朝と夜そして向日葵 - 後編 -
「お久しぶりね。セレナーデ改め小夜。こうしてお互いに元気な姿で会えて嬉しいわ」
こうなったら仕方がない。既に覚悟は決めてきた。
この後、小夜がどう出るか予測がつかないが、私は大丈夫だと確信している。
なぜなら小夜の側には朝ちゃんがいるから。
私は壁にかかった向日葵のタペストリーを見た。朝ちゃん。力を貸してね。
「ヤコ!」
椅子を蹴倒す勢いで立ち上がると、テーブルの向こう側から回り込み、小夜は抱きついてきた。急すぎて避ける間もなかった。
勢いがつきすぎて彼の体重を支えきれず、後ろによろける私を想夜が受け止めてくれる。
「小夜。いきなり危ないだろう。ヤコが怪我をしたらどうするんだ」
「邪魔するなノクターン。ヤコから離れろ」
小夜は私に抱きついたままで、顔だけ上げて想夜を睨みつけた。想夜は好戦的な表情で小夜を睨み返す。彼にしては珍しく本気で怒っているようだ。
「それは僕の台詞だよ。ヤコは………夜子は僕のお嫁さんなんだから。お前には朝子さんがいるだろう。むしろ離れなければならないのはお前の方だ。小夜」
夜子は僕のお嫁さん。
大好きな私のお婿さんの一言に、頬が熱くなる。その言葉がじわじわと私の中に浸透してくると、身体中がぽかぽか暖まってきた。
「今の話は本当なのか………ノクターンとヤコが結婚するって………そんな。俺の知らない内に……そんなこと、ゆるさない」
そんな暖かさに水をさすような呟きが聞こえて、背筋に冷やりとしたものがはしる。
小夜の腕から力が抜けて、ずるりと床に座り込んだ。その目は虚ろでこの世ではない別世界を見ているようだ。
「うそだろう。ヤコ………嘘だといってくれよ! ヤコ!」
急に立ち上がった小夜に両肩をつよく掴まれた。
その必死な様子と私にすがる姿はセレナーデを彷彿とさせる。
セレナーデの孤独とかなしみが掴まれた肩ごしに痛いほど伝わってくる。
胸が痛い。
目を閉じると、溜まっていたかなしみが溢れてひとすじ頬を伝った。
「いい加減にしろ!」
私の両肩を戒めていた小夜の拘束が外れて、代わりにぬくもりが優しく私を包んだ。
「泣かないで、ヤコ」
そっと涙を拭ってくれる優しい指の感触。
目を開けると、触れそうなほどすぐ近くに心配げな想夜の顔があり、私を庇うように彼が前に立ってくれていた。
想夜によって私から無理矢理引き剥がされた小夜は、少し離れた場所で呆然とした表情で尻もちをついている。自分の身に何が起こったのか分かっていないようだ。
こんな状況だというのに、私は笑ってしまった。だってこのシチュエーション。
想夜と小夜の立場は逆転していたけれど、全く同じことが過去にあったことを思い出したのだ。
あの時に絶望していたのはノクターンだった。そして今、ノクターンのように絶望する小夜がいる。彼のことはセレナーデと呼ぶべきなのかもしれないが。
だったら私のすべきことは一つしかない。
「想夜。ごめん。私、貴方との約束を一つ破るわ」
「ヤコ? それは一体どういう………」
「悩み相談室よ。小夜の、セレナーデの思いの丈を全部吐き出させるわ。それで今の彼が必要としている言葉を伝える。
かつてナハトで私が貴方にしたように。
ごめんね。貴方以外の人の悩み相談に乗らないと約束したのに守れなくて。
でもこれで本当に最後にする。約束するから。
だから想夜。お願い。私と小夜を二人きりにして」
はっと想夜が息をのんだ。少しの沈黙ののち彼は淡く笑った。
「ヤコはもう決めてしまったんでしょう。僕がいくら止めたって無駄なんだよね」
「うん。ごめんなさい。でも大丈夫。絶対に想夜の所に戻ってくるから。私を信じて。私の帰る場所は貴方のいる所だけよ」
最後にぎゅっと私の身体を抱いて、"信じてるから"と囁くと想夜は私から離れ、リビングの外に出る扉に手をかけた。
「あと、朝ちゃんが戻ってきそうになったら阻止して。絶対にリビングには入れないで」
