光と影の魔術士 ー 前編 ー
矛盾点があったり、魔王と勇者が平等でなかったり、ご都合主義だったり、好き勝手に書いているので、そういうのがもやもやする方は回れ右して下さい。
オランダの画家で光の魔術師と呼ばれるレンブラントが光を表現するためにとった手法は、画面全体を闇で覆い、明るくしたい対象物にスポットライトをあてる、というものだった。
周囲の闇が深ければ深いほど、光の眩しさがより際立つ。
まるで双子のように。
ナハトの勇者と魔王のように。
光と影は表裏一体であり、互いの存在の強さが共鳴し影響し合うのだ。
私はワクワクしながら、手元のチラシを読んでいた。
"光と影の画家たち"
と印字されたそれには、オランダの画家レンブラントの作品"夜警"がプリントされている。
これから小夜と一緒に行く予定の美術館にて、期間限定で展示されているもので、今回のイベントの展示物の中でも目玉となっている作品だ。
小夜はあまり出歩くのが好きではないらしく、付き合い出して一年近く経つのに、こうして二人で出かけたのは両手で数えるほどだ。
私たちのデートというと、お互いの家を訪問して、特に何をするわけでもなく、ただ同じ時間をゆったりと過ごす、というもので、想夜からは"結婚もしていないのに、二人は既に熟年夫婦のようだ"とよくからかわれる。
久々の自宅でないデートということもあって、私はお気に入りの淡いラベンダー色のワンピース(小夜との再会時に着ていたのと同じものだ)の上に濃紫のボレロを羽織り、同系統の紫のサンダル(この日のために買ったもの)を履き、お化粧もいつもより念入りに行い、気合充分で待ち合わせ場所に立っていた。
熟年夫婦と揶揄されるぐらい、私たちの間には慣れ切った惰性にも似た空気が流れていたから、こういうトキメキに似た高揚感を味わうのは久しぶりだった。
小夜をデートに誘って承諾をもらうためには場所を選ばなくてはならない。
公園のサイクリングコースでデートをしようと誘ったら断られ、遊園地に行こうと提案したら渋い顔をされたことを思い出し、私は苦笑した。
「ごめんね。僕が小夜に代わって謝るよ。
小夜は自転車に乗れないし、ジェットコースターも観覧車もお化け屋敷も怖がるんだ。
苦手なものが多いだけで、別にヤコとのデートが嫌だというわけじゃないんだよ。
だからそんなに悲しい顔をしないで」
私ががっくりと肩を落とすと、たまたま小夜のマンションに遊びに来ていた想夜が申し訳なさげにフォローを入れてきた。
「想夜! お前、余計なこと言うな!」
小夜は顔を真っ赤にして怒鳴る。
「だって本当のことを言わないと、ヤコが落ち込むだろう? 小夜のプライドを守るためにヤコを悲しませるわけにはいかないよ」
聞き分けのない子供に言って聞かせるかの調子で想夜は言い、ね、と私に同意を求めた。
想夜の告白を断った今でも、彼は私の友達でいてくれるし、小夜の配慮が足りない部分はこうして補ってフォローしてくれる。
本当に彼には感謝してもしきれない。
早く彼にも可愛い彼女が出来るといいと思う。
小夜はインドア派なので室内の方がいいかもしれない。ちょうど見たかった絵画が来日していることを思い出した私は、たまたま持っていた案内チラシを差し出して、美術館デートを切り出す。
しかし小夜の反応は冷たかった。
「美術館は混むだろう。しかもそのイベント。人気画家ばかりじゃないか。人混みは嫌いだ」
「なによそれ。行ける場所が全然ないじゃない」
「別に無理して出かける必要はないだろう。いつもみたいにゆっくり俺の家で過ごすか、ヤコの家で過ごすかすればいいじゃないか」
「もう。いつもそれじゃあつまらないでしょう。小夜は私と外出したくないのね………」
あれこれ文句をつけてデートに付き合ってくれない恋人のつれなさに、涙が出そうだ。
しかし小夜は手元の研究書に目を落としたきりで、こちらが泣きそうになっていることなど気にしもしない。
