面倒な男
(……なんて、決めたは良いけど)
完璧な聖女になると決めて神殿へ来てから、今日でひと月。
最初の頃はうっかり忘れることも多かったお勤めの時間もそれなり身についてきて、あの眼鏡の神官さんに文句を言われることも大分減ってきた。お姉ちゃんに心酔してるみたいだったから足を引っ張られるかとも思ったんだけど、そんなこともなかった。きっと生真面目な人なんだろう、あたしがきちんとしてれば文句はないみたい。
今のところ計画は順調だと、グレゴーリオさんからは聞いていた。療養中のお姉ちゃんも大分良くなってきたみたいで、それはすっごく嬉しい。
本音を言えば会いに行きたいけど、さすがに新しい聖女が一ヶ月でお役御免になるのは良くないだろうし、あたし自身が完璧な聖女になってお姉ちゃんの株を押し上げる、って言う目的も果たせなくなっちゃいそうだから、ここはぐっと我慢だ。
(完璧な聖女、って、つまるところ、どんなの……?)
女神様の像に入れたばかりのお茶を捧げながら、考える。
聖女になって始めて知ったけど、そもそも聖女のお勤めなんて、やることはほぼ雑用係みたいなものだ。
一日五回の礼拝――早朝と寝る前は自分だけで、それ以外の朝、昼過ぎ、夕方の三回は信者さんたちを受け入れてる――の他には、裏庭にある薬草園の世話や神官さんたちに交じって神殿内の清掃。
それと隣にある孤児院への慰問を時々するようにって言われてるから、これはなるべくまめにやるようにしてて、あとは一日に最低でも一回、女神イルエレ様のために祈りながらお茶を淹れてそれを女神像に捧げるくらい。
ついでにいうと、良い聖女であろうとするなら勉学にも励むようにって書庫の場所を教えてもらった。これは義務じゃないので、あたしはあんまり書庫に行かない。
そもそもお姉ちゃんの使っていた部屋にも本棚があって、そこだけでもたくさん勉強になりそうな本があるから今のところ必要がないのだ。あたしの嫌いな料理の本とかもあって、それは多分読まないだろうけど。
こういうことをこなすだけなら、ぶっちゃけ聖女歴一ヶ月のあたしだってどうにかなるけど、でもそれじゃ完璧な聖女とは言えない気がする。こういう所も雑用係と似てるよね、やるだけなら誰にだってできるけど、完璧にしようとすると難しいっていうか。
とはいえ、神官さんたちはみんなあたしを完璧な聖女だとかなんとか言って持ち上げようとしてくるけど。
(しかし、眼鏡さんよりも、他の神官さんとか、フレッドさんの方が面倒だなあ……)
やることさえきちんとこなせば言いがかりは付けてこない眼鏡さんは、やっぱりいい人なんだと思う。お姉ちゃんを尊重する人に悪い人はいない、というあたしの理論がここでもしっかり立証されたわ。ふふん。
逆に、最初からあたしに甘かった他の神官さんたちは、今も何かと理由を付けてはあたしに取り入ろうとしてくる。取り入る、っていうのか、なんていうのか……。割と露骨に下心が見える、っていうか……。
あたしにとってはあんまり興味のないことだけど、それなり整ってるあたしの見た目が好きな人は結構多いのだ。
そもそも、あたしとお姉ちゃんを引き取ってくれた商家の夫婦も、元はあたしの見た目を気に入ってあたしだけに引き取りの相談を持ちかけてきた。看板娘にしたいからって。
小柄で華奢で、お人形さんみたいに愛らしくていいわ、なんて奥さんの方は言っていたけど、あたしはお姉ちゃんみたいに背の高い女になりたかった。だってかっこいいし、何かと便利じゃない。踏み台無しで高いところに手が届くんだもの。
ともかくそういう経験から、神官さんたちやフレッドさんがあたしをやんやともてはやすのは、見た目が好きなんだろうなあ、とあたしは理解している。特にね、うん、フレッドさんね。あの人、あたしの顔を見ればナントカの一つ覚えみたいに外見を褒めてくるから、最近ちょっとしんどいのだ。
でも計画のためにはあんまり邪険にするわけにもいかないし……とはいえ、そろそろ気づかないふりをして言い逃れるのも難しいし……。
幸い今日は朝と昼の礼拝に来なかったから、このまま顔を見ないで済むと良いなあ。夜の礼拝には来たことのない人だから、大丈夫だとは思うんだけど。
いや、ただ礼拝に来るだけなら別に良いのよ。でもここに来てあたしの姿を見つけたら、あの人必ずと言って良いほど声を掛けてくるからさ。顔を合わせないっていうのが、結局一番の対処法になっちゃう。
