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ヤコのお悩み相談室  作者: 合歓 音子
本編 ー ナハト編 ー
6/25

伝線する闇

太ももからふくらはぎにかけて太い線が数本はしっている。

朝、ストッキングを着用した時には一ミリほどの穴だったのに、 たった一日で変わり果てた姿になってしまった。


もちろんスカートの時だったらすぐに新しいものと交換しただろうが、今日はパンツルックだったので大丈夫だろうとあえて放置した結果がこれだ。





魔女の脱落は勇者のパーティに綻びを生じさせた。

そのわずかな綻びがいくつもの亀裂を生む。まるで小さな穴がきっかけで伝線してしまうストッキングのように。




私がストッキングを眺めながら、ノン君達のことに考えを巡らせていると、後ろから小さな咳払いが聞こえた。


「ずいぶん色っぽい格好だね。俺を誘っているの?」

振り向かなくても分かる。こんな他人を小馬鹿にしたような喋り方をするヤツは一人しかいない。ネイドだ。

今日は金曜日。いつものように帰宅後すぐにパソコンの電源をオンにしたのを失念していた。

今の私はパンツもストッキングも脱いだ、いわば下着一枚のあられもない姿で。

私は悲鳴をあげ、とっさに今脱いだばかりのパンツを掴むと浴室に逃げ込んだ。

上を脱いでいなかったのは不幸中の幸いなのか。




急いでパンツを履いて自室に戻った私はニヤニヤした魔術士に迎えられた。


「今見たことは忘れて」

「無理」


ノクターンは後から来るのか、魔術士は夜の中に一人佇んでいた。

あんなみっともない姿を見られなくて良かった。同じ失態を見せるならノクターンよりもネイドの方が数倍マシだ。


「今日も屋外なのね」

「この辺りは魔物しか住んでいない。だから建物もないんだよ」


私がナハトと交信する場所はいつもパソコンのある自室だが、ネイドやノクターンは宿の一室から繋いできたり、屋外からだったりまちまちだった。

携帯電話の電波に似た"魔波"を送受信することによってナハトと私のいる世界を繋いでいる、というのがネイドの説明だが、携帯電話と同じく魔波が弱い場所では通信することが出来ないのだそうだ。

だから屋内でも屋外でも魔波が強い場所からの交信だったのだが。


ラクリマが離脱して以来、屋内から通信している様子がなかったのはそういうわけなのか。

ノクターンの話によると魔王の本拠地にかなり近い所まで来たらしい。それなのに、そんな場所で呑気に悩み相談などしていて大丈夫なのだろうか。

そう問うと、強力な結界が張ってあるから問題ないと答えが返ってきた。


こんな魔物がうようよいるような場所に人間が住めるわけもなく、宿どころか建造物が激減し勇者達も野宿が増えた。

決戦の時が近いのだ。





「ヤコさん。どうしたんですか。ぼうっとして。仕事が忙しいのですか?疲れていますか?」

またもや物思いに耽ってしまった私はノクターンの声によって現実に引き戻される。

ごめんと謝りながら勇者を見て絶句した。


勇者の装備は非常に簡素なものだ。白いシャツにピッタリしたパンツ。ロングブーツ。肩当てと胸当て。

兜と重い鎧は身に付けない。素人目にはかなり無防備に映る装備だが、ノクターンはスピード重視の攻撃を得意とするため、重装備をしてしまうと、却って素早い動きを封じられて攻撃力が下がるらしい。

