常夜の世界
二度目に会った時、ノクターンはすでに勇者だった。
「ヤコさんが背中を押してくれたおかげです」
私がその決断を手ばなしで褒めると、彼は年頃の少年らしい照れをにじませて笑った。
普段は落ち着いていて、年齢よりも大人びて見える彼は、会話のあいまあいまで、そういった年相応の表情をのぞかせる。
その度に私は、彼がこの大役を、命を損なうことなく全うして欲しいと、つよく想うのだった。
ナハト。
ノクターン達が住む世界の名前だ。
ノクターンはある程度私の住む世界についての知識を持っていたが、私は全く彼らの世界について知らなかった。
彼らの世界には時間という概念もきちんとあるし、文明の違いはあれど、私達と同じ姿かたちをした人類が存在していたが、私達の世界にあってナハトにないもの。それは。
「太陽とはどんなものですか?月をもっとまぶしくしたものですか?それともランプを巨大にしたもの?
とても大きくて赤くて熱いものだとネイドは言っていましたが………」
「熱く燃える巨大な炎の塊よ。まぶしすぎて直視出来ない。裸眼で見たら失明してしまうぐらいのね。でも、私達の生活には欠かせないものなの」
そう。彼らの世界には太陽がなかった。朝があり夜もある。月の光も星灯りもある。でも朝でも昼でも世界は闇に包まれたまま。
常に北欧で言うところの極夜の状態なのだ。
だから彼らは日焼けもしない。初めて会った時、透きとおるような染みひとつない白い肌を羨ましく思ったものだが、そういう事情だと分かると、いちがいに羨ましいとも言えない。
野菜を育てても月の光だけではモヤシみたいなものしか出来ないから、きちんと人間が食べて栄養摂取が出来るぐらい肥えさせるには、魔法が不可欠なんだそうだ。
こちらの世界では魔法なしで野菜や植物が育つ、という話にノクターンは目を見開いていた。
私にとっては魔法が存在するという事実の方がよほどすごいと思うのだが。
「素晴らしいなぁ。太陽というのは本当に素晴らしいですね。全ての生物を育み、時には命を奪う。生殺与奪権を握っている。なんて大きくて畏ろしい。まるで神そのものだ」
私の拙い説明に熱心に聴き入った勇者は、目を輝かせて言った。私にしてみれば彼の瞳の方が下手な太陽よりもまぶしく命の輝きに満ちて見える。
「いいなぁ。たった一度。一度でいい。太陽をこの目で見ることが出来たら……」
「私達でさえ太陽の光を直視するのは危険なのよ。太陽のない世界に住むノン君がそんなものを見たら、一瞬で視力を失うわ」
私の言葉にノクターンは首を激しく左右にふった。
「それでも。僕は見たいんです。太陽を。その光を。それさえ叶ったなら、引き換えに失明したっていいんです。目が見えなくなっても、僕はきっと忘れない。その強烈で目を烙く神々しい光は生涯僕の脳裏から消えることはないでしょう」
のちにノクターンは思いがけない形でその願いを叶えることになるのだけれど、その時の私は知るよしもなかった。
ノクターンは勇者だ。勇者はナハトに害を成す魔王と呼ばれる存在を斃すもの。
昔プレイしたRPGに魔王の支配のせいで朝が訪れないという世界の話があったと思うが、ナハトではどうなのだろう。
問いを口に出すと、ノクターンは否定した。この世界に太陽がないのは元からの形であり、在りようなのだ。
魔王はそのことについては関与していない。
では魔王は具体的にはどんなことをして、ナハトやそこに住む人々に害を成すのか?
尋ねると、ノクターンはそっと首をふった。
「分からないのです。これまでの勇者は魔王が完全に発現する前に奴らを斃していましたから。ただ、もしも僕が失敗すれば………ナハトに魔王が降臨し、災厄を喚び、世界は紅く禍々しい炎と熱に包まれるだろう、と」
四百四十四年ごとに魔王は顕現する。同時期に魔王を屠る力を持った勇者が現れ、魔王は完全に降臨する前に勇者によって消し去られる。
気が遠くなる年月、数え切れないぐらい勇者と魔王は闘ってきた。
魔王がなぜ定期的に顕れるのか。その原因は分かっていない。
苦々しい表情で語った勇者は表情を一転させた。
「ごめんなさい。暗い話になってしまいましたね。魔王が出てくる原因が何であれ、僕が奴を倒さなければならないことには変わりがない。僕はがんばります。ヤコさん。僕の相談役よろしくお願いしますね」
暗い空気を払拭するようにノクターンは笑った。
そして私に旅の仲間を紹介してくれた。
一人目は斧を振り回し、戦場では獅子奮迅の働きをする屈強な戦士レオー。素手で虎と格闘し、打ち負かしたという武勇伝の持ち主だ。
二人目は地水風火の四大元素の魔法を操り、その華奢な身体からは想像も出来ないほどの力を発揮する博識な魔女ラクリマ。彼女が怒ると地面は割れ、嵐がきて、海は荒れ狂うという。
三人目は魔法にも剣術にも長けた万能な王子レーギス。たった一人で伝説の竜と闘い、その首をとったと巷では噂されている。
四人目は治癒魔法に長けた幸運な王女アーラ。彼女の強い運は死神すらも退け、彼女の参加した戦いには全て勝利の女神が微笑んだという。
四人目の幸運な王女アーラのことを話している時のノクターンの顔ときたら。黒々とした瞳はいっそう強く輝き、頬は薔薇色に染まり、声には今までにない力と熱が宿った。
『もしかしてノン君ってアーラ王女のことが好きなの?』
私はノクターンに気付かれないよう、声に出さずに口の動きのみでネイドに問いかけた。答えはもちろん是。
アーラ王女の話が他の仲間よりもだいぶ長かったのはご愛嬌か。
さんざん語って満足したのか勇者は最後の二人を簡単に紹介する。
五人目は勇者の幼なじみセレ。心優しく、いつもノクターンの身を案じている彼は戦う力を持っていないものの、先視の力、すなわち未来予知が得意だった。その的中率は100%。彼の予言は外れたことがなかった。
最後は私もよく知っている胡散臭い魔術士ネイド。彼の使う魔法に敵を直接倒す力はないが、空を飛んだり、異世界と通信したり、仲間の能力を一時的にあげたり、索敵や瞬間移動など補助的なものに特化している。使い方次第で強力な助けになるはずだ。
魔王が発現すると言われている場所、紫宮に辿り着くためには、道無き道をゆき、途方もない距離を移動し、立ち塞がる数多の魔物を倒す必要があった。
でも心強い仲間がいるから大丈夫。私はそう思ってホッと胸を撫で下ろしたし、ノクターンだって彼らのことは頼みにしていただろう。
それがどうしてあのような事件が次々と起きたのか………私には分からない。