アリスとテオ 2
テオがこっちに背中を向けた。
あたしは花殻を摘み取って、籠の隅に入れる。
すると、裏庭に面した窓が開き、神官さんが顔を出した。
「ああ聖女様、こちらにおられましたか。お勤めお疲れさまです、こっちでお茶でもいかがですか? あとのことはテオに任せておけば大丈夫ですよ、そいつは真面目なだけが取り柄なので」
「まあ、お気遣いありがとうございます。でも、今は手が離せなくて……お気持ちだけいただいておきますわ」
「そうですか? あの、美味しいお茶菓子もありますよ。若いお嬢さんに人気なんだとか……いかがです?」
「素敵ですわね。でしたら、明日のお茶の時間にいただけますか? 実はその、今はあまり、お腹が空いていなくて……」
「ああ、そうでしたか! それじゃあもったいないですよね、じゃあまた明日にしましょう! 明日のこの時間にまたお誘いしますから、是非!」
「ええ、楽しみにしておりますわね」
嬉しそうな顔を隠しもせず、約束を取り付けた神官さんが窓を閉めて去って行く。あたしは小さく息を吐いた。
買い物担当になって外へ出たから、一生懸命、あたしの気を引けそうなものを手に入れてきたんだろうなあ。うん、さすがに、ちょっと罪悪感。
なんて少しばかりしょんぼりしてたら、
「……しかし、どう考えても神殿長が怪しいな。もしも本当にあの人が絡んでいるとしたら、大事だぞ」
いきなりこっちに向き直ったテオが顔をしかめて言うもんだから、あたしはびっくりしてしまった。
いや、あの「黙れ」っていうのが、「人が来るから話すな」っていう意味なのはわかったのよ。なるべく短い言葉であたしを黙らせようとしたんだろうなって、それはわかるの。
でもさ、そんな当たり前みたいに話を続けられるとは思ってなかったわけで。
「何呆けた顔をしてるんだ。今一番危険なのはお前だってわかってるのか?」
「え、あ、待って、違う、いや違わないんだけど、……テオ?」
「なんだ」
「あの、その……ごめんね? えっと、いろいろ、嘘吐いてて……」
「……薄々気づいてたさ、お前がイルエレ様を信じてないことくらいは」
苦笑したテオが、ぱきんと枯れた枝を折った。
「祈祷一つ、聖句の読み上げ方一つとっても、サーシャ様とは思いの込め方が違うからな。聖女って立場に全く思うところがなさそうなあたりからも、お前には信仰心ってものがないんだろうと思ってた。だから、それについては今更どうとも思ってない」
さすが、先代の聖女サーシャこそ最高の聖女同盟、会員番号二番のテオ。よくわかってる。
「僕はイルエレ様を信じているが、それを他人に強要しようとは思わない。その代わり、僕の信仰に口出しされたくもない。だからお前が僕に信仰を捨てろなんて言わない限り、僕はお前が神を信じないことについてどうこう言う気はないさ。それよりも……今はサーシャ様のことが気に掛かる」
テオの拳がぎゅっと握られて、持ったままだった枝がぺきぺきと音を立て砕けていった。
「そもそも、二重帳簿を付けられる人間がいるとしたら、そいつは神殿の会計に関わっているはずなんだ。会計担当の神官二人の他にそこへ関わっているのは、神殿長だけ。サーシャ様が帳簿を隠したせいで神殿長に目を付けられたというのなら、あの男が無関係なはずもないだろう」
確かに、二重帳簿を書くこと自体は誰にでもできたとしても、実際にお金を操作できるのはそもそも神殿の会計に関わってる人間だけだ。
お姉ちゃんが隠してた帳簿を書いたのは、少なくとも、書庫の帳簿を付けていた会計の人じゃない。
だとしたら、神殿長がやったんだと考えるのが妥当、ってことか。
「まずは証拠が必要だな。このまま、帳簿二枚だけを外へ持ち出したとしても、神殿長を罪には問えないかも知れない。下手を打つと、もみ消されて終わりになるかも知れないぞ。この神殿の神殿長って立場は、残念だが聖女のお前よりずっと強い」
そうか、あたしがこれを神殿長が書いた二重帳簿ですってどこかへ持って行ったとしても、神殿長がどうにかしてその人を懐柔してしまえば、なかったことになっちゃうのか。
それだけは困るけど、あの男――グレゴーリオだったら平気でやりそうだから怖い。
そうやってもみ消される危険性をなるべく減らすためには、やっぱり証拠が必要ってことよね。
「神殿長の書いた物があれば、筆跡とかで証明できる気がするんだけど……あたし、あの人の字を知らないから、そもそもまだ確証がないの」
「そうだな、その辺りは僕がどうにかしよう。僕ら神官は持ち回りで神殿長の部屋の清掃を担当しているから、当番になったときにでも何か直筆のものを探してみる」
おお、すごい! それならどうにかなるかも!