心もとないように見えても、 ネイドの魔術で守りを強化しているから問題ないそうだ。


白みを帯びた銀の肩当てと胸当てはいつも不思議な光に包まれており、魔法に詳しくない私にも何らかの術がかけられている事が察せられた。


そんな勇者の肩当ての一部が欠損し、右肩下から脇腹にかけて包帯が巻かれ、シャツと包帯に鮮血が滲んでいる。



「ノン君………その怪我は」

情けないことに声が震えてしまった。彼らの旅が過酷であることは分かっていたはずなのに。死ぬこともあると理解していたはずなのに。

こうして負傷した姿を目にしたことがなかったものだから、ノクターンが血を流しているのを目の当たりにしただけで私は動揺した。

ネイドの首がこちらを向く。

「ヤコ………そんなことで泣かないの」

「泣いてない!」

すかさず言い返す。しかし危ないところだった。ネイドに言われなかったら、また泣いていたところだ。

気をしっかり持たなくては。当事者のノクターンですら泣いてないのに、第三者の私が泣くとか。このままでは年上の威厳が危うい。



「この傷はレオーが………レオーはラクリマを好きだったみたいで」

ノクターンは辛そうに言葉を濁した。


「ラクリマが出て行ったのはお前のせいだ、といきなり斧を振りかざして襲ってきたんだ」

ネイドが平坦な声で説明する。勇者が如何に強くとも仲間に不意打ちされたら無傷ではすまない。

危うく右腕を切り落とされそうになったところを仲間が応戦。側にいたネイドが戦士の動きを封じる魔法をかけて、王子が戦士を死なない程度に痛めつけて捕縛した。

ノクターンはショックで硬直していたらしい。



「僕がいなければこんなことには………」

「被害者が何を言ってるの!そんなのレオーの逆恨みでしょう。ちょっとネイド。ぼさっと突っ立ってないで、あなたも慰めなさいよ」

「勇者は悪い事が起きると、自分に非のないことでも、自分を責めて落ち込むから。俺にはどうしようもないよ」

両肩をすくめた魔術士は首を振ると、画面の隅に移動して傍観者をきめ込むつもりのようだ。


「ノン君。気に病むなと言ってもあなたの性格じゃ難しいだろうから、せめて、あなたが今感じていることを全て私に話して」

勇者は堰を切ったように話し出した。ラクリマへの想い。応えられない申し訳なさ。アーラを愛するからこそ、同じ想いをラクリマに抱くレオーの気持ちも理解出来るということ。


「もしもアーラ王女が僕じゃない誰かを愛して、その誰かのせいで泣いたら、僕はその相手を………害してしまうかもしれない」

それは勇者としてはあるまじき発言だった。

でも私はナハトの人間でなく、彼は私にとっては勇者でなく、ノクターンという名前のただの人間だったから、どんな告白も受け入れるつもりだった。

それにしたって勇者は潔癖すぎる。もっと身勝手でもいいのに。


「だからわざとレオーの攻撃を受けたの?」


ノクターンは目を見張った。その限りなく黒に近い藍色はどこまでも深く宇宙の深淵を覗き込んでいるような気持ちになる。

「さすがだな。ヤコさんは。僕がわざと避けなかったって分かっているんだね」

彼はふっと微笑った。見ている人間を不安にさせるような不安定な笑みだ。

「じゃあ、どうして僕がそうしたのかも知っているんでしょ」

私は耳と目を塞ぎたくなった。ノクターンはまるでネイドのような意地の悪い笑みを浮かべて私を見ていた。

「教えて?ね?」

ノクターンが近づいてきたけれど、私は蛇に睨まれた蛙のように動けなかった。手足はおろか指さえ動かせない。

実際、私達は同じ空間にはいなかったけれど、勇者が放つプレッシャーは重苦しく私を抑えつけた。


ノクターンがレオーの攻撃を避けなかった理由。それはラクリマをパーティから追い出したという彼の罪悪感を和らげるためだ。

攻撃を受け止めて肉体的苦痛を感じることで罰せられたと錯覚し、罪の意識を弱めることが出来る。

でもそれはあくまでも錯覚であって、ラクリマが離脱した事実を変えるものでもなければ、ラクリマの心痛を和らげるのに何の役にも立たない。ただの独りよがりだ。


「そうだよね。ヤコさんはいつだって僕の気持ちを分かってる。僕が誰にも知られたくないと思っていることも、みんな引き出しちゃうし……全部、僕の自己満足だってことも分かってるんでしょう?ね?いいんだよ、本当のことなんだから、正直に言っても」

いくら本当のこととはいえ、そんなひどいことを言えないし、ノクターンにも言わせたくない。

「ヤコさん。こっちに来て?

