夢、あるいは現実
お姉ちゃんの出てくる夢は、それからもずっと続いた。
あんな話を聞いたあとだったから、どうなるか不安だったけど、夢の中でだとしてもちゃんと会えたことはあたしの気持ちをずいぶんと落ち着かせてくれた。
しかも日増しにお姉ちゃんの存在感は強くなり、あたしとの距離は縮まって、今日なんてついにあたしを抱きしめてくれたの!
ああ、お姉ちゃんだ。お姉ちゃんの匂いだ。お姉ちゃんの体温だ!
「おねえちゃん……」
そんな感じであんまり臨場感のある夢だったから、目が覚めてからあたしは少しだけ泣いてしまった。
だって、夢が終われば、お姉ちゃんはいないんだもの。
本当はもう全部投げ捨てて、今すぐそばに行きたい。前みたいに優しく名前を呼んで欲しい。頑張ったわねって言って、たくさん抱きしめて欲しい。
だけど、そのためにはまだ頑張らなくちゃいけないって、わかってるから。
(それにしても……明日にはもう、王族の人が来ちゃうのかー……)
テオから、王族の人が来る特別な祈祷の話を聞いて、数日後。
その日はもう明日に迫っていた。
もちろんあたしだって、ただだらだら過ごしてたわけじゃない。なんか怪しいところがないかとか、神殿長が……グレゴーリオが変な動きをしてないかとか、お勤めの合間に様子をうかがってたけど……今のところ、成果はゼロ。
グレゴーリオも神官さんたちも全員がいなくなるなんて、家捜しには絶好のタイミング過ぎるのに、肝心の家捜しするべき場所が見つからないんだからどうしようもない。テオからも、それらしい場所が見つかったって連絡はまだないし。
(こうなったら、それらしい場所を探す時間に充てるしかないか……場所の見当さえつけば、何かの機会に探せるかも知れないもんね)
転んだってただで起きたらもったいない。今できる最善を考えていかないと。
そんなことを考えながら、お付きの神官さんのたわいもない日常話を微笑んで聞き流しつつ掃除をしていれば、グレゴーリオが廊下を歩いているのが見えた。 そばには二人、神官さんが付き従ってる。いつものことだ。
何の気なしにそれを目で追って、あたしはふと気がついた。
(……そう言えばアイツ、廊下で立ち止まると、いつもあの壁の所見てるよね)
聖女のお勤めの一環として神殿内を掃除しなくちゃならないあたしは、この廊下もほぼ毎日掃除してるわけだけど、確かグレゴーリオは昨日廊下を通ったときもあの壁をちらちら見てた。
別になんてことはない壁だ。絵が掛けてあったりするわけでも、装飾があるわけでもない壁。でも、何かの拍子にグレゴーリオの視線がちらっとそっちに行くもんだから、逆に気になって覚えてた場所。
……これ、もしかすると、もしかするんじゃない?
全然何の変哲もなさそうな壁だけど、もしかして何か仕掛けがあったりするのかも?
