飛べない天使
「ケーキいかがですかぁっ」
12月24日。世間は『クリスマス・イヴ』とかなんとか言って盛り上がっている。どうやらこの日は特別な日であったりするらしいぞ、俺。
……なのに、俺はなんでケーキを売るバイトなんかしてるんだろうな?
だいたい、クリスマスになんだかわいわい騒いで、正月もなんか祝うとはどういうことだ。節操がない。そうは思わないだろうか。そもそも俺はキリスト教などではないのだ。別に楽しむつもりなんかはなからないのだから、楽しまなくてもいいのだよ。ああ、そうに決まっている。
俺はため息をついた。手はすっかり赤くなっている。
「……寒っ」
温度も、心も、しまいには財布の中身も文字通り寒かった。
……まぁ、いい。
バイトが終わったら、売れ残ったケーキを貰って、暖房の効いた部屋でケーキを食べよう。そんなに悪くはない部類に入るクリスマス・イヴの過ごし方だ。まぁ、別の言い方をすれば良くはない過ごし方でもあるのだが。
……そりゃ、俺だって楽しくクリスマスは過ごしたいさ。ああ、過ごしたいとも。彼女のひとりやふたりでもつくって、こう、パーッとだな――。
街中に流れるクリスマスソングが、やけに大きく聞こえる。喧しい。ああ喧しい。喧しい。
どこに顔を向けても、恋人たちがいかにも「青春してますよ。俺たち」といった感じで、仲よさそうに歩いている。
別にどうだっていい。他人の幸せを悪く言ったりするほど、俺は堕ちていない。別に良くも思うわけではないが。ふたりだけの空間は、ふたりだけの空間でつくってくれ。
ふと気づくと、ひとりの少女がショーケースに入ったケーキを眺めていた。
「あっ、いらっしゃいませ。メリークリスマスっ!」
この挨拶はかなり嫌だった。しかも笑顔。俺にだってプライドくらいはあるぞ。いや、賃金を稼ぐというのは大変なものであることだ。親で感謝の気持ちを今ここで述べてもいいのだが、そんなことをして客に怖がられても困る。だからこの案は却下して、とりあえず接客だ。
「クリームとチョコレートと2種類ございますが……、どちらにしますか?」
客の少女が、じーっと箱に入れられたケーキを見つめている。それはもう、じーっと。
「……あの?」
迷いすぎだろ。たったの2種類しかないのに。
俺の呼びかけに少女はさっと、驚いたように顔を上げる。
「あっ。え? わ、わたしのこと……ですか?」
「……は? ええ、まぁ、そうですけど」
自分に向けられた言葉だと思わなかったのだろうか。他に客などいないというのに。
「あっ。す、すいません。……あの〜、これ、美味しいですか?」
「え? ええ。美味しいと思いますけど」
妙な質問をしてくる客だ。店員が『不味い』なんて思ってても言うわけがない。だいたいケーキなんてどこの店もそんなには変わらないだろう。一流店とかと比べると全然違うが、こんな街頭でクリスマス期間だけ売られているケーキなんて、味は容易に想像できる。
「そうですよねえ。美味しそうですよねえ。……これ、何ていう食べ物なんですか?」
……もしかして、バカにされているのだろうか。
ケーキを知らないと言うのか、この女。有り得ない。1、2歳のガキならともかく、どう見ても中学生以上ではある少女が知らないわけがないだろう。
「……お客さん。冷やかしは困るんですが」
これ以上俺を冷やしてどうするつもりなのか。
そう告げられた少女は、必死に首を振って答える。
「ひ、冷やかしだなんてそんな! あ、あの、気に障ったんなら謝ります。ごめんなさい……」
なんだかますますバカにされているような気がする。
「これ、おいくらなんですか?」
「あ、一番小さいのが800円となっておりまして……」
「ううん……。結構するんですねえ」
小さいのを買うのが前提なんだろうか。
長い間、悩んだ少女の答え。それは――
「あの。ひとつタダでもらうっていうのは――ダメ、ですか?」
「……帰れ」
「そっ、そんな! 事情も聞かないで帰れだなんて!」
「ほぉ。じゃあその事情ってのを聞かせてくれ」
「……え? で、でも、長くて、複雑ですよ」
「別に構わない」
どうせ、客もいないし。
「わ、わかりました。じ、実はですね……お金が、ないんです」
