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絶望と決意

 ……え?

 今、なんて言ったの?

 あの女を、……殺した?


「フレッド様、今、なんて」


 殺したって、あの女って、……まさか。


「い、いやっ! ななな、なんでもないぞ、なんでもない! お前は何も聞いてないよな! な!! と、とととにかく婚約の話は進めておく! お前は俺と婚約するんだぞ! じゃあな!!」

「ちょっ……!?」


 露骨に顔色を変えて逃げ出したアホの後ろ姿を、あたしは呆然と見送った。

 いや、いやいやいや。さすがにそれは。さすがにそれはさ。


「……うそ、でしょ……?」


 そうだよ、嘘だよ。さすがにそんなことって、ないよ。いくら何でも、そこまではないよ。

 そんな酷いことって、ないよ。


「――アリス! 大丈夫か!?」


 礼拝堂の奥にある扉が開いて、慌てたようなテオが駆け込んでくる。良かった、お付きの人じゃない。テオだった。良かった。

 ああ、ダメだ。ダメ。しっかりしなきゃ。しっかりしてなきゃいけない。

 だけど頭ではそうわかってるのに、あたしの目からは勝手に水が溢れてくる。嫌だ、泣きたくないのに。泣いたら、まるで、信じてるみたいじゃない。


「どうした、アイツに何かされたのか!? どこか痛むのか、怪我とかは」


 嘘だと思いたいのに。


「……おねえちゃんを」


 信じたくなんてないのに。


「おねえちゃんを、ころしたって、いったの」

「……なん、……だって?」


 テオの声が揺れている。

 信じないで。お願いだから。テオまで信じないで。嘘だって言って。

 ほんとうに、なっちゃう気が、するから。


「あの男が……王子が、お姉ちゃんを、殺したって……!」


 あたしは耐えられなくなってテオに抱きついてわあわあ泣いた。嘘だよ、こんなの、絶対嘘だよ、信じたくないよ。

 だけどあの男がうっかり失言した風を装ってあたしを騙すほど、賢いとも思えないんだ。

 きっと本当のことを本当にうっかり言ってしまっただけで、だとしたら、だとしたらお姉ちゃんは、本当に。


「……アリス、落ち着け。しっかりしろ、今は泣くな」


 わかってる。だけど無理だよ。

 だって全部あたしのせいだもん。

 あたしがバカだから、神殿長の計画なんかに乗ったから、お姉ちゃんは死んじゃったんだ。あたしのせいで、殺されたんだ。あたしはお姉ちゃんを幸せにしたかったのに、自由にしたかったのに、あたしのせいでお姉ちゃんは、永遠にそうなれなくなっちゃったんだ。


 だったら、あたしが死ねば良かったのに。


「頼む、泣くなアリス……今は、今はまだ泣かないでくれ。お前はいつも通りにしているんだ、神殿長に気づかれたら全部終わりだぞ」


 ごめんね、テオ。あたしの身勝手に巻き込んで危ないことさせたのに、あたしのこと心配してくれるんだね。

 でもね、もういいよ。もういいんだ。

 もう全部、どうなっても、いいんだ。


「おわりでいいよ……おねえちゃんがいないなら、もうぜんぶ、おわりでいい。おねえちゃんがいないなら、あたしには……もう、なんにも、ないから……」

「お前がサーシャ様のことを信じないでどうするんだ、アリス! 冷静になれ! サーシャ様が殺されるはずないだろう!?」

「っ、そんなの!!」


 そんなのわかるわけない、ってテオを見上げたら、テオの目はまっすぐあたしを見ていた。

 泣いてもいない。

 揺らいでもいない。


「いいか、あれほどの素晴らしい聖女であるサーシャ様がもし本当に害されたとして、イルエレ様がそれを黙って許すはずないだろう!? お前は僕に言ったよな、サーシャ様は最高の、完璧な、素晴らしい聖女だって! 本当にそれを信じているのなら、あの方を殺しただなんて馬鹿の戯れ言を信じるんじゃない!!」


 同情じゃなくて、慰めじゃなくて、そこにあるのは怒りだった。


「あっていいはずがないんだ、そんなこと! サーシャ様のように素晴らしい聖女が、あいつらみたいな人間に殺されるなんて……そんなことが許されていいはずがないんだ!!」


 言葉を吐き出し終えたテオの唇がまだ震えている。握られた拳も。

 だけど、ふうっと一つ大きく息を吐いて怒りを静めたのか、あたしの肩に置かれた手はもう震えていなかった。


「……アリス。お前が神を信じていないことはわかってる。だが、サーシャ様は夢でイルエレ様に会ったと言っていたよな。だとしたら、サーシャ様はイルエレ様を信じていた。そうだろう?」

「うん……」

「イルエレ様は、自分を信じている自分の聖女を見捨てるような方じゃない。少なくとも僕は、ずっとそう思ってきた。お願いだ、アリス。サーシャ様は生きていると、今だけは信じてくれ。もしもこの計画の真相を知ったと神殿長に気づかれたら、本当にお前の身が危ないんだ」

「テオ……」

「あいつらがサーシャ様を殺そうとしたことは、恐らく事実だろう。だけど、それは失敗したんだと僕は思う。これでもし本当にサーシャ様の身に何かがあったなら……僕はもう、信仰を捨てる。僕の信仰心なんて、お前にとってはなんの足しにもならないだろうが……そのくらいの覚悟で言っていることは、わかって欲しい」


