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姉と妹

 この国――イルマルディ王国は、イルエレ様という女神様を信じている人が多い国だ。

 イルエレ様は秩序や平穏、安寧、静寂を守護する神様なのだそうで、原初の神グラプ・グラン様から生まれた三人の娘のうち、真ん中の娘になるらしい。上は豊穣の女神メルダーノン様、下は時の女神ユーノース様って言うんだそうだ。


 ちょっとだけ昔話をするんだけど、あたしとお姉ちゃんはこの王国の王都、つまりここで生まれた。あ、でもお姉ちゃんは本当はどうなのかもわからないみたい。あたしと違って、お姉ちゃんは生まれてすぐに王都の孤児院の前に捨てられてたんだって。

 あたしは逆に、六歳の頃親に売られたんだけど、その売られた先を逃げ出して放浪してたらお姉ちゃんに見つけてもらって、同じ孤児院に入ったの。親は商売をやっていて、とんでもない借金を抱えてしまって、だからあたしを売ったみたい。まあ、そのお金でやり直すことも、できなかったみたいなんだけどね。


 とにかくそういう形で孤児院に入ったあたしは、今思えばバカみたいなんだけど、最初のうちいつか親が迎えに来てくれるんじゃないかって信じてたの。

 だから、いろんなことを頑張った。遊ぶ時間を削って一人で勉強したし、苦手な針仕事は月明かりの下で練習した。お手伝いだって他の子よりもずっとずっとたくさんした。そうやっていい子にしていたら、いつかパパやママがが迎えに来てくれるって、信じてたから。

 そうしたら、他の子たちからは優等生ぶってるなんて陰口をたたかれて、大人たちからはこの子は優秀だから放っておいても何の心配もない、なんて言われるようになっちゃって。

 あたしは優等生でもないし優秀でもなかった。みんなと同じ時間でやろうと思ったら、みんなと同じくらいにしかできなかったと思う。だから時間を掛けて頑張っただけだった。あたしがみんなよりできるようになるためには、そうするしかなかったから。


 でも、そんなあたしの頑張りなんて、誰も見てくれなかった。頑張らなくてもできるヤツって扱われて、できるから偉そうにしてるなんて言われて、本当は苦しかったの。

 だけどきっといつか、パパやママが迎えに来てくれる。よく頑張ったねって言ってくれる。それまでの辛抱だから、なんて思って、馬鹿みたいに真面目に頑張ってた。

 なのに、あるとき聞いちゃったんだ。孤児院の先生たちが、パパとママが商売を辞めてこの街を出ていったって話をしてたの。

 あたしは本当にパパとママに売られて、本当にもういらなくなられて、捨てられちゃったんだって、その時初めてわかった。

 だったら、これまで頑張ってきたことってなんだったんだろう。どうせ誰も見てくれてなんてないのに、あたしはなんでずっと頑張ってきたんだろう。

 そう思ってすっかり何にもやる気がなくなったあたしに、たった一人、寄り添ってくれたのがお姉ちゃんだった。


 ――アリスはこれまで、たくさん頑張ってきたものね。無理はしなくていいのよ、今はゆっくり休みましょう。

 ――……もう、どうでもいいの。ぜんぶむだだった。パパもママも、あたしをむかえにきてくれなかった。がんばっても、なんにもならなかった。

 ――アリス……。


 悲しかったの。

 悲しくて、悔しくて、どうしたらいいかわからなかったの。

 だからあたしはお姉ちゃんに八つ当たりした。子供だった。本当に。


 ――あたしがバカだったんだ。いみなんてさいしょから、ぜんぶなかったのに。がんばったって、どうせ、なんにもならないのに。

 ――そうね、確かに、パパとママはアリスを迎えに来てくれなかったかも知れない。でも、あなたが学んだことは、努力したことは、決して無駄になったりしないわ。これから先、あなたが生きていく上で、絶対に役に立ってくれる。あなたの努力も、気持ちも……全部、無駄になんてならないわ。

 ――そんなのうそだ。サーシャさんだって、どうせ、あたしががんばってたことなんてしらないくせに! あたし、がんばったんだから。ほんとうにほんとうに、がんばったんだから!