「やあ、アリスティア! 今日は朝の礼拝に参加できなくてすまない。もう会えないかと思ったけど、ちょうどお茶の時間だったんだね。運が良かった……ははっ、これも女神様の導きかな?」
……うん、まあね、そんな気はしてた。来ないで欲しいと思ってる人ほど、来るもんだよね。
「こんにちは、フレッドさん」
「君が淹れてくれるお茶を飲めるなんて、女神がうらやましいな。次もこの時間に来たら、俺にも一杯淹れてくれるかい?」
「知っての通り、このお茶は女神様への捧げ物ですわ。わたくしは一口飲むことが義務づけられておりますが、他の方にお出しするわけには参りませんの。ご容赦くださいませ」
「そりゃ残念だ。……うん、しかし、聖女の勤めにはもうすっかり慣れたようだな」
「まだまだ姉には遠く及びませんが、努力しております」
「何を言うんだ、君はもう立派な聖女だろう。少なくとも、俺の目にはそう見える。祈っているときの姿なんて、前の聖女よりもよっぽど聖女らしくて、すごくいいと思うぞ。本当に綺麗だ」
(……この人、聖女をなんだと思ってんのかしらね)
聖女とは神の依代であり、聖魔法の素質を持つ年若い女性がなるものである。
グレゴーリオさんの説明が本当なら――まあ、あの人も相当怪しいところがあるけど、それにしたって神殿長をやってるわけで、全部間違ってるってことはないでしょ――そこに外見の要素はないわけよ。綺麗だから聖女だとか、そうじゃないとか、めっちゃくちゃに見当違いな話なんですけど。
そもそもお姉ちゃんのことをけなしてる時点でもうダメです。あたしの中での優先順位は下の下の下、ダントツでズンドコの最下位です。
……でも計画のため、計画のため。
「まあ、ふふ……フレッドさんの目に少しはそれらしく見えていたのでしたら、嬉しいですわ」
「謙遜しなくていいんだ、アリスティア。君は本当に……いつ見ても、清らかで美しい。きっと女神が地上に現れたら、こんな姿になるんだろうな」
そりゃあ、あたしが依代になったらあたしの姿になるんでしょうけど。でもちょっと失礼なんじゃない、だって女神様でしょ? さすがにもっと美人だと思うわ、あと背も高いと思う。
「……アリスティア。実は、君に打ち明けたいことがあるんだ。その、俺……」
あっ待って? なんかこの人、面倒くさい話をしようとしてない!?
「フレッドさん、あの、お話でしたら茶器を片付けてきてからゆっくりと……」
「いや、このままでいい。今聞いてくれ。この機会を逃しちゃいけない気がする」
フレッドさんの手があたしの手を掴む。ちょっと痛いくらいの力で。
まずいまずいどうしよう、こういうのは聞いちゃうと大変なことになる気がする! うわー! 助けて! 誰か!
「――ご歓談中失礼致します。聖女様、そろそろ次のお勤めの時間が迫っております」
ああっ眼鏡さん!! 助かりました!! ありがとう!! あなた本当に有能ですね!!
あたしは内心で眼鏡さんに拍手を送り心からの感謝を伝えたけど、フレッドさんは当然そうじゃなかった。
「っ貴様、この俺が今アリスティアと話しているのが見えないのか!? ……おい、お前確か……、前回も俺とアリスティアの邪魔をしてきたヤツじゃないか! 名を名乗れこの――」
あっこれはこれでまずいヤツだ! っていうか偉そうな上に気が短いわねこの男!? ああもう面倒くさいな!!
「まあ! すみませんわたくしったら、いつもうっかりしてしまって! 楽しくお話していると、つい時間を忘れてしまうのです。ね、フレッドさん」
眼鏡さんに余計な被害が行かないよう、あたしは強引にフレッドさんの声に割り込んでいく。
「あ、アリスティア、俺は」
「わたくしのことを、聖女らしく見えると言ってくださって嬉しかったですわ。フレッドさんの信頼に応えられるよう、これからもより一層努力して参ります。わたくしが本当に一人前の聖女になるまで、どうか、見守っていてくださいましね」
「あ……ああ、うん……」
有無を言わせぬ勢いで言い切って、あたしはフレッドさんにつかまれたままの手を逆に両手で握った。フレッドさんがちょっと赤くなる。よしいいぞ、押し切れそう。
「ありがとうございます。それでは、次のお勤めがありますので、失礼致しますわ」
「……わかった。その、アリスティア、……必ずまた、来るから」
「ええ、お待ちしておりますわ」
あたしは優雅に一礼して、心の中でだけ盛大に安堵のため息を吐きながら眼鏡さんと一緒に礼拝堂の奥の扉をくぐったのだった。