「へえ。レンブラントにフェルメール、カラヴァッジョにラトゥールか。僕の好きな画家ばかりだね。いいな」
眉をしかめて黙り込んだ私をちらりと見た想夜は、私の手からチラシをそっと抜き取ると、取りなすように明るく言った。
しかし小夜は全く反応しない。手にした本のページをぱらぱらとめくるだけだ。
自分の専門分野にしか興味のない研究馬鹿なんだから。
「じゃあヤコ。僕と一緒に美術館デートしようか」
思いも寄らない想夜の提案に、私は目を丸くした。
「一人で行くのは寂しいよ。小夜が行かないと言ってるんだから、僕が一緒に行っても問題ないよね?」
「ありがとう。じゃあノン君の好意に甘えようかしら」
小夜の手から研究書が落下する。とても分厚い本だったために、恐ろしく重い音がした。足の上などに落としたら骨が砕けそうだ。
「待て! 想夜。俺は行かないだなんて一言も言っていない。ただ人混みが嫌だと言っただけだ! 勝手に決めつけないでくれ」
想夜から美術館の案内チラシを奪うと、小夜はようやく私の方を向き、がしっと両手を掴んでテーブル向かいから身を乗り出してきた。
「ヤコ! 君も君だよ。連れ合いである俺を差し置いて想夜とデートするなんてどういうつもり? 美術館には俺が一緒に行くから。ヤコに拒否権はないから。いいね」
いいもなにも、はじめに誘いを断ったのは自分じゃないか、と思ったが、それを言うと小夜が拗ねそうだったので、私は呆れつつも頷くにとどめる。
そんな私に想夜は優しく微笑んで、片目をつぶってみせた。
想夜の配慮のお陰で小夜と美術館デート出来ることになったのだ。
フェルメールが好きだと言っていたから、いつもお世話になっているお礼もかねて、複製画をお土産に買って行ってあげたい。
想夜ばっかりずるい、と小夜がヘソを曲げたら、彼も巻き込んで共同でプレゼントするのもいいかもしれない。
色々想像しながら忍び笑いをもらしていると、後ろから肩を叩かれる。
待ち人が来たのかと思い、満面の笑みで振り返ると、そこには見知らぬ男性が立っていた。
途端に警戒態勢に入った私の目の前に、男性はおもむろに写真を差し出す。
覗き込むと、そこには髪をツインテールに結った就学前と思しき娘さんが写っている。
「この娘、可愛いでしょう。俺の愛娘なんだけどさ」
私はまじまじと写真と男を見比べてしまった。確かに可愛いが、それがどうしたというのか。
この男の意図が分からない。可愛い娘を他人に自慢したかったのか。
私が警戒を緩めないまま後ずさると、男は近寄ってきた。
「君、俺と一緒にこの娘を育てない?」
「は?」
思い切り怪訝そうな声が出てしまった。全く意味が分からない。
男はにやりと笑うと、胸を張って得意げに告げた。
「この娘のお母さんすなわち俺のお嫁さんになってということだよ」
あまりの言葉に私は絶句した。なんで私は見ず知らずの相手にプロポーズされているんだろうか。
硬直する私に向かって男が腕を伸ばしてくる。
ふいに私と男の間に入った影が、素早く不埒な腕をはじいてくれた。
「無断で俺の連れ合いに触らないでくれる?」
「小夜!」
「馬鹿じゃないの。なんで抵抗しないんだよ」
私を背に匿いながら、小夜は男を睨みつける。
いつもより頼もしく見えるその背中に擦り寄ると、なだめるように頭をぽんぽんとしてくれた。
「彼女に何の用? 事と次第によっちゃあ、そこの交番まで付き合ってもらうことになるけど?」
「なんだ。相手がいたのか。じゃあいいや。他を当たることにするよ」
男はあっさりと引き下がる。
「またね、可愛い子ちゃん」
去り際に投げキッスをよこし、捨て台詞を吐くと男は立ち去った。
「馬鹿ヤコ!」
呆然と遠ざかる男を見ていたら、頬をつねられた。
「どうしてぼーっと突っ立ってるの! 何処かへ連れ込まれたらどうするんだよ! ヤコは隙があり過ぎる。もうちょっと警戒心を持ってくれよ」