痛いほどの間が空く。
「……それで?」
「え?」
「続きは?」
「終わりですけど」
長くも複雑でもなかった。
少女はキョトンとした顔でこちらを見ている。
「……帰れ」
「わぁぁぁっ! ま、待ってください!信じてもらえないかもしれないけど、わたし、天使なんです!!」
この娘はノイローゼなんだろうか。それとも電波系の痛い娘なんだろうか。
「……天使」
「そうです! 天使なんです! まだまだ半人前なんですけど――」
照れくさそうに笑う少女。
「近くに良い病院知ってるぞ」
「ど、どういう意味ですかっ! そんな人をイタイ娘みたいに扱って!」
みたいもなにも、その通りだろ。
目の前の少女はかなり怒っているらしい。が、すぐに笑顔に変わって――
「天使命は、天野 真琴。結構かわいい名前だと思いませんか?」
「近くに良い病院知ってるぞ」
「ど、どういう意味ですかっ! あ、信じてませんね。むぅ・・・」
頬を膨らます。
こうやってよく見てみると、可愛い顔をしていた。俺の好みの顔ではないが、この顔は色々便利に有効できる顔だと思う。
「……あのさ、そんなにケーキ欲しいならあげたって良いよ、別に」
自分でも、なんでそんなことを言ったのかわからなかった。それでも――そんな言葉でも、彼女は突然、パッと明るい顔になった。
「ほ、本当ですか!?」
「ああ。渡すのが、店が終わってからでいいんならな」
どうせ、売れ残りのケーキが貰えるだろう。自分の分のケーキがなくなるのは、少し悲しいが、ケーキくらい別になくたってどうでもいい。
人助けみたいな損な役回りは基本的にしないが、『クリスマス・イヴ』という独特の雰囲気が、俺を少し変えているのかもしれない。そんな考えに苦笑いを浮かべる。
「ま、待ってます! 必ず!その『けぇき』ってヤツをくれるのならば!!」
目が少女漫画のように輝いていた。
20時28分。あと30分も働けば終わりだ。
あの少女――天野がいなくなってから、急に客が押し寄せた。どうやら今年は例年になく売れたようだ。
ここで、問題が発生した。ケーキ完売。残ったのはクッキーやシャンパンなど。
(どうすっかな・・・)
そういうば、待ち合わせ場所を決めていなかったことに気づく。まさか、ずっとこの寒い中、外で待っているわけではないだろう。
……いや、あの変わった少女なら有り得るかもしれないな。
そんな恐ろしいことを考えていると、
「お。こんな日も働いてるんだね。感心感心」
ひとりの客が来店してきた。それは幼馴染で同級生の少女――雪村だった。
「なんだよ。クリスマス・イヴにひとりで買い物か? 彼氏でもつくったらどうだ」
「クリスマス・イヴにバイトしてるアンタにだけは言われたくないわよ」
「何を言ってるんだ。労働は国民の義務だぞ義務」
「はいはい。……あ、ケーキ完売したんだ」
『ケーキ完売』と書かれて貼られている紙を見ながら言う。
「あぁ。結構忙しかったぞ。お前はもうケーキ食べたのか?」
「うん。自分で作ってね」
そういやコイツ、料理は得意中の得意だな。それ以外の家事は目も当てられないほどだけど。
「……なんかすっごい失礼なこと考えてない?」
「気のせいだ」
心でも読めるのかコイツは。
「やっぱり思ってるじゃない」
……ほ、本当に読めてる?
「……でも、ここら辺でケーキっていうと、結構話題になった事件があるわよね」
「事件? なんだそりゃ」
俺の言葉に、雪村は呆れた顔を見せた。
「アンタね……。ニュースとか見てないの? 確か3年くらい前だと思うけど、ケーキを買いにおつかいに出かけたひとりの少女が交通事故に遭って亡くなった事件があったじゃない」
ああ。そういえばそんなのあった気もするな。居眠り運転だかなんだかでひとりの少女が死んだ事件。当時は学校で色々と話題になったものだ。「気をつけて帰りなさい」とそれからよく先生から言われた記憶がある。こっちが気をつけたところでどうにかなるようなことでもないと思うのだが。
「可哀想な事件だったわね。あの子……なんていったかしら」
知らん。田中花子とかでいいじゃないか。
「確か――アマノ……。うん、苗字はアマノだった気がするわ」
…………アマノ?