どうせ他に当てもないんだし、明日はあの壁から調べてみよう。なにもなかったら他の場所へ行って……式典用の服だと動きにくいから、着替える時間はちゃんと確保しないとなぁ。
なんて思いつつ床を磨いていたら、グレゴーリオの方から声を掛けてきた。
「精が出ますね、アリスティア」
「いえ、これも聖女のお勤めですから」
あたしは微笑んでそう答える。そうですか、とどこか満足げに頷いたグレゴーリオが、そばに控えていた神官さんと、あたし付きの神官さんに向かって払うように手を振った。
「少し席を外して下さい。明日のことで、アリスティアと話があります」
「は、はい……」
神官さんたちは、少し困惑した面持ちで、それでも指示に従って離れていく。
あたしはぐっと気合いを入れた。多分、これは、王子の件ね。
「……先日、王子から何か言われましたか?」
フレッドが第三王子だってことは、公然の秘密ってわけか。テオみたいに顔を知っている人なら、見ればわかっちゃうみたいだもんね。でも一応はちょっと裕福な商家の息子、みたいな感じで通してるから、神官さんたちには聞かれないように人払いをしたんだろう。
あたしは少し困ったような顔を作って聞き返す。
「どうしてそんなことを?」
「王子が強引に人払いをして、あなたと礼拝堂にこもったと聞いたのでね。何か込み入った話をされたのかと思ったのですよ」
「ああ……」
うーん、どこまで本当なのかなあ。でもまあ、バレてないって前提でごまかすしかないよね。
証拠もなにも揃ってない今、ここであたしの方から全部暴露しても、どうにもならないわけだし。
「……その、実は。……王子から、婚約を迫られました」
「なるほど……もうその提案があったのですね」
もう、ってことは、グレゴーリオ的にはもうちょっと後に申し込むもんだと思ってた、ってことなのかな。
確かにちょっと早いよね。せめて聖女として一年とか勤めてからじゃないとさ……ていうかそもそも、王子妃になっても聖女って続けられるの? この毎日のお勤めやりながら王子妃になる勉強するとか、どう考えても無理でしょ!
「はい。でも、私では務まらないと思ったので、お断りしたんですが……かなりしつこくて。途中でたまたま神官さんが礼拝堂に入ってきて、それで一応引いてくれましたけど……」
「おや、あなたは王子妃になりたくはないのですか?」
なんか意外そうにグレゴーリオが聞いてくる。いやいや、あたしがなりたいわけないでしょうが!
あのね、世の中の女が全員お姫様になりたいわけじゃないのよ! しかも簡単になれるもんならともかく、実際には貴族階級のあれやこれやをきっちりお勉強しなきゃならないわけで、そんな茨の道に踏み込みたいのはごく一握りの本気でお姫様目指してる子だけですからね!
「私は生まれも育ちもこの街です。貴族の暮らしに憧れもありません。あたしはただ、お姉ちゃんと静かに暮らしていたいだけなんです。今だって、そのためにこうして、聖女をやってるんですから」
だからちゃんとお姉ちゃんと暮らせるようにしなさいよ、という圧を載せてグレゴーリオをじっと見る。
そしたらムカつくことになんか楽しげな顔をされた。くっ……アンタねえ、覚えてなさい! 絶対懲らしめてやるんだから!
「それは良い答えです。多くを望まないことは、イルエレ様の聖女として大切な心がけですよ。きっと、サーシャも同じ気持ちでしょう」
っかー! あああ、アンタなんかが! お姉ちゃんのことを! 訳知り顔で語るんじゃないわよ!!
……ダメダメ。落ち着くのよアリス、ちょっとかなりすごく腹が立ったけど、ここは落ち着いて対応しないと。コイツのことはあとでぎったんぎったんのめったんめったんにしてやりたいけど、それはそれとして落ち着いて、ね。
「そうですね。早くお姉ちゃんに会いたいです」
「あなたが今のように頑張っていれば、きっとすぐに会えるでしょう。さしあたっては明日の祈祷を、しっかりこなして下さいね。……では、私はこれで」
グレゴーリオはそう言うと、遠ざけていた神官さんたちをまた引き連れて去って行った。
あたしは地面を踏みならし大声で叫びたい気持ちをなんとかこらえて、戻ってきたお付きの神官さんと共に残りの掃除を終わらせる。
そのあとのお勤めもなんとか無事にこなしたけど、とにかくもう疲れていたあたしは、全部終わって部屋に戻ってベッドに倒れて、そのまま眠ってしまったらしい。
(……あれ、これ、いつもの夢だよね)
このところ毎晩のように見ている、お姉ちゃんの出てくる夢。それと同じ気配がしたから、きっとそうなんだろう。
だけど不思議なことに、今日はお姉ちゃんの気配がしなかった。昨日はあんなに近くにいて、あたしを抱きしめてさえくれたのに。
(お姉ちゃん? ……お姉ちゃん、どこにいるの?)
