第2章
「……うつわ?」
ハヤトはその言葉を聞いた瞬間、ぽかんと目を瞬いた。
『アルセリア』のヘビープレイヤーである彼が、その意味を理解しないはずがない。
──お前らはあの“モノ”を大して珍しくも思わず、数分で出して、ティッシュで包んで、ポイと捨てているだろう。
だが、邪道に堕ちた女修士にとってはかなり貴重なものなのだ。
何しろ、うつわは“火気”が旺盛であればあるほど良い。
うつわの火が強ければ強いほど、彼女たちの修業の速さは跳ね上がるのだから。
だからこそ、ハヤトはその言葉を聞いた瞬間、顔色を変え、目の前の少女を見やり、心の中で叫んだ。
(……そんなおいしい話がこの世に!?)
『アルセリア』の中でも、この道に走るプレイヤーは確かに存在した。
大人でさえあれば、あらゆる自由が許されるゲームだ。
ただし、この修行ルートは“最低クラスの産廃スタート”として有名で、上限がやたらと低い。
そんな邪道まっしぐらの方法で強くなれるはずがない。
しかも、うつわとなった側は五回修行するごとに一回死ぬ。
乾ききったミイラとなって。
それも、一滴残らずに。
プレイヤーなら復活できるから好きに遊べるが、ハヤトにはそれができない。
彼の復活は有限で、命は一つ。
こんなことで浪費してたまるか。
命を賭けるなら、完璧なスタートのため──そんな価値ある場面だけでいい。
こんな上限の低い修業法なんて、論外だ。
面白そう、と思ったのは一瞬だけで、ハヤトはすぐに対策を考え始めた。
* * *
同じ頃、彼の前に立つ少女──シェリも、胸の内で様々な思いが渦巻いていた。
武芸の名門に生まれた彼女だが、こんな辺境みたいなところにいる因縁は複雑だ。
偶然手に入れた秘密の法剣と魔功のせいで、両親は命を奪われ、一人生き延びた彼女は剣と魔功を抱え逃げ延びた。
この世界では、誰もが修業できるわけではない。
『アルセリア』でもレベル10までは、武人と大差ない存在。
本当の修業はそこからだ。
彼女が手にした修業法──それは邪道に堕ちた者の魔功。
修業の第一条件は、「異性のうつわを持つこと」。
まだ純潔の少女であるシェリには、とても耐えられるものではない。
そもそも、その“行為”自体もよく分かっていない。何せまだ十六歳なのだ。
だが、仇は討たねばならない。
追っ手は迫っている。
強くならなければ死あるのみ。
魔功こそが、今の彼女の唯一の頼り所だった。
そしてこの法剣も、修為が無ければただの重くて鋭い鉄だ。
だからこそ、うつわが必要なのだ。
だが、そんなもの……どうして、どうして……!
その時だった。
彼女はハヤトを見つけた。
「世にこれほど美しい男が……?」
シェリの心臓はどくん、と跳ねる。
その直後、追っ手の気配に気づき、顔色を変えた。
次の瞬間、ハヤトの視界に残像が走り、気づけば彼は横抱きにされていた。
まるでサーフボードのように。
少女の淡い香りが鼻を掠め、ハヤトは心の中で叫ぶ。
(ちくしょう、怪力娘かよ!)
シェリは軽く地を蹴り、北へ一気に駆け出す。
ハヤトを抱えたままなのに、まるで重さを感じていないかのように。
ハヤトの体重など、法剣に比べれば羽のようなものだった。
「ぶはっ……!」
強風が口に吹き込み、ハヤトは慌てて口を閉じる。
その時、至近距離で宝剣の情報が視界に浮かんだ。
【剣名:剣聖のアスク(紫)】
「……紫だと?」
ハヤトは驚愕した。
どうりで形状がおかしいわけだ。
ただの鉄ではない。
剣聖の名に恥じぬ逸品。
そしてシェリの顔を見上げ──視線が胸に遮られ、半分しか見えない。
……それでも、反則級に美しい。
(これ……俺、むしろ得してない?)
シェリは無自覚だが、極度の“顔至上主義者”だ。
母から「男は信用するな」と言われて育ったが──
「どうせなら一番好みを選べばいい」とも教えられた。
(……理に適ってる気がする)
そもそも、父が母に選ばれたのも顔が良かったからだ。
うつわを持つにしても、好きな顔の方がいい。
醜い相手では、修業中に気が散って気持ち悪くなるしかねない。
だが、目の前の男より綺麗な人間がこの世にいるか?
──いない。絶対にいない。断言できる。
そのうえ、明らかに一般人。
力もない。
なら、好き放題できる。
(……うん、決まり!拉致する!)
シェリは剣を抜き、ハヤトに向ける。
が、言葉が出てこない。
十六歳の少女には荷が重い。
長い沈黙の末、真っ赤になって絞り出した。
「……従う? それとも……従わない?」
ハヤトは苦笑した。
声の幼さで少女だと確信したが、今の彼には勝ち目がない。
「……ここで、は? マズくない?」
シェリの顔は更に赤くなった。
耳まで真っ赤だ。
──ここでなんて、できるわけないでしょう!
なのに、どうしてその苦笑まで格好いいの……。
その瞬間、彼女の周囲に数字が浮かび上がった。
「好感度+1」
「好感度+1」
「好感度+1」
(……え、好感度システムまで持ち越し?)
ハヤトは呆然とした。
NPCの好感度なんて、昔は地獄のように上がらなかった。
足が折れるほど走り回っても+1されるかどうか。
好感度の条件が揃わなければ、隠しイベントなんて起きない。
それなのに──
(なんでこんな簡単に……?俺の魅力が“1”から“10”になったから?)
彼は困惑したまま天を仰ぐ。
その45度角の横顔が、またシェリの心を撃ち抜いた。
(この顎のライン……横顔まで綺麗……)
「好感度+1……+1……+1……」
「……は?」
理由は分からないが、好感度が上がるのは良いことだ。
命の保証に直結する。
むしろ──彼女は何か問題を抱えた少女なのでは?
説得して真人間に戻した方がいいのでは?
そんなことを考えていた時、シェリの視線がふっと東を向いた。