「天野 真琴……」
俺はポツリ、と呟いた。
「あっ、そうそう! 真琴ちゃんよ! そうだわ。なんだ、アンタ解ってたんじゃない。って、どうしたの? 真面目な顔しちゃって。珍しいわね」
…………やれやれ、だ。
俺は、昔、交通事故が遭ったという場所に来ていた。
空気が痛いくらいに冷たい。身も心も凍りつかせるような風が――冷たい風があたりを吹きつけていた。
辺りは暗く、街灯に照らされてなんとか見えるといった状態だ。
そこには、花やおかしが並べられていた。
そして――立ち尽くすひとりの少女。
「よ。電波娘」
「……そんな挨拶はひどいと思います」
クスリ、と笑う姿はどこか儚げで、虚ろだった。
「なにが天使だ、バカ。バカかお前は」
「そ、そんなにバカバカ言わなくてもいいじゃないですか」
「ただの死者じゃないか。お前は」
「……驚かないんですね」
「こう見えても昔から霊感が強くてな。結構、いろんなモノ見てきてんだよ」
似たような経験を以前もしたことがある。あのとき、俺は立ち直れないくらいの傷を負ってしまった。誰かさんのおかげで、俺は、今ここにいる。
まぁ、それはこの少女とは無関係の別の話ではあるのだが。
「……そうなんですか。だから、わたしのことも見えるんですね」
冷たく澄んだ空気と、深い闇があたりを支配していた。
「……ケーキ、完売しちまった」
「……そうですか。少し、残念です」
俺はひとつの袋を取り出す。
「だから、作ってきた。大変だったんだぜ。雪村ってヤツに手伝ってもらってだな――なに、そんなに驚いてるんだよ」
言葉のとおり、天野は驚いていた。とても戸惑っている。
「あ、あの・・・。わたしの、為に? 今日会ったばかりの見知らぬ美少女の為に?」
「自分で美少女っていうな。電波娘が。……まずくても文句言うなよ。どこも完売だったからな。手作りで我慢しろ」
ケーキが入った箱を渡す。細く、今にも折れてしまいそうな華奢な指。
「ありがとうございます。ふふ。……とんだお人よしですね」
「いや、これでも結構悪いんだぞ。そこらへんの学校のヤツらは俺を見たら即座に土下座するぞ。まるでリアル水戸黄門だな。ん? 待てよ。確か水戸黄門って正義のヒーローか。うおっ、なんか矛盾してるぞ!」
「……そうですね」
弱い、小さな微笑。
「……自分の体だからわかるんです。もう、先が長くないってことが。死んでるんだから、こういう言い方はおかしいのかもしれませんけど。自分が生きていた頃の記憶が、どんどん失われていくんです。大好きだったケーキのことも思い出せませんでしたし。今では親の名前を思い出せませんよ」
力なく、笑う。それが、痛々しい。
「忘れたら、また思い出せばいいだろ。ケーキだって思い出せたんだ。きっかけさえあれば思い出せるさ」
「でも、思い出すきっかけがなかったらアウトじゃないですか。そうやって、今年も、今月も、今日も、この瞬間も、わたしの中からなくなっていって、わたしは本当に死ぬんです」
すっかり悟りきった口調。きっと、何か確実に辛いことがあったのだろう。見ていてこっちまで辛くなる。
「だったら、俺が死なせない」
「はい?」
「今日のこの日、この瞬間を俺はずっと覚えておく。そして、お前が忘れたら、話す。俺がお前のきっかけになってやるよ」
「……無理ですよ。そのうち、あなたのことも忘れます。あなたに会うことを忘れて、どこか遠くへ行っちゃうかもしれませんよ」
「そん時は俺が探しだして、今日のことを話すさ」
「……どうして、そこまでするんですか」
どうして? 答えなんて決まっていた。
「俺はお人よしで正義のヒーローだからな」
「そうですか」
少女の顔に微笑み――それと僅かながら涙が浮かぶ。それは、今まで彼女が見せた笑顔の中で、一番可愛い笑顔だった。
「ホラ、せっかく作ったんだから食べろよ」
自分で言った台詞が嫌に恥ずかしかったので、話を変える。顔も赤くなってるかもしれない。
はい、と彼女は返事をして、包みを開いていく。そして、しばし動きが止まる。
「……なんですか。コレ」
「失敬なやつだな。ケーキだケーキ。確かに見た目はグロテスクだが」
放送ギリギリアウトくらいの代物だった。ゴキブリでもこれを見たら食欲を失うかもしれない。
「で、でもな。味はいいぞ。雪村がそう言ってたんだから間違いない」
天野は躊躇しつつも、恐る恐るそのケーキらしき物体を口へと運ぶ。
「ど、どうだ?」
「……美味しいです」
「そ、そうか! おしっ! ナイス俺!」
「でも、しょっぱいです」
「ダメじゃないか!」
思わずツッコミを入れてしまう。
そこで、気づいた。彼女は、泣いていた。滴が、頬を流れている。
「バカ。泣いてるからだろ」
「わたし、絶対忘れませんから」
「え?」
「この日のことを。このケーキのことを。そして、あなたのことを」
しゃくりで、少し聞き取りづらかった。でも、それでも十分すぎる言葉。大切な、言葉。
「……そっか」
「そこで、ひとつお願いがあるんです」
「お願い?」
12月24日。クリスマス・イヴ。
俺は雪村に電話をかける。
『どうしたの? あ、そういえば今年も去年みたいにバイトするの?』
電話の向こうから、雪村の明るい声。
「いや、またケーキの作り方を指導してもらいたくてな。いいか?」
『え? うん。別にいいけど、どうして?』
「いや、ある人物にお願いされてさ。毎年この日には、ケーキを作ってくれって」
『ふ〜ん。なに? もしかして彼女?』
「バカか。そんなんじゃねぇよ」
これからの俺のクリスマス・イヴは、面倒で――楽しいことになりそうだった。
まずは見栄えをよくしなきゃな、と考えながら、俺は雪村の家へ向かった。
冷たく澄んだ空気が、今はただ、心地よかった。
テーマは、『なんとなく、いい話』。
いかかでしたでしょうか。感想を聞かせていただけたら幸いです。