「……難しい注文だよ。それ」
「大丈夫。ノン君はやれば出来る子です」
「他人事だと思って。でも何とかやってみるよ。小夜のこんな姿、朝子さんには絶対に見せられない」
「ありがとう。 私の想夜。愛してる」
冗談めかして告げ、ドアの前に立っている想夜に向けて投げキッスを送った途端、彼の顔どころか耳や首までもか瞬時に赤く染まった。
「もう! ヤコ! 君って人は最後の最後に爆弾を落として。後でたっぷりとお返しするから……覚悟しててよ」
意地悪な笑みを浮かべた想夜は、とんでもない捨て台詞を残して扉の向こうに消えた。
後には返り討ちにあって赤面している私と、魂を彼方へ飛ばしている小夜が残された。
さて。ヤコさん最後のお悩み相談室を始めるとしましょうか。
「小夜……セレナーデ。大丈夫? 怪我していない」
気持ちを切り替えて、ずっと床にへたりこんだままの小夜に呼びかけるも、返事がない。
「小夜?」
近寄って肩を揺すろうと手を伸ばすと、その腕をいきなり捕らえられ、ぐいっと抱き寄せられた。
もがいて束縛から逃れようとするが、力でかなうはずもない。
「いま全部思い出したよ。俺はヤコの生きている世界に転生出来たんだ。
そして転生したのは俺だけじゃない。ノクターンのやつも一緒に………。
でもヤコは気付いたらもうアイツの物なんだな……おれの。俺の! 知らない間に!」
「やっ。ちょっと、小夜、痛い。くる、しい」
「ヤコ。ヤコ。夜子、夜子。好き、好き、好きだ。俺はここにいる。ヤコの側にいる。頼むから俺を見て。ノクターンなんかじゃなくて、おれを……お願いだ」
「くっ…苦しいってば。やめて、小夜」
本気で絞め殺されるんじゃないかと思うぐらいの強すぎる抱擁。
何度も私の名前を呼んで、最後には激しく泣き出した小夜を前に私はどうしたらいいのか、分からず途方にくれた。
想夜や朝ちゃんのことを思ったら、抱きしめ返すことも、彼の涙を拭うことさえ出来なかった。
しばらくして緩慢な動作で身を起こした小夜の目に暗い光が宿っているのが見えて、まずいと思った。
「夜子………。ヤコ。どうして俺を拒むの。どうしてアイツと結婚するの。俺のこと、嫌いになった? 俺にはヤコしかいないのに。やっぱりノクターンのやつを………こんなの悪い夢だ」
切なく震える小夜の手が私の頬に当てられる。
急に記憶が戻ってしまって小夜は錯乱しているのだ。
もはや自分がセレナーデなのか小夜なのか分からなくなってしまっている。
先ほどから想夜のことも"ノクターン"としか呼んでいない。
「そうね。貴方は悪い夢を見ているのよ。安心して。いますぐ目を覚ましてあげるから」
私は頬にかかった小夜の手をぐっと掴む。いきなりのことで反応出来ない小夜の手に、ノクターンにしたように思い切り噛み付いてやった。
呻き声を上げ、手を押さえて苦悶に顔をゆがめた小夜から素早く離れる。武器。何か武器になるものは。
小夜はすぐに復活して、暗い瞳で私を睨んだ。私はとっさにテーブルの上の花束を掴み、立ち上がってこちらに向かってきた小夜から逃れようとするが、リビングの広さにも限りがある。
あっという間に壁際に追い詰められ、両側に手をつかれ、逃げられないようにされてしまう。
「バカなヤコ。ノクターンをここから出さなきゃ良かったのに。誰も君を守ってはくれないよ。大人しく俺に捕まるしかない」
花束では武器にはならないが、ないよりはマシだ。
近づいてくる小夜の顔に私はお祝いの紫陽花を叩きつけた。
「小夜。紫陽花が七変化って呼ばれているのは知っている? 紫陽花の花言葉は変節。
紫陽花の色と同じで人の心は変わる。変化するの。
確かに夜子はかつてはセレナーデが好きで、セレナーデは夜子が好きだったかもしれない。
でも今は違う。もう私の心は想夜のものだし、小夜にだって朝ちゃんがいる。
