前編
◆◆
「見ないで」
いつも強気なノヴァが小さく言って、顔をそむけた。
黒色の髪の毛を押さえた指の隙間から、これまた黒色の耳がぴょこんとのぞいて、ぴくぴく震えてる。
シグはその様子に、息を飲んだ。
++すこし前。
「日誌書き終わった。シグ、職員室持ってって」
「何でだよ。ノヴァも一緒に行こうぜ?」
「オレが全部書いたじゃん~! もう先に帰るからっっ。オレ急いでんの!」
「せっかく皆が帰って、二人きりなんだからさ。ノートは置いてきてやるから待ってろよ。一緒に帰ろ」
学校で一番モテるシグは、良い顔で笑って、なんだかカッコつけた感じで日誌を持って出て行った。
シグはヒト族。ノヴァはネコ族だ。
色んな種の獣人が一緒に暮らしている世界。皆、普段は人型で暮らしている。
シグはいつもノヴァに、ちょっかいをかけてくる。
見た目も中身もイイ男なのは知ってるけど。ほんと、モテすぎて無理。
あんなのと付き合ったら、心休まらない。
ノヴァはいつもそう思っていて、本気にはしないようにしている。
――それにしても、やばい。頬がほてってる気がする。
一応抑制剤は飲んできてるけど、そろそろ本格的にヒートがきそう。
朝からそんな雰囲気を感じていて、今日は早く帰りたかったのに、日直だったなんて最悪だ。筆記用具をしまいながら、ため息をついてしまう。
この世界、種族によっては、発情期がある。ノヴァは、その発情期をもつネコ族のオメガだ。
ヒート中のオメガのフェロモンは、種族も、双方の意思も関係なく、アルファを引き寄せてしまう。
だから――
アルファであるシグと、ヒートになりかけのノヴァが、二人きりでいるのは、かなり危険なのだ。
やっぱりシグを待たずに帰ろう!
ノヴァが急いで筆箱を鞄に入れて、立ち上がった瞬間。
ぴょこん。
……あ。耳、出ちゃった!やば!
ヒートが近づくと、体が熱っぽくなって、いつもはおさえている耳とか、しっぽとかが、出てしまうことがあるのだ。
焦ったその瞬間。
「ただいま。待っててくれたんだな」
嬉しそうなシグの声が聞こえて、一瞬頭が真っ白になる。
近くに歩いてくる気配。慌てて反対側を向くのだけれど、途中でシグが立ち止まった。
「――あれ、ノヴァ、耳……?」
「ち、ちがっ、これは……」
――今まで誰にも耳、見せたこと無いのに。
人型で生活するのが当たり前の世界。家族以外には見せないのが普通だ。……というか、ヒートになったからって、皆が耳とかしっぽが出る訳ではないのに。なんでいっつも出ちゃうんだろ。
すごく恥ずかしくなって、泣きたい気持ちで、ノヴァは顔を俯いた。
「……ヒートがもうすぐだから……でも、すぐ抑えられるから。大丈夫だから」
強がるノヴァだが、その耳はすっかりへしょげて伏せていた。ぷるぷる震えてて、全然大丈夫そうじゃない。
「シグ、先、帰って。収まったら帰るから」
ノヴァは怯えていた。
本格的にヒートがきてフェロモンが暴走したら、シグと番になってしまう事故が起きないとも限らない。
やっぱり学校休めばよかった……。
後悔しても、どうしようもない。
シグがゆっくり一歩近づくと、ノヴァは「こないで」と一歩下がった。
そこで足を止めたシグは、ふ、と微笑んでノヴァを見つめた。
「何もしないから。大丈夫だよ」
普段よりも余計に優しく話すシグの声に、ノヴァは、縋るように視線を向けた。
「ほんと……?」
「ほんと」
ふ、とまた微笑んで見せてくれる。
(2026/1/23)




