表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヤコのお悩み相談室  作者: 合歓 音子
本編 ー ナハト編 ー
11/25

小夜曲

私は自室のベッドの上でいつものように目覚めた。もふもふとお馴染みの感触に頬ずりし、ぎゅっと抱き締める。

バクちゃんはやっぱり可愛い。魔術士とは大違いだ。と考えつつ枕元の時計を見やり、緩慢な動作で身を起こしかけ、ハッとなった。


ー独りで魔王を倒しに行くよ


「ノクターン!」

私は勢いよくベッドに立ち上がったが、勢い余って落下した。

「………痛い」

腰をしたたか打った。涙目になって己の愚かさを呪っていると、ふわっとパソコンのディスプレイが光る。

「馬鹿じゃないの」

「ネイド!」

全身に淡い紅の光をまとった魔術士はニッと唇を三日月型に細め、笑った。

「ノン君は!?」

「行ってしまったよ。誰の話にも耳を貸さずにね」

「独りで?」

「そう。独りで。王子も正気に帰った王女も止めたんだけど効果なし。俺も一応は止めてみたけど、あいつは頑固だからね」

「何を呑気な!」

ようやく打撲の痛みから解放された私は立ち上がると、今度こそディスプレイに駆け寄る。

「まさかヤコ。またこっちに来ようとしてる?」

「当たり前でしょ!」

鼻息荒く告げた私を面白くなさそうに見やり、ふぅんと頷く。

「よっぽどあいつが好きなんだね。腹立つな。俺なんてずっと前からなのに。いつもあいつばかり心配されて」

「そりゃ心配するでしょ。あんな自分を省みない人初めてよ。放っておくと一人で勝手にどこまでも暴走して、どこまでも傷だらけになって、それで自爆とかしそうなんだもの」

私が伸ばした手は硬い画面にぶつかって阻まれた。私はしたたかにぶつけた左手をさすりながらまた涙目になった。

「馬鹿じゃないの」

魔術士から何度めかの冷たい視線を向けられながらも、私は諦めなかった。

「ネイド! お願い! 」

「いいけど。条件がある」

「いいよ! ノン君の所に連れて行ってくれるんだったら何でもする」

「俺にもピアノを弾いて。それと、約束した"オーロラ"を観よう」


ネイドは唐突にフードを外した。夜の衣の下から現れたのは、ローブと同色の紫がかった黒。

夜空のような髪と目には、星のような不思議な光が散りばめられている。そしてその顔立ちはノクターンそのものだった。


私は驚かなかった。彼の顔を見て、洪水のように古い記憶が押し寄せてきたからだ。

「私、小さい頃に貴方に会ったことがある」

「やっと思い出したんだね」

「うん。忘れていてごめんね、セレナーデ」

セレナーデは、ノクターンと同じ顔でにっこりと笑った。


彼と初めて会ったのは四歳の時。押し入れの中で昼寝をしている最中に、うっかりナハトに迷い込んでセレナーデに保護されたのだ。

保護と言っても先方もこちらと同じく子供だから、私が危険な場所に行ったりしないよう、ずっと側に着いていてくれた、というもの。

せっかく来たんだから一緒に遊ぼうという彼の誘いを断れずに、他愛ない子供同士の遊びをいくつかした後、二人で流星群を見た。


彼は小さいのに両親がおらず一人ぼっちで、太陽ソールの世界に私を帰すのを渋ったが、私が泣いて訴えると最終的には了承してくれた。

別れ際にふたつの約束をして。

一つ今度会った時には一緒にオーロラを見ること

二つ彼が望んだ時におまじないを唱えること


私はこうして無事にナハトの住人達がソールと呼ぶこちらに帰ってきたが、戻った途端に高熱を出して死にかけ、ナハトとセレナーデのことを忘れてしまったのだった。


「ナハトの人間にとって太陽の光が毒になるように、ソールの人間がナハトの闇に触れると生気を吸いとられて死に至る」

セレナーデの話にぞっとして、私は鳥肌のたった腕を暖めるようにさすった。


ネイドにラベンダーの小袋を渡した時、自暴自棄になったノクターンに引きずりこまれそうになったときに感じた、えも言われぬ恐怖。

起こったことを忘れていても、本能はナハトの闇にあたって死にかけたことを覚えていたのだろう。

ではノクターンの自殺騒動の時はどうなのだろう。特に身体の不調を感じないが。

「貘のおかげだよ。あれの役割はヤコの夢を溜めるだけじゃなかったんだ。害にならない程度の微量の闇を放出して、それにつねに触れさせることにより、ヤコの身体をナハトの空気に馴染ませる意図もあったんだ。