赤から青に変わった紫陽花はもう二度と赤には戻らない。
私たちは未来に進むしかないのよ」
小夜は一瞬動きを止めたものの、黙ったまま私たちの障壁となっている紫陽花の花束を奪って放り投げた。
せっかくの人の気遣いを投げ捨てるなんて。もう許さない。
私の堪忍袋の緒は完全に切れた。
「いい加減にしなさい!」
間近まで迫ってきた小夜の頭に思い切り振りかぶったゲンコツを振り下ろす。間髪入れず更に一発。
小夜は言葉もなく頭を抱えて突っ伏した。
「どう? 堪えたかしら。まだ足りないなら大サービスで昔のよしみで何発でも殴ってあげるわよ」
どうもエヴァンジェリンの一件以来、私は暴力的になった気がする。
フェイや小夜みたいにヘタレている男性を見るとつい拳がうずくというか。
ちなみに想夜にはこの拳をふるったことはない。
出来すぎた恋人である彼に拳は不要なのだ。
「いい? 貴方はセレナーデでなくて小夜よ。
いつまでもセレナーデの亡霊に囚われるのはやめなさい。
確かにセレナーデは貴方の一部なのは認める。でもこれまで小夜としてずっと生きてきて、その過程の中で朝ちゃんを好きになったんでしょう。
これまでの小夜としての人生と朝ちゃんのことをなかったことにするなんて私は絶対に許さない」
向日葵のタペストリーを見る。朝ちゃん。
そうだ。私は大事なことを忘れていた。朝ちゃんはずっとここにいて小夜を見ていたのに。
「向日葵のタペストリー。朝ちゃんがどうしてこれをかけたか小夜は知っている?」
「アサが………?」
小夜が顔を上げた。朝ちゃんの名前は効果てきめんで、彼の瞳にわずかな光が灯ったのが分かった。
「"小夜君は私の太陽で私は向日葵なの"
朝ちゃんがそう私に話してくれた。
朝ちゃんは、向日葵になって、小夜を見つめて、追いかけ続けていたいってそう言っていたのよ」
小夜の動きがぴたりと止まった。
朝ちゃんの存在がセレナーデに支配されつつあった小夜を呼び戻してくれたのだろう。
彼の瞳には理性の光が戻ってきている。
私を閉じ込めていた小夜の腕が力なく垂れた。
どうやら危機は去ったようだ。私はほっと息を吐くと、小夜の目を睨みすえながら締めくくった。
「朝ちゃんはものすごくいい娘よ。小夜にはもったいない。朝ちゃんを泣かせたら私が貴方をぶん殴って正気に戻してあげるわ」
潤んだ瞳で私を上目遣いで見た小夜は"もうすでに二度殴られて、噛みつかれてるんだけど"と不満げにつぶやいた。
その眼差しは小夜のものに戻っており、セレナーデの狂気は大人しく影を潜めているようだ。
「あのまま進んでいたら朝ちゃんも想夜も悲しませることになっていたんだから、殴られて当然です。
とは言っても小夜もいきなり色々思い出したから混乱したんでしょ。
セレナーデの記憶と向き合うのは大変だと思うけど頑張って。
大丈夫よ。小夜には朝ちゃんがついてるんだから」
じっと私を見つめていた小夜はふっと息を吐いてごめん、と謝ると再び私を抱きしめた。
まだ殴られ足りないのかと身構えた私だけれど、"これが最後だから"と切なげに言われてしまい抵抗出来なくなる。
まだまだ私も甘い。
「ヤコ。あの頃と比べるとずいぶんと綺麗になったよな。
やっぱり想夜のため……なんだよね。
俺じゃなくて想夜がヤコをこんなにも綺麗にしたのかと思うとすごい悔しいけど………。でも」
"ヤコは幸せなんだね"という小夜の小さな呟きを強く肯定すると、小夜は私を抱いていた腕の力をゆるめた。
「そっか。ヤコが幸せならそれでいいや」
「いいやじゃないでしょ。小夜も朝ちゃんと幸せになるの。約束よ」
「約束か………。ヤコとの約束は絶対に破れないもんな。うん。分かった。アサと二人で幸せになる。約束だ」
ナハトでしたのとは全く違う約束。
約束の内容ががらりと変わったのと同時に、今後の私たちの関係性も大きく変わる。
小夜は私が以前突き返した胡蝶蘭のブーケを手にとると、私に向かって差し出した。