僕の考えている非道いこと。もっといっぱいある。僕は全然勇者になんか相応しくない。

ねぇ?こっちに来て全て暴いてよ!僕の醜い思いを全部!全部吐き出したら、勇者の僕に戻るから………ねぇ、お願い!」

駄目だ。行ってはいけない。

気持ちとは裏腹に私の身体はディスプレイにフラフラと近付いた。

ディスプレイの向こうの闇からぬっと腕が出てきた。

「ヤコさん……来て!」

両肩を掴まれて怪我人とは思えないすごい力で引き寄せられる。

私は全く抵抗出来ないでいた。いつかのように強い風が画面の向こうから吹きつける。

でもいつかの数倍恐ろしい。闇が、ノクターンが恐ろしい。でも抗えない。

このまま身体ごと引き込まれてしまうのか。諦めて目を閉じた。目頭が熱い。


「いい加減にしろ!」

怒声とともに両肩が解放される。何かが地面に叩きつけられる重い音がした。

助かったと思ったら張り詰めていたものが緩んだ。

「泣かないでって言ったのに」

暖かいものが私の目元を優しくぬぐう。目を開けると、心配そうに唇を歪めているネイドが思いのほか近くに見えた。私の涙をぬぐっていたのはネイドの親指で、彼の腕がディスプレイから突き出ていた。

ネイドは腕を引くと、親指をぺろりと舐めてしょっぱいと呟く。当たり前だ、というか何をしているんだネイドは。


ノクターンは地面に尻もちをつき、俯いて震えている。魔法か物理的にかどちらか不明だけど、ネイドに突き飛ばされたのだろう。怪我人なのに手荒くされて。怪我が悪化してないといいけど。

「僕は………僕は……なんてことを。ヤコさんごめんなさい」

確かに怖かったけれど相手はノクターンだ。彼はまだとても若くて、辛い出来事にどうしようもなく追い詰められていたのが分かるから、私には責められない。

私は笑った。ノクターンを安心させるべく。上手く笑えているだろうか。


「私は大丈夫。ちょっと怖かったけれど、傷ついてもいないし、死んでもいない。平気よ」

「ごめんなさい」

謝りの言葉しか知らない人みたいに彼は繰り返す。何度も何度も繰り返す。きっと今、彼は私だけじゃない、ラクリマやレオーにも謝っている。

だから私は彼の気のすむまで謝りの言葉を聞いていた。

「赦す、許すよ。だってノン君のことが大好きで大切だから。だからそれ以上自分を責めないで。ラクリマもきっと同じことを思ってる」

若き勇者は再び目を大きく見張った後、声を張り上げて泣き出した。


私はせめて彼の背中をさすってあげたいと思ったけれど不可能だったから、ネイドに頼んだのに断られた。

「じゃあこれで涙を拭いてあげてよ」

ハンカチをヒラヒラさせて上目遣いで懇願したら、ハンカチはふっと消え、ネイドの手の中に出現した。

しかしあろうことか魔術士はそれを懐にしまうと、代わりに自分のハンカチを勇者に押し付ける。ってギャグか。

「意味が分かりません」

抗議をこめて言ってやったら魔術士はしれっとのたまった。

「ヤコのハンカチをヤツに渡すわけがない。ヤコもいい加減学習したら?」

そう言えば、初対面の時にポプリを渡して以来、私の贈り物はことごとくネイドに奪われていた。

ノクターンは素直なので、もらった魔術士のハンカチで涙を拭きつつ、そういえばそうだね、なんて相槌をうっている。

被害者が納得してどうする。


「でもいいよ。物はもらえなくても僕はヤコさんの気持ちをいっぱい受け取っているから。だからいいんだ」

そう言って、ノクターンは涙のたまった目を細めて……ラクリマがいなくなって以来、初めての笑みをみせた。



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