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人さらいのスタンリー  作者: 佐伯
耳にした名前
3/9

守るべきもの

朝の光が、木の隙間から細く差し込んでいた。

廃村の小さな家は、静かすぎるほど静かだった。鳥のさえずりと、風が葉を揺らす音だけが、時折聞こえる。

スタンリーは目覚めると、すぐにリナの姿を探した。

彼女は炉の前にいて、昨夜の残り火に新しい薪をくべていた。

茶色の髪を後ろで束ね、袖をまくった細い腕が、朝の光に透けて見える。

「おはよう。今日は体、動けそう?」

リナが振り返って微笑む。

スタンリーは無言で頷き、起き上がった。

傷はまだ疼くが、歩くことはできた。

彼は自然と、彼女の隣に立っていた。

リナが鍋に水を注ぐのを、ただ見つめている。

「俺がやる。」

言葉が勝手に出た。

リナが驚いた顔をする前に、彼は水桶を手に取っていた。

重い桶を軽々と持ち、井戸へ向かう。

理由はない。ただ、彼女に水仕事などさせたくない。

そんな気持ちが、胸の奥から湧き上がる。

朝食は粗末な粥と、森で採れた野いちごだった。

スタンリーは自分の分を半分に分け、リナの器に盛った。

彼女が「多すぎるわ」と言っても、聞かない。

「食え。」

短く、しかし強い声。

リナは小さく笑って、素直に受け取った。

午前中、二人は村の外れの小さな畑へ出た。

雑草だらけの土を、スタンリーが黙々と耕す。

リナは種を蒔きながら、時折彼の様子を窺う。

汗が額を伝う。肩の傷が開きそうになるが、彼は歯を食いしばった。

昼近く、リナが言った。

「少し休んで。薬草を探してくるわ。森の奥に、傷に効く葉があるの。」

その瞬間、スタンリーの手が止まった。

鍬を握る指に、力が入る。

「……行くな。」

声が低く、震えていた。

リナが振り向く。

「でも、すぐ戻るわ。一人で大丈夫よ。」

「一人で、行くな。」

彼は鍬を放り出し、リナの腕を掴んでいた。

強く。痛いほどに。

心臓が早鐘のように鳴る。

彼女が視界から消える——その想像だけで、息が詰まる。

まるで、誰かに奪われるような。

いや、奪われたことがあるような……?

「スタンリー……?」

リナの声が、優しい。

彼は我に返り、手を離した。

「……俺が行く。お前はここにいろ。」

結局、二人は一緒に森の奥へ行った。

リナが指差す葉を、スタンリーが慎重に摘む。

帰り道、彼はずっと彼女の後ろを歩いた。

背中を守るように。

夕暮れ。

暖炉の火が、再び部屋を照らす。

リナが薬草を煎じている横で、スタンリーは壁に寄りかかっていた。

炎が揺れる。

その橙色が、突然、赤く染まった。

フラッシュ。

雨の広場。

血の匂い。

少女の泣き声が、何人も重なる。

「助けて……!」

縄が首に食い込む感触。

冷たい兄の視線。

「怪物め……」

「うっ……!」

スタンリーは頭を抱えて膝をついた。

二度目のフラッシュバックは、もっと鮮明だった。

痛みが波のように押し寄せ、吐き気がする。

リナが駆け寄り、彼の体を抱きしめた。

「大丈夫……ここにいるわ。怖くない。」

彼女の声が、耳元で優しく響く。

温かい手が、背中をさする。

スタンリーは震えながら、その胸に顔を埋めた。

なぜか、この匂いが知っている気がした。

夜が更ける。

リナは眠りについていた。

スタンリーは暖炉の前に座り、火を見つめ続けていた。

炎の向こうに、断片的な影が浮かぶ。

血。叫び。縄。

そして——リナの、雨に濡れた瞳。

「俺は……何者だったんだ?」

独り言が、部屋に溶ける。

「人を傷つけるのが、仕事だったような気がする。

 怪物だったのかもしれない。

 それなのに……なぜ、この子だけは、守りたいと思う?

 俺は何をしたかった人間だったんだ?

 ただ、誰かに必要とされたかっただけか……?」

彼は拳を握りしめた。

指の関節が白くなる。

「この子だけは、絶対に失いたくない。」

その時、遠くから——

風に乗って、かすかな馬の蹄の音が聞こえた気がした。

スタンリーは立ち上がり、窓の外の闇を睨んだ。

村は静かだ。

けれど、何かが近づいている。

そんな予感が、胸の奥で疼いた。

リナの寝息だけが、部屋に満ちていた。

スタンリーは、再び彼女の傍らに戻り、

静かに見守り続けた。

守るべきもの。

記憶のない今、それが唯一の確かなものだった。

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