 ――そうよね、アリスはたくさん頑張ってきたわよね。本当は算数が苦手で、みんなが寝てからこっそり勉強してたことも、シーツの端っこでお裁縫の練習をしていたことも、私は知ってるわ。……もちろんアリスが頑張ってきた全部を知っているわけじゃないけれど、私が知っているだけでも、アリスは本当に……本当にたくさん、頑張ってきたって、知っているわ。


 だけどお姉ちゃんは、そんなあたしを抱きしめてくれて。


 ――アリス、お願いよ。意味がなかったなんて、言わないであげて。ここまでたくさん頑張ってきたあなたを、あなた自身が、否定しないであげて。あなたは本当に頑張ったわ。それだけでも本当は、とってもすごいことなのよ。なのにその努力まであなた自身がなかったことにしてしまうのは……とても、悲しいことだと思うわ。


 お姉ちゃんはそう言って、あたしが泣き止むまでずっと抱きしめていてくれたのだ。

 だからあの日から、お姉ちゃんはあたしの特別になった。神様なんて信じないけど、大人なんて嫌いだけど、お姉ちゃんのことは誰より信じてるし大好きだ。それは今でも変わらない。

 そんなお姉ちゃんが聖女に選ばれたと聞いて、あたしがやっぱり、って思ったのは無理もないと思うのよ。

 だって、こんなに優しくて綺麗で嘘のつけないまっすぐな人なのだ。そりゃあ聖女でしょう、なんかすごく綺麗なイメージがある呼び名だし!

 実際お姉ちゃんが聖女になってからあたしは神殿に通い詰めて、お姉ちゃんが祈祷を行うところをいつも見ていたけど、それは本当に綺麗だった。

 色とりどりのステンドグラスから差し込む光の中で、綺麗な声で知らない言葉を堂々と歌い上げるお姉ちゃんは、あたしの知ってるお姉ちゃんとは別人みたいで。

 でも、祈祷が終わって、あたしを見て、笑ってくれるときの顔はいつものお姉ちゃんだったから、そのたびあたしはほっとしてお姉ちゃんに手を振って。

 あたしは神様なんて信じてないし、妹だからってしゃしゃって行くのをお姉ちゃんはきっと嫌がると思ったから、祈祷が終わったあとの短い交流時間は遠くから眺めているだけだったけど、目が合って笑ってもらえるだけでも十分だったのだ。


 そうやって毎日、毎日、言葉は交わせなくても交流を続けてきたのに。

 ――なのに、お姉ちゃんが聖女に選ばれてから二年くらい経ったある日を境に、お姉ちゃんはあたしを見なくなってしまった。

 というよりは、神官の人がやたらとお姉ちゃんを急かすようになったのだ。

 祈祷が終わったあとの信者さんとの交流時間もなくなって、お姉ちゃんはどこか悲しそうに目を伏せて、たまにあたしと目が合ってもすぐ間に神官さんが割り込んできて、そのまま背中を押されて奥へ消えて行ってしまって。

 それがなんだかすごく不安だったから、あたしはお姉ちゃんに手紙を書くことにした。話せなくても、手紙なら差し入れてもらえるだろうと思ったから。

 もちろん直接は渡せないから、祈祷が終わるたびに近くの神官さんに渡して、お姉ちゃんに届けてくださいって頼んでおいた。

 だけど一度も返事は来なくて、そのうち手紙を渡した神官さんから「聖女様からもう手紙を受け取らないで欲しいと言われておりまして」なんて言われてしまって、あたしは手紙を書くのをやめた。


 だけど、そんなのおかしいと思った。

 お姉ちゃんが、あたしからの手紙を嫌がったりするはずないから。

 自慢になっちゃうけど、あたしとお姉ちゃんは本当に仲が良かったのだ。だからこんなのおかしいと思ったけど、お姉ちゃんに直接聞けるわけでもない以上、どうすることもできない。

 一体どうしたら良いんだろう。夜中こっそり神殿に忍び込んでみる? それともいっそのこと、祈祷中にいきなりお姉ちゃんに話しかけてみる?

 祈祷が終わり人気のなくなった礼拝堂で、いろんなことを考えてあたしがぐるぐるしていた、そのときだった。


「失礼、アリスティアさん……でしたね。……貴女、サーシャを、自由にしたいとは思いませんか?」


 見覚えのある男の人が、あたしに声を掛けてきた。

 お姉ちゃんが聖女に選ばれたあと、正式な契約をすると言ってやってきたのがこの人だ。お姉ちゃんが神託で選ばれた聖女で、その身柄を神殿が預かる代わり、聖女のこれまでの養育に感謝して謝礼を渡す――そんなことの書いてある書類を持って、たくさんのお金を持って、やってきた人。


「……あなた、グレゴーリオさんでしたっけ?」

「ああ、覚えていてくださいましたか。私はここの神殿長を務めております、グレゴーリオと申します」


 グレゴーリオさんは煮詰めた蜂蜜みたいな濃い色の金髪をぺったり撫でつけた頭のおじさんだ。おじさん、と言い切ったら可哀想かも知れないけど、お兄さんなんて歳じゃない、そのくらいの外見年齢。あとで聞いたけど、神殿長っていうのは神殿の一番偉い人らしい。

 そんな人があたしに何の用だろう。そもそも、お姉ちゃんを自由にしたいと思わないか、なんて、どうしてこの人が聞いてくるの? 自分たちがお姉ちゃんを連れて行って、すっかり閉じ込めてるくせに。