とすると、あとは帳簿の方か……。
「あの帳簿、どこに隠してあるんだろう。やっぱり神殿長の部屋なのかな」
「一応探してみるが……どうだろうな? 僕らがそうやって清掃に出入りするんだ、そんなところには置いておかないんじゃないか?」
「じゃあ、全然別の場所に隠してあるとか?」
「可能性はあるが、だとすると見つけるのは難しいかもな。……とりあえず、僕は神殿長の筆跡が確認できるものを探してみる。アリス、お前はとにかく、神殿長に気をつけろよ。特に、帳簿の件に気づいたってことだけは、絶対に悟られないように」
「え、あたしが? テオじゃなくて?」
しかめっ面をしたテオの深い鳶色の目が、あたしをじっと見ている。
「今一番危険なのはお前だ、と言っただろう。……神殿長にとって、今のお前は全部の秘密を知ってる唯一の人間なんだぞ。サーシャ様を聖女から下ろしたことも、そのあと偽の聖女だとわかっていながらお前を聖女にしたことも知ってるお前が、さらには二重帳簿の件まで知ったと気づかれたら……サーシャ様の二の舞どころじゃすまないかも知れないぞ」
そういやそうだ。グレゴーリオにとって、今まではお姉ちゃんが一番嫌な相手だったけど、それがあたしになるわけだもんね。
そして、うまいこと王都から離れた場所に追いやれたお姉ちゃんとは違って、あたしはまだ王都の、しかも神殿の中にいるわけで。
どうにかしようと思えばどうにかできるところに、一番嫌な奴がいるとなったら……どうにかされちゃう可能性は、あるわけだ。
「ありがとね、テオ。気をつけるよ」
「……本当に大丈夫か? お前、時々抜けてるところがあるからな」
う、それはまあ、そういうときもあるかも知れないけど!
でもあたしだって、やるときはやりますからね! お姉ちゃんのためなら、気合い入れてやってやるんだから!
「大丈夫! 本当にしっかり、気をつけるから! っていうか、テオだって気をつけてよ? 神殿長の部屋を家捜しするなんて、バレたら本当に危ないんだからね!」
「ああ、心配するな。そこは上手くやる」
テオが口元をゆがめる。えっとこれは、笑ってる……のかな? な、なんかすごい、怖い顔だけど。
「神殿の運営資金は、国や信徒から預けられたものだ。決して、個人が、私腹を肥やすのに使っていいものじゃない。ましてや僕らは平穏と安寧を司るイルエレ様の信徒で、あの人は神殿長だぞ。そんな人間が教えに背いているというのなら……決して、絶対に、何があっても許されるべきじゃないんだ」
あ、これ、怒ってるね。うん、すごい怒ってる。
「……そろそろ戻った方がいいか。何かあれば報告するから、お前はとにかくあの人に気をつけろよ。じゃあな、アリス」
「う、うん、わかった……」
あたしは怖い笑顔のまま去って行くテオの背中を見送って、最後の花殻を摘み取った。
……テオのことは、なるべく怒らせないようにしようっと。




