表情は柔らかく、名前の後に敬称もつけていないところをみると、腹を割った話し合いが功を奏したようだ。
「レーギスは僕のことが、好き………でたまらないのに、僕を悲しませるようなことをして後悔している。本当にすまなかったと謝ってくれました。ムシのいい話かもしれないけれど、全て許して水に流して、僕の魔王討伐を手伝わせてくれないか、と。そう言ってくれました」
よほど嬉しかったのか、話しながらノクターンはニコニコ笑っていた。ラクリマの一件以来、暗い顔をしていることが増えた勇者だったから、彼が笑っていると私も幸せだ。
王子の申し出に対し勇者の返事は是。
雨降って地固まるで、例の事件が起きる前よりも心の距離が近づいたようだ。
しかし、恋をしているからなのか、最近のノクターンは無自覚に色気をふりまいているので、よりいっそうの警戒が必要だ。私も心を強く持たなければ、彼にハートを奪われてしまいそうだ。
私の場合は、別世界という越えられない壁があるため、一定の距離を置いた付き合いが出来ているので、うっかり惚れてしまう心配はないが。
住んでいる世界が違う。年齢差がある。文化も身分も違う。何よりアーラ以外目に入らない一途な彼に恋をするなんて不毛過ぎる。
現に今もレーギスは僕を好き、の言葉を発した辺りで、ノクターンが恥じらいのあまり目もとを潤ませ、白い頬をうっすらと赤く染めたのだが、そのあまりの可憐さに見惚れるを通り越して、ぶん殴りたくなった私は相当荒んでいるかもしれない。
別に自分がそういう可愛らしさを持ち合わせていないからと言って妬んでいるわけでは………。いや、嫉妬しているか。
こんな様子を間近で見せられたレーギスの理性がもつかどうか心配である。私は王子に深く同情した。
唐突に貘の身体の中から出現した紫色の強い光が、ぱっと画面の中を明るく照らし出した。
ハッとした私達が魔術士に視線を戻すと、紫に光る棒状のものを両手で頭上に掲げたネイドが、膝をつき肩を上下させてなにがしかの呪文を唱え続けている。
さすがの私も真剣なネイドの様子に軽口をたたく気にもなれず、勇者と一緒に固唾を呑んで、魔術士の足下に紫に光る魔法陣が敷かれ、魔術が展開していく様を見守った。
一時間ほどその状態で、貘から抽出した夢を劔の形に練り上げていたネイドは、美しいラベンダー色の光を放つその劔を魔術で作った鞘に納めた直後、石の床に崩れ落ちた。
「これが蘭夢の劔………」
完成した劔を腰に刷いた勇者は、冷たい床に倒れ伏している魔術士の痩せた体を抱き起こす。
「ネイドは大丈夫なの? まさか死んで………」
思わず青褪めた私に、ネイドの手首の脈をとっていた勇者は首を振った。
「心配いらないよ。ちゃんと息をしてる。魔力の使い過ぎで気絶しただけだと思う。きちんと休めば目を覚ますから」
「良かった」
いつも憎まれ口ばかり叩いている私だけど、魔術士のことは嫌いじゃない。彼の無事を聞いてほっと張り詰めていた息を吐いた。
それにしても、ネイドは細い。彼の手首は勇者の大きな手に余るほどの細さだったし、ローブ越しに見える身体の線は男性にしては華奢だった。
「ヤコさん。今日はありがとう。おかげで魔王を斃す劔が手に入った」
「ううん。私は何もしていないわ。ネイドが頑張ったから」
とりあえずそう言ったものの、未だに事の次第がよく分かっていなかったりする。ネイドの意識があったら、敏い彼のことだ。私の理解が及んでいないのに気付いて馬鹿にするに決まっている。
ネイドがおとなしいと物足りない。早く元気になればいいのに。
「そうですね。ネイドは一番の功労者だ」
「寝かせる場所はあるの?」
行き来が可能なら私のベッドを貸してもいいとさえ思ったけれど、おそらく無理だろう。
「うん。勇者が決戦の前にゆっくり休息をとる目的で作られた神殿だから、寝室もちゃんとある。久しぶりに屋根のある所で眠れます」
「じゃあ、早くそこでネイドを休ませてあげて」
「ふふふふ」
意識のないネイドを軽々と抱き上げると、ノクターンは含み笑いをもらした。
「なに?」
「ヤコさんとネイドって会う度に口論しているから仲が悪いのかと思っていたんだけど。心配いらなかったみたい」
こういうの喧嘩するほど仲がいいっていうんだよね?
口を開けて固まる私にいたずらっぽく片目をつむって見せたノクターンは、楽しげな笑い声を残して通信を切った。
お気に入りのバクのぬいぐるみを返してもらえなかったことにも気付かず、私は予想外のことを言われたショックで立ち尽くしていた。