「想夜はきっと待ちくたびれてる。これを持ってさっさと嫁に行ってしまえ!」
今度は私も心穏やかにブーケを受け取ることが出来た。
「うん。ありがとう。それと小夜。改めて結婚おめでとう」
今さら馬鹿じゃないの、と言いながらも小夜は照れくさそうに笑った。
「夜ちゃーん! いいワンピース見つかったよー!」
タイムリミットだ。
マイペースな朝ちゃんはようやく探し物を見つけたみたいだ。
ブーケを左手に部屋から出ようとした私の右手を小夜がいきなり掴んだ。
抵抗する間もなく引き寄せられ、かつてネイドがつけた紫の痣のある部分に口付けを落とされる。
魔術士のようにニヤリと笑った小夜の頭を私は容赦なく叩いたのだった。
「夜ちゃん。見て見て。いいワンピースでしょ」
「アサ!」
「きゃっ。小夜君ちょっと……」
彼女の手からワンピースが床に落ちた。
私に胡蝶蘭のブーケを渡してくれた時にはいつものドライな小夜に戻っていたのに、朝ちゃんの顔を見た途端にその強がりは崩れた。
アサ、アサ、と名前を呼んで抱きついてきた彼を彼女はふんわりと受け止めて、優しく包む。
「小夜君。どうしたの? 悲しいの?」
「ううん。すごく寂しいんだ。ただそれだけ。ねぇアサ。俺たちこれからもずっと一緒だよな」
「もちろんずっと一緒だよ」
「アサ。大好き」
「ふふふふ。珍しく甘えん坊だね。でもそんな小夜君も好きよ」
私と想夜は顔を見合わせると、そっと靴をはき、そっと玄関の扉を開けて外に出た。
いまだ恋人同士の初々しさを失わない二人は、帰ろうとしている私たちに最後まで気付かなかった。
二人の邪魔をするのも悪いので、想夜は小夜の携帯に、私は朝ちゃんの携帯に、それぞれでお礼と黙って場を辞したことの謝罪のメールを入れた。
紫陽花の花束も駄目にしてしまったし、次回お邪魔した時に改めてお祝いを持って行こう。
私たちは日が暮れかけた雨上がりの湿った道をゆっくりと歩いた。
夕陽で赤らんだ空には虹がかかっていた。
「本当に良かった。ヤコが小夜と二人きりでリビングにこもった時はどうなることかと思った」
「心配かけてごめんね。もう小夜は大丈夫よ。想夜と早く一緒になれってブーケもくれたわ」
私が胡蝶蘭のブーケを掲げると、想夜は目を細めて私の好きないつもの優しい笑みを浮かべた。
「ヤコ。それ貸して?」
「どうぞ」
想夜は立ち止まると、虹を背にして真剣な顔で貫くような視線で私を真正面から見つめる。
「ヤコ……いいえ。四聞夜子さん。どうか僕のお嫁さんになってください」
そして胡蝶蘭のブーケをゆっくりと差し出した。
夕陽に赤く縁取られた彼の立ち姿はとても綺麗で、こんな綺麗な人が私のお婿さんになってくれるなんて、なんて幸せなことだろうと思った。
「ありがとう。想夜。あなたのお嫁さんにしてもらえるなんて、私は幸せものです。どうか末長くよろしくお願いします」
私は胡蝶蘭のブーケを受け取ると、勢いよく想夜に抱きつき、彼はしっかりと私を受け止めてくれた。
私たちの頭上には大きな虹がかかっていた。
その後、私がワンピースを着替えていないことに想夜が気づいてしまった。
小夜邸に戻ると言い張って聞かなかったので、帰路の途中にあるデパートに寄って、彼の気に入ったワンピースと婚約指輪をプレゼントしてもらったのだがそれはまた別の話である。
紫陽花 別名 七変化
花びらが四枚あることから"よひらの花"
四は夜子・朝子・想夜・小夜の四人
花言葉 辛抱強い愛情 変節 浮気 移り気
向日葵 別名 太陽花 日輪草
花言葉 あこがれ 熱愛 愛慕 光輝 ずっとあなただけを見つめています
胡蝶蘭 別名 花嫁の花
花言葉 幸福の飛来 あなたを愛します 変わらぬ愛 清純
勇者エンドのお話はこれで完結です。
お付き合いいただきありがとうございました。
魔王エンド後のお話もそのうちに増えるかもしれません。