ヤコはまるで恋人のように貘を常に傍らに置いていてくれたからね。馴染ませるのはたやすかった」

恋人のように、という台詞に固まる私。確かにバクのぬいぐるみを溺愛していたことは認めるが、何故それをセレナーデが知っているのだろう。

「ひょっとして俺だと思って毎晩、大事に抱いてくれていた?」

「違うわよ!」

私は顔から火が噴き出たかと思った。にやにやと意地の悪い笑みを浮かべながら魔術士は画面ごし、俯いた私の顔を覗き込む。

「バクちゃんは可愛いけど、ネイドはその逆なんだから! ぜんぜん可愛くないし、憎たらしいことばかり言う!」

「とは言ってもねぇ。セレと同じく貘はおれの分身だからね。貘を抱いて寝るのは俺を」

ついに我慢出来なくなって、私は耳を塞いだが、とある事に気付き耳に入れた指を抜いた。


「ちょっと待った。セレと同じくってどういうこと!? 初耳なんだけど」

「そのままだよ。セレは勇者の監視のためにつけた俺の分身。ただ、蘭夢の劔を生成した後、魔力が枯渇して存在を維持出来ずに消滅させちゃったけど」

あっさりとセレナーデは白状した。この胡散臭い魔術士は一体どれだけの秘密や企みを抱えこんでいるのか。

本当に油断のならない男だ。


そもそもどうして家の押し入れが異世界につながっていたんだろう。と私が零すとセレナーデはひょいと肩をすくめた。

「ヤコ。そんなものは珍しくもなんともない事なんだよ。ありふれているんだ。衣裳ダンスとか学校の非常口なんかからひゅっと異世界に行った人々もいたし、室内に飾ってあった海の絵から海水が溢れてそこで溺れたりとか、読んでいた本の中に入り込んじゃったりとか、想像上の神獣に拉致されて無理矢理異世界に連れて行かれたりとか、ざらなんだから」