 神殿の隣にある孤児院で育ったテオの人生には、ずっとイルエレ様が寄り添っていたはずだ。

 きっと息をするように自然に、テオは神様を信じてきた。それがテオの当たり前だったから。

 あたしとは全然違う生き方だけど、それを捨てることの大変さはわかるつもりだ。あたしだって、それが無理だからあのアホ王子の求婚を断ったし、この世界の何よりも大切なお姉ちゃんのためだからこそ、神様を信じてもいないくせに聖女になったんだから。

 だけどテオは、あたしなんかのために、その生き方を捨てても良いとまで言ってくれた。

 お姉ちゃんは生きてる。

 それを、あたしに、信じさせるために。


「……ありがとう、テオ」


 神様のことは今も信じられない。

 だけどあたしは、テオのことも、お姉ちゃんのことも信じるよ。

 テオが信じているように、きっとイルエレ様はお姉ちゃんを見捨てないこと。

 お姉ちゃんが誰より一番立派な、イルエレ様の聖女だったこと。


「あたし、信じるね。お姉ちゃんはきっと、生きてるって」


 だからお姉ちゃんは、死んでなんかいない。きっと、どこかで生きてる。

 最近は、あたしの夢にもずっと出てきてくれてたもん。あれは絶対お姉ちゃんだよ。あたしがお姉ちゃんを間違えるはずないんだから。


「ああ。サーシャ様は、きっと生きている。だからお前はとにかく、神殿長に気をつけろ。……あとは、王子が神殿長に事の次第を報告しないよう祈るしかないか」


 それね、正直微妙な所かな……あの人プライド高そうだし、文句も言われたくないだろうから、報告しないんじゃないかなーって気はしてるけど……。

 アホ王子の言い方からすると、そもそも王子があたしに求婚するためにはお姉ちゃんが邪魔だったから、みたいに取れる。だとすると、王子が言い出しっぺで、グレゴーリオはそれに乗っただけ、ってことなのかな。

 それならなおのこと、報告とかしなさそうだよね。グレゴーリオは神殿長だけど、別に貴族ってわけじゃなくて平民だし……あのアホ王子は平民ってだけで人を見下してそうだし。

 なんにせよ、あたしはいつも通りに過ごしておくしかないわよね。


「そういえばテオ、今日はお付きの当番じゃないのにどうして来てくれたの? お付きの人は……」

「王子様に睨まれたから怖くて行けない、だそうだ。まったく、馬鹿らしい……王族だろうがなんだろうが、やって良いことと悪いことがあるだろう。そもそも平等を説かれているイルエレ様の前で身分など何の意味もない、王族も孤児も同じ扱いだというのに……」


 テオってそういうところ強いよね。うん、かっこいいな。


「でもさ、あたしは、来てくれたのがテオで良かったよ。ありがとね」

「……気にするな。お前に何かあったら、サーシャ様に申し訳が立たないからな、それだけだ」


 素直にお礼を言ったらどうしてかテオはぷいっと横を向いてしまった。お? おお? もしかして照れてる? ええ、なんで今?


「ああ、あまり嬉しくない話だろうが、心構えはあった方が良いだろうから一応伝えておく。来週、王族の方々がいらして祈祷に参加されるそうだ。もちろん、その中にはあの第三王子も含まれるからな。その日は一般の信者の出入りを禁止して、朝から特別な祈祷と説教をすることになる」

「特別な?」

「ああ。まず神殿長から長めの説教があって、そのあとお前が式典用の特別な衣装を着て長めの祈祷をすることになるはずだ。サーシャ様の時もそういう流れだったからな、恐らく同じだろう。僕たち神官も全員、式典用の服で朝から礼拝堂に並ばなきゃならないから……」

「神官さんも? ……全員?」


 あれ、待って?

 それってもしかして、すごいチャンスなんじゃない!?

 説教中は当然神殿長はずっと礼拝堂にいて、神官さんたちも礼拝堂にいなきゃいけなくて、あたしは次の祈祷のために控えてれば良い……って、こんなチャンス他にないんじゃない!?


「ね、ねえ、テオ! そのときにさ、あの帳簿の本体、探せないかな!?」

「……できなくはないだろうが、場所の当てはあるのか? さすがに神殿中をあてもなく探せるほどの時間はないぞ?」

「うっ……そ、そっか……」


 確かにぃ。あ、でも逆に考えれば、場所の目星がつけばそこを探すチャンスは来るってことだよね!

 来週までに怪しいところを見つけられれば、もしかしてあの帳簿の本体、見つけられるかも!

 よーし、待ってなさいよグレゴーリオ。あたしは絶対証拠を掴んで、アンタの悪事を暴いて、お姉ちゃんを幸せにするんだから!

 ふん、と鼻息も荒く気合いを入れたあたしを見て、テオはちょっと笑ったみたいだった。


「なによ、なんで笑ってるの?」

「いや……なんでもない。その意気だぞ、アリス」

「任せてよ! 絶対、来週までに怪しいところを見つけてやるんだから!」


 拳を宙に突き上げる。

 そうだ、絶対に見つけてやる。だって、今あたしにできることは、これしかないんだから。

 あたしは決意を新たに、けど表向きはおとなしく淑やかにしながら、テオを引き連れて礼拝堂を出た。



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