「うん。ごめんね。予想外の展開でとっさに反応出来なくて。小夜が来てくれて心強かったわ。ありがとう」
素直に謝り"かっこ良かった"と付け加えると、説教モードに入ろうとしていた小夜はうっすらと頬を染めた。
毒気を抜かれたかのように息を吐く。
「本当の本気で気をつけてくれよ。こっちの人間もそうだけど、ヤコは変なのに好かれやすいんだから。油断してまた異世界に引きずりこまれないようにしてよ。
引きずり込んだ前科のある俺が言うのもなんだけどさ」
「異世界ってナハト以外の?」
「そう。平行世界とも言うけど。ヤコみたいにそういう世界への親和性が高くて、ぼやっとしたのなんて格好のエサだから。
常に警戒していて、妙な気配を感じる場所には絶対に近づかないぐらいでちょうどいいんだよ。
俺が側にいればさっきみたいに助けられるけど、一人の時はどうしようもないから」
「分かった。気をつける」
真剣な顔で頷くとようやく安心したのか、小夜は表情をゆるめてふっと笑った。
自然な動作で私の右手を取ると、甲の痣に唇を押し付けて軽くリップ音をたてて吸う。
「まぁ、いざという時はこの蘭からヤコの気配を辿って迎えに行くけど」
「その"いざという時"が来ないように祈ってるわ」
小夜のいない所で見ず知らずの世界に連れ去られるなんてゾッとする。私は鳥肌のたった腕をさすった。
まさしくこの話をした数時間後に小夜の予言した通りのことが起きるのだが、幸か不幸かこの時の私はそんな事に気付きもしなかった。
休日で人がごった返す公園。さりげなく私を庇いつつ、小夜は嫌そうな表情で人混みをかき分けて道を作ってくれる。
公園の奥にある美術館に向かってゆっくり進んでいると、小夜が急に立ち止まった。
いぶかる私の腕を掴んで人の流れから外れた場所にあるベンチまで引っ張ってくる。
「足」
「え?」
「歩き方が変。足、見せて」
見ていないようで本当によく見ている。
さすがに痛くて歩くのが辛くなってきていたので、素直にサンダルを脱ぐ。
おろしたてなのが災いしたのか、右足の踵の皮がべろりと剥けて赤くなっていた。
履き慣れない新品のサンダルを履いてきてしまったことを悔やんでも後の祭りだ。
「馬鹿! なんでこんなになるまで黙ってるの」
また怒られた。小夜の沸点は元々低い方だと思うが、それにしたって今日はよく怒られる日だ。
私はバッグを探った。
「絆創膏貼るわ」
「貸して。俺が貼るから」
遠慮する私から強引に絆創膏を奪ってひざまずいた小夜は、優しい手付きで傷に響かないようにそっとそれを患部に貼りつけてくれた。
「靴買おう」
「でも美術館は」
「そんな足じゃまともに歩けないし、我慢して履き続けたら傷が悪化して歩けなくなる。別に美術館は逃げないんだから、靴を買ったらまた戻ってくればいい」
「せっかくここまで来たんだし、美術館の後でもいいわよ」
「駄目」
その場で押し問答すること10分。最後は靴を買わないと美術館には行かない、と言い張る小夜に私が押し負けた。
人混みを逆行して公園入口まで戻ることを考えて渋い顔をしている私に、ほら、と小夜が腕を私に突き出す。
「足痛いんでしょう。支えるから腕を組んで」
「それはちょっと恥ずかしいわね」
今までそういう機会がなかったせいか、人前で手を繋いだり、腕を組んだりするのは抵抗がある。
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ」
強引に腕を絡めると、小夜はさっさと歩き出す。
特に照れる様子もなく、駅近くのデパートまで自然な動作で私をエスコートしてくれた。
これまで小夜は私以外の女性に見向きもしなかった、とは想夜の談だが、こうもスムーズにエスコートされると、やっぱり私以外の女性とも付き合ったことがあるんじゃないかと疑念がわいてきて、胸がもやもやした。