異世界トリップのどこがありふれているというのか。私は反論しようとして、我が身はどうなんだと思い至り、口をつぐんだ。

意外と普通のことかもしれない。


「ねぇ。約束は全て終わった後じゃ駄目なの?」

「ヤコ」

咎めるように語調を強めてセレナーデは私の名を呼ぶ。私は後ろめたい気持ちに襲われて、慌てて言い訳した。

「別に約束を破ろうというわけじゃない。ただ、早く行かないとノン君が死んじゃうかもしれないから」

「死なないよ」

セレナーデは言い切った。

「死ぬわけがない。だってあいつが倒すべき魔王はここにいるんだから」

こことは何処のことか。しばし言葉を失った私を見据え、魔術士は親指を己に向けて言い放った。

「俺は魔王。正確に言うと魔王の器なんだ。

ノクターンと戦う魔王たる俺がここにいる以上、やつは死なない。まだね」


衝撃のあまり思考活動まで停止してしまった私に、セレナーデは丁寧に説明してくれた。


ナハトは常に二つの選択にさらされている。


魔王を屠り、このまま太陽のない生活を送るか。

魔王=太陽をナハトに顕現させるか。


しかし太陽はナハトの住人にとっては相入れないものであり、忌避すべきものだった。

太陽の光に当たると夜の世界の住人は例外なく死んでしまうのだ。


勇者と魔王の依代は魂の双子であり、必ず同時に生まれる。

勇者はナハトの代表として、"太陽"か"住人の命"かを選択してきた。実際には選択肢は一つしか選ばれたことはなく、ナハトに太陽が誕生することはなかった。

歴代の勇者達は全員魔王を殺害したのだ。


ノクターンは心根の優しい青年だ。彼がたくさんの人間の命と引き換えに太陽を望むとは到底思えない。

つまり勇者は魔王を。

「ノン君は貴方を殺すということ?」

「あいつと戦う気はないけど、最期はそうなるかもしれない」

かたかたと音がしたので見下ろすと、デスクが揺れていた。地震ではない。私の身体が震えているのだ。

どうしよう。セレナーデがノクターンに殺されてしまう。それも私の夢で出来た劔によって。こんな残酷な話があっていいのだろうか。


「時間は残り少ない。ヤコ。早くピアノを」

「無理だよ。セレナーデ。私、こんな状態でピアノなんて弾けない」

訴えた声がかすれた。手の震えが止まらない。鼻の奥がつんと痛い。

「ヤコの泣き虫」

目の前がぼやけてセレナーデの姿が二重になったと思ったら、頬を熱い雫がつたった。

彼は困ったように柳眉を下げると、ため息をついて両手を広げた。

「おいでヤコ。ピアノはもういいから」

私は何も考えられないまま、画面に身を乗り出し、気付くとセレナーデの夜のローブにすっぽりとくるまれていた。


「いくら俺のためであっても、ヤコが泣くのは嫌だな」

セレナーデは今まで聞いたことのない優しい声音で囁くと、ぼろぼろと涙をこぼす私の頭を何度も撫でた。

その温もりにさらに泣けてきて、私は闇のローブに顔を埋めると声を上げて泣いた。

冷たそうに見えるその衣は暖かく私を包む。ローブの持ち主と同じく。

勇者の劔に刺し貫かれ物言わぬ骸となり、この体温が永遠に喪われるというのだろうか。そんな事実は容認出来ない。断じて。


「泣くなってば」

眉と目尻を下げた心底困った表情で、涙でぐしゃぐしゃに濡れた私の顔を覗き込んだセレナーデは、これまでのように親指で目元を拭うが、そんなものでは間に合わない。

「ヤコ」

何度もしゃくりあげて、肩を震わせている私の両頬に手を添えて顔を上げさせたセレナーデは、貴い宝の名前を口にするように私の名を呼び。そして。

「ヤコ。好きだよ。ヤコだけが俺の希望なんだ」

そして。覆い被さってきたセレナーデの唇が私の唇をそっとふさいだ。


はじめは小鳥がついばむように優しかったその接触が段々と深くなっていく。その動きのあまりの熱さに眩暈がしてきた。

私の全てを喰らい尽くそうとしているのか。激しい口付けに翻弄されながら、セレナーデにだったら骨まで食べられてもいい、と思い、私は男性にしては華奢な背中に両手を回して身を委ねたのだった。



しばらくして唇を離したセレナーデは、以前に私があげたハンカチをふところから出して、私の顔を丁寧に拭いてくれた。

「そろそろ行こう。ノクターンが待っている」

私はビクッと身を震わせた。そんな言葉は聞きたくない。行かせたくない。

でもどうしたらいいのか分からない。


「ヤコは俺の希望だと、さっき言ったよね。

俺は生まれた時から絶望していた。

ただ勇者に倒されるためだけに存在するなんて、あんまりじゃないか。

ノクターンが憎かった。何も知らずにのうのうと育って。勇者だからと皆にちやほやされて。

俺たちは対なのに、片方は幸せの中にいて、もう片方は誰からも顧みられることもなく不幸のどん底のまま死んでいく。

オルキス神は残酷だ。だから俺は神さえも憎んだ」


私には想像の出来ない人生。想像の及ばない境遇だ。幼いセレナーデのために何も出来ない自分が歯がゆかった。


「そんな時、ヤコに会った」

セレナーデの眼差しがこの上なく暖かく降り注ぐ。そのまばゆさにまた涙が出そうになった。


「ヤコを帰してから、ひたすらに魔術を学んだ。またヤコをナハトに喚び寄せるために。

そしてヤコの住む世界、ソールについて調べていく内、救いの光が見えてきた。俺の魂が消滅せずに済む方法があるかもしれない。

俺はその可能性に賭けた。

それを実行するためには勇者とその仲間達である聖なる戦士、"聖士"になる必要があった。

元々魔王となる器だ。資質はあったんだろう。

俺は誰よりも優れた魔力を持ち、魔術士を養成する学校でトップクラスの成績をおさめ卒業した。

無事に聖士として選ばれ、儀式を受けることが出来た。

力が増していつでもヤコを呼べるようになったから、偶然を装って接触した。悩み相談のバイト募集を偽ってね」


セレナーデがいたずらっぽく笑う。でも私は笑えなかった。小銭を稼ぎたいなんてそんな理由で私は。自分の浅はかさに恥じ入った。セレナーデは命懸けだっただろうに。

それにしても、全てネイドの、セレナーデの掌の上で踊らされていたわけなのか。ノクターンも私も。しかし怒りは湧いてこない。これで彼が助かるのであればいくら騙されたっていいし、いくらだって無様に踊ってやる。

