千夜一夜 ー 想夜編 ー
アラビアンナイトにあらず
矛盾点があったり、魔王と勇者が平等でなかったり、ご都合主義だったり、好き勝手に書いているので、そういうのがもやもやする方は回れ右して下さい。
「僕が一夜で小夜は千夜。小夜は千夜どころか気の遠くなるぐらいたくさんの夜をヤコを想って越えてきたんだ」
千夜一夜(想夜編)
金曜日の夜、三人で遊ぶ約束をしていたのに、約束の日、小夜は来なかった。
「最近、卒業論文にのめり込んでて、すごいんだ。寝食忘れるから、食事だけは採らせるようにしているんだけど、たぶんほとんど寝ていないんじゃないかな」
がっかりする私に申し訳なさげに告げた想夜は、僕だけだけど我慢してね、と私に両手を合わせた。
我慢なんてとんでもない。むしろ彼の相手が私で申し訳ないぐらいである。
予約していたイタリアンで食事をして、食後のワインを軽く頂きながら談笑していたところ、唐突に想夜が観覧車に乗りたいと言い出した。
貴様。私が高所恐怖症と知っての狼藉か。
「ヤコと一緒に夜の観覧車に乗りたいんだ。だめ?」
観覧車と聞いて一瞬引きつった私の顔を、覗き込んで上目遣いで見る想夜。心なしか目が潤んでいるような。
その捨て仔犬みたいな表情やめて。
想夜にこんな顔をされたら断れない。もちろんいいよ、という返事しか私には選べなかった。
ディナーの後、彼に連れて来られた公園。
ここの観覧車は日本一滞空時間が長い観覧車として知られている。行って帰ってくるまでがなんと30分もあるのだ。
何の拷問かと思うが、了承してしまったものはしょうがない。
チケットを購入時、財布を出そうとすると、その手をぎゅっと握られた。
「誘ったのは僕だから奢らせて」
学生さんに奢られるわけには、いやここは誘った方が出すべき、と二人で数分押し問答をしたのち、私が気負けした。想夜の悲しそうな表情に私が耐えられなかった。
今日はカップルデーだからと割引してもらった上、ペアのハートのストラップまで頂いた。
なんだか騙しているみたいで申し訳ないので、カップルじゃありません、と正直に言いかけた私の口をすかさずふさぐ想夜。ありがとう、と爽やかにお礼を言って受付のお姉さんを惚けさせた後、ぐいっと腰に手を回しゴンドラまで私を連行した。
エスコートする手付きが強引でやや荒っぽい。紳士で優しい彼にしては珍しい。もしかして怒っているんだろうか。
見上げて表情をうかがうと、お姉さんに向けていた笑顔は既に消えていて、何を考えているか分からない無表情がそこにあった。
初めて見る表情に私は言葉を失う。
想夜は乗り場まで無言を貫いた。
ゴンドラを見て、私は悲鳴を上げる。
「なんで透けてるの!?」
ここの観覧車には滞空時間の他にもう一つ売りがある。籠が全てシースルーであり、365度景観を楽しめる、というものである。
夜であれば足元にイルミネーションが広がるので、ロマンチックだとカップルに人気らしい。
確かに粋なはからいである。あくまでも高所恐怖症の人間を除いてだが。私にしてみれば余計なことをするな、という心境である。更に怖くしてどうする。
乗る直前に足が止まってしまった私の背をトンと押すと、想夜は一言も喋らないまま観覧車に乗り込む。恐怖におののく私をよそに、扉は閉まり、ゴンドラはゆるやかに上昇をはじめた。
ああ。地上が遠のいていく。見なければいいのに、つい足元に目をやってしまい、全身に鳥肌がたってしまった。向かい側に座る想夜がやけに静かで、その沈黙が不気味だった。
「僕と恋人に間違えられるのはいや?」
ずっと口をつぐんでいた想夜は、硬い声と表情でそんなことを尋ねてきた。
「そんな! 嫌ってことはないよ。絶対ない。ただ嘘はよくないと思って」
嘘という言葉に彼はぴくりと左の眉を上げた。どうしよう。想夜が怖い。彼に対してこんなことを思うのは初めてだ。
籠は順調に頂上目指して昇っている。正直、そちらも怖くて、私は気もそぞろになる。しかし想夜はそんな私の様子には気付いていないようだった。いつもは私の感情に敏感で、まめにフォローを入れてくれるのに。それだけ余裕がないということなのだろうか。