「疑われるのももっともです。ですが、私も今のサーシャの状況を憂えている一人なのですよ。もしも貴女に少しでも、サーシャを思う気持ちがあるのなら、聞くだけ聞いてはもらえませんか」


 もちろん、怪しいと思わなかったわけじゃない。大体あたしはこの人が苦手だ。この人の、人を探るように見てくるねちっこい灰色の目が嫌いだ。孤児院にいたときに何度も見た、子供を引き取りに来た人たちの品定めするような目と一緒だから。

 だけどあたしには、他に取れる手段が思いつかなかった。それにこのまま帰って、お姉ちゃんに変なことを吹き込まれたら嫌だし。妹はあなたのことなんて気にならないようですよ、とか言われたら、って想像するだけで腹が立ったし。


「……わかりました。聞かせてください」

「ありがとうございます。では、ここでは人目もありますから、中の方へ……」


 あたしは渋々、グレゴーリオさんに着いて神殿の奥へと入っていった。

 礼拝堂の奥、いつもお姉ちゃんが消えていく扉の向こう。そこは思っていた以上になんていうか、地味な作りだった。礼拝堂には大きなステンドグラスがあるけれど、神殿の奥の方には装飾らしき装飾が一つも見当たらない。あたしがキョロキョロしているのに気づいて、グレゴーリオさんが説明してくれた。


「イルエレ様の教えの一つですよ。機能を十全に果たせれば、装飾など不要なものであると。身の丈以上の富は身を滅ぼしますし、争いを呼びかねません。平穏で清らかな生き方をするようにと、イルエレ様は説いてくださっているのです」

「ふーん……」

「いかがです、アリスティアさんも、イルエレ様の教えを学びませんか? 貴女の姉であるサーシャが聖女に選ばれたのも、何かの縁では?」

「結構です。あたし、神様なんて信じていないので」

「それは……イルエレ様を、という意味で?」

「え、神様ってそんなに種類があるんですか?」

「……」


 神様になんかまるで興味がないあたしの言葉に、グレゴーリオさんは苦笑したようだった。え、だって、イルエレ様のことだって、お姉ちゃんが聖女に選ばれて初めて知ったくらいだよ。あたしたちがいた孤児院は商家の人たちの寄付で成り立ってた小さなもので、教会併設のものじゃなかったから、神様のことなんて考えたこともなかった。

 やっぱり素っ気ない感じの部屋に通されて、あたしはグレゴーリオさんと向かい合った。この人の目、やっぱり苦手。


「実は、サーシャの具合があまり良くないのです」

「お……お姉ちゃんが!?」


 孤児院にいた頃から身体だけは頑丈なのって笑ってたあのお姉ちゃんが!? みんなが熱を出して倒れても一人だけピンピンしてて絶対無事だった、あのお姉ちゃんが!?


「ああ、もちろん、命に関わるような病ではありませんよ。ただ、長時間の礼拝も少し厳しいようで……それでも本人がやると言って、無理をして礼拝堂に来てしまうのです。ですから今は、礼拝後の言葉や触れあいといった時間は取らないようにしているのですよ。少しでも、サーシャに負担を掛けたくないのでね」


 じゃあ、ちょっと前からあんまり目が合わなくなったり、悲しそうに見えたりしてたのも、もしかして体調不良のせいだった……ってことなの?

 確かにお姉ちゃんは責任感が強くて、自分がやると決めたことを途中で投げ出したりなんてしない人だ。少しくらい大変なことだって、無理して頑張っちゃうのはいつものことだけど。


「このままサーシャを聖女にしておいたら、いつか倒れてしまいます。それはさすがに可哀想でしょう? ……そこでアリスティアさん、あなたのお力をお借りしたい」

「あたしの……ですか?」


 お姉ちゃんの役に立てるなら、あたしはなんだってしてあげたい。これからもお姉ちゃんに会いたいから、死ねとか言われるのはさすがに困るけど、あたしにできることならなんだって協力したい。

 でも、そもそもこの話って、本当に信じていいのかな。正直、あたしはまだ迷っていた。グレゴーリオさんの言っていることが全部本当なら、普通にあり得る話だとは思うけど……この人、どうも信用できない気配がするんだよなあ……。

 どうするべきか悩んでいるあたしをまっすぐ見て、グレゴーリオさんは言った。


「ええ、そうです。サーシャを救うためには、アリスティアさん……貴女が次の聖女になって、サーシャを聖女の役目から解放するしかありません」

「いや無理でしょ、それは」


 あたしはつい、間髪を入れずにグレゴーリオさんの言葉を否定していた。

 だってさ、ちょっと考えればわかるでしょ!? そもそも神様を信じてないあたしが聖女になるなんて、普通に考えて絶対無理でしょ!!


「無理なことはありませんよ」


 でも、あたしの否定なんてどこ吹く風で、グレゴーリオさんはさらりと言い放ったのだ。


「どうせ聖女など、もはや名前だけの形骸化したものなのですから」



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