なんだか急に不安になって、あたしはお姉ちゃんを呼んだ。そんなはずないって思いながら、大丈夫だって信じながら、心のどこかに居座っていた不安が、一気に膨らんでくる。
(お姉ちゃん……)
――アリス、……アリス。
聞いたことのない声がしたのは、そのときだった。
お姉ちゃんの声に似てるけど、お姉ちゃんの声じゃない。どこかぼやんとして、遠い感じのする女の人の声が、あたしを呼んでる。
――アリスティアや……聞こえるかい……?
(えっと、聞こえてるよ。あなたは誰?)
――おお、良かった。すまぬのう、神子以外……つなぐのは、調整が、難しゅうて……。
ん、大体聞こえてるけど、なんか一部分小さすぎて聞こえなかったな。っていうか、本当に誰? 若い女の人の声なのに、おじいちゃんみたいに喋ってるけど……。
――あまり長くつなぐと、お主に負担が……。用件……伝え……、サーシャ……。
(サーシャ!? 待って、お姉ちゃんのこと!? お姉ちゃんがどうしたの!? お姉ちゃんは無事なの!?)
――そうじゃ、心配いらぬ。もうすっかり身体は治っておるぞ。
突然出てきたお姉ちゃんの名前に思わず叫んだら、はっきりとした答えがあった。
本当に? 本当なの? 本当にお姉ちゃんは大丈夫なの? 信じて良いの?
だとしたらあなたは、もしかして。
――……明日、儂はサーシャと共に……行く。……全てに片が……、もう少し……。もし……困った……、儂の名……じゃ。……神殿であれば……じゃろう。
(待って! 聞こえないよ、神様! お願い、あたしのことなんていいから! ねえ、もっとはっきり――)
――サーシャも儂も、お主の頑張りを見ておったよ。待っておれ、アリスや。あと少しの辛抱じゃからな。
ぷつんと糸が切れるように、あたしの目は覚めた。
部屋の中はまだすっかり暗くて、今が夜中なんだとわかった。あんまり急に目が覚めたから、どこまでが夢でどこからが現実なんだか、まだちょっと混乱してる。
(ううん、違う)
今のは現実で、そして夢なんだ。
「……お姉ちゃん」
ぼやぼやと波打つように遠くなっていた声が最後の一瞬はっきりして、あたしに聞きたかった言葉を届けてくれた。
確証はないけど、あの声はきっと神様――イルエレ様だったんじゃないかと思う。他に今、お姉ちゃんの様子をあたしに伝えようとしてくれる人なんていないだろう。とはいえ、大事そうな所が大分聞き取れてないんだけど。
(明日、サーシャと共に行く……みたいなこと、言ってたな)
もしもその言葉が本当なら、明日お姉ちゃんに会えるかも知れない。身体はすっかり治ってるって言ってたし、元気なお姉ちゃんに会えるかも知れない!
そう思うだけで浮かれてしまいそうになるのをぎゅっと押さえつける。ダメダメ、落ち着くのよアリス。まだ浮かれるには早いわ。
だって明日は勝負の日。グレゴーリオが隠し持っている、そしてお姉ちゃんが暴こうとしたあの裏帳簿を、もしかしたら手に入れられるかも知れない日。
あたしが首尾良くそれを手に入れられたら、帰ってきたお姉ちゃんに渡して、イルエレ様とか王族の人たちとかにこれが悪事の証拠ですって見せつけられるかも知れないんだ。
「『あと少しの辛抱だから』……それならなおさら、頑張らなくちゃね」
イルエレ様らしき声の言うことが本当なら、もう少しで全部が終わる。
それなら、あたしはあたしにできることを最後までしっかりやるだけだ。
だってあたしは、誰より聖女にふさわしいお姉ちゃんの、妹なんだから。