「嘘………ね。僕は再会した時から、ずっと君に交際を申し込んでいるはずだけど。ヤコが頷けば、僕達は恋人同士。嘘じゃなくなる」
想夜は覚悟を決めた真剣な顔になると、立ち上がり私の隣に移動してきた。
馬鹿。動くな。動くと揺れる。落ちたらどうしてくれるの。怖い。
思わず目をつぶった私の唇に何かがそっと触れてきて、恐怖が吹き飛んだ。この柔らかい感触はなに。
目を開けると、驚くほど近くに目を閉じた想夜の顔があって、私の唇に重なっているのは彼の。
瞬間、私は頭が真っ白になり、両手を前に突き出していた。籠がまた揺れる。
「ヤコ」
後ろに突き飛ばされる形になった想夜は、窓に背中をぶつけた。それでもひるむことなく、姿勢を正した彼は問うた。
「夜子。正直に答えて欲しい。僕と小夜のどちらが好きなのか」
そうだ。彼はこういう人だった。いつでも直球勝負。想夜の真っ直ぐさがまぶしい。私はそんな彼を好ましく思ってきた。それでも私は。
「私は」
考えるまでもない。今のとっさの私の行動が答えだった。以前にナハトでセレナーデに同じことをされた時、私は全く抵抗せず受け入れたのだから。
ゴンドラはちょうど観覧車の頂点に達しており、窓と足の下に広がる人工の星とも言える光の洪水が目に飛び込んできた。
不思議だ。宇宙の星は上空にあるのに、人が作った星は地上にある。
「ごめんなさい。私は小夜のことが好きです」
私は息を吸い、想夜の目を貫くように見ると、はっきりと答えた。
想夜は一瞬悲しげな顔になり、それでも覚悟は決まっていたのか、すぐに笑顔になって、ありがとう、と言ってくれた。
すっと彼の頬に涙が一筋つたい、それがイルミネーションに当たってきらきら光るさまが美しかった。
「今、ちょうどてっぺんだったんだね。ねぇ見て、イルミネーションが綺麗だよ」
涙の流れる顔を隠そうともせず、流れるまま拭おうともせず、背筋を伸ばして眼下を見下ろす横顔はとても綺麗だった。
緊張の糸が切れた私は高所の恐怖を思い出してしまい、腰が抜けてしまった。
私の硬直にやっと気付いた想夜は、私の背中を優しくさすり続けてくれている。
ゴンドラはゆっくりと地上へ近づいていた。
地上に着くまでの残りの時間、私の背をなだめるように撫でながら、彼は私と再会するまでのことを話してくれた。
想夜は私のことは全く覚えていなかったが、彼に告白してきた女性と付き合う内、違和感を覚えるようになる。その違和感が耐え切れないぐらい大きくなって、最後には想夜から別れを切り出すこととなる。
「ヤコを思い出してやっと分かったんだ。僕は無意識の内に彼女達とヤコを比べて、違うと感じていたんだってことを」
彼は大丈夫だろう。違和感の原因さえ分かれば、付き合っては別れる、ということを繰り返さずにすむ。
彼にはすぐ素敵な女性が見つかる。でも小夜は。
「"俺とお前とじゃ想いの年季が違う"と小夜に言われた。小夜はね、ああ見えてもてるんだ。でも、僕と違って小夜は他の女の子に見向きもしない。ずっと不思議だったんだけど、ヤコを思い出して分かった。
小夜は君のことを片時も忘れていなくて、ずっと君しか見えていなかったんだ」
想夜の告げた内容に私は言葉をなくした。困ったように想夜が笑って私の頬をそっと撫でる。
「僕をふった時は涙も出ていなかったのに、小夜の話をするとこれだもんな。これは僕じゃなくて小夜が泣かせたってことでいいよね」
止まらない涙に困惑しながら、私は無性に小夜に会いたいと思っていた。
ふいに想夜は私をぎゅっと抱きしめた。
「もうすぐ下に着く。これで最後にするから。降りるまでこのままでいて」
涙混じりの声で切なげに告げた彼は、私の肩に額をつけてじっとしていた。
私は頷いて思いのほか広い彼の背中に両腕を回す。
私達の乗る籠はもうかなり地上に近くに差し掛かっていた。
やがて。地上に降り立った私達を迎えたのは、これ以上なく不機嫌な顔をした小夜だった。
まさかの前後編。千夜一夜 小夜編に続きます