だから女神様。オルキス神様。セレナーデを助けて下さい。

私の祈りに気付かず、淡々と魔術士は語り続けている。


「悩み相談で蘭使であるヤコと勇者を引き合わせることが出来るし、絆も深まるし一石二鳥だったんだ。まぁ、計算が狂ってヤコが勇者に想像以上に肩入れしたり、ノクターンがいきなり死のうとしたり、色々あったんだけどね」

軽く頬をつままれ引っ張られた。

「もしかしてノン君を助けるために私が飛び込んだのって、想定外だった?」

「ああ。とんだ想定外だったね。だってヤコって意外とドライだし自分が一番大事だろう? それがまさか呼んでもいないのに、ナハトに自ら来てしまうなんて。あの時もいつもみたいに言葉でノクターンを鎮めると思ったらまさか体当たりして噛み付くなんて」

「いっっ。やめっっ」

セレナーデがつまんだままの指を思い切り引いた。頬の肉が伸びる。痛い。地味に痛い。

「俺がいずれ口説き落として呼ぼうと思ってたのにさ。よりにもよってあいつの! ノクターンのために飛び込んでくるとか本当に腹が立つ!」

ぎゅうぎゅうと頬の肉をこねくり回される。全く容赦していない。あまりの痛さに本気で涙が出てきた。

さすがにやりすぎたと思ったのか、セレナーデは指を離すと、ぎゅっと私をハグして謝ってきた。

「ごめん。加減が出来なかった」

ノクターンがしたように私の瞼に口付けて涙を吸う。その声と動作に含まれる甘さに脳みそが痺れて惚ける。たぶん私は何をされてもセレナーデを赦してしまうだろう。


「さて。悪ふざけはこれぐらいにしておいて」

セレナーデの雰囲気がガラリと変わった。辺りの空気がピンと張り詰める。私は背筋を伸ばした。

「ちょっと移動するよ」

セレナーデのローブに全身を包まれた途端、周囲の景色がガラリと変わった。


石造りの宮殿にいたはずの私達は、気付けば紫水晶のように透明に光る床の上に佇んでいた。

屋内のはずなのに天井はどこまでも高く、深い紫色の空が広がっている。


どこからかハープのような美しい音色が流れてきて、青、赤、緑、黄、七色の透き通った布がカーテンのようにはためいては消えていった。音にあわせて光る布は自在に大きさを変え、色を変え、空という巨大なキャンパスに美しい絵を描く。

私は緊迫した状況を一瞬忘れ、口をあんぐりと開けて天井を見上げた。

「オーロラだ。まさかこんな所で見られるなんて」

オーロラを見ようと二人で約束した。それが思わぬところでかなってしまった。

「ここは何処?」

まさか天国ではないだろう。それほどに美しい場所ではあるが。

「紫宮」

短く告げられた言葉に息が止まった。ついに来てしまった。こんな場所まで着いて来てしまったけれど、私に一体何が出来るのだろう。セレナーデが助かるためなら何でもするのに。

彼の親指がそっと私の目元にあてられた。無言でぐいっと押し付けられて、私はまた涙を流していたことに気付いた。

「ヤコ。お願いがあるんだ」

「何でも言って。聞くから」

「俺の身体に魔王が顕現したら、ヤコは俺を」

魔術士はここで大きく息を吸い、私を射抜くような瞳でひたと見据えた。

「蘭夢の劔で貫いて欲しいんだ」

セレナーデは今、何と言った。私の耳はおかしくなったんじゃないか。私は瞬きをした。のどがカラカラで唾を飲んだ。手にいやな汗がじわりと滲んでくる。

セレナーデは念を押すようにゆっくりと言い直した。

「俺を殺して。ヤコ」
